余呉湖
diary

何もないことが無知を教えてくれる

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the pillows – ストレンジ カメレオン でスタート。歌詞の感性が大好き。ストレンジが伝わってくる歌詞の観と感。最近のヘビロテ。

スマートフォンの縛りが来月に解ける。機種変更するつもりでいたが、スマートフォンを断捨離しようか思案中。

ドコモが月々サポートの適用条件を9月1日より変更した。通話しないXi契約ユーザには実質的な値上げ。

頻繁に通話するユーザの定額料金を、通話しないユーザが支えていくような構図に見えてしまい、その企業姿勢に賛同できない。機種変更しないで解約したくなった。通話専用の携帯電話の料金は月々1,200円ほどだからそのまま持ち、データ通信はMVNOを利用しよう。SIMフリー版iPadを購入して運用予定。

ウェブサイトの仕事をしていてスマートフォンを持ってないのもどうかしてるけれど、気にせずやっていこうかな。

スマートフォン向けのウェブサービスはこれからも増えていくから、それらから離脱すれば不便になりそうだけど、携帯事業者の胸三寸でかんたんに値上げされるようなデータ通信と一蓮托生はリスクが高すぎる。そのリスクとひきかえに多少の不便は受け入れよう。

技術の進歩に対応できなくなる恐怖感はいつまでも拭えない。たとえば4Kについて説明できない。でも写真を撮影し続けたいなら近い将来やってくる環境であり、その環境の資金を整えられなくて焦りがつきまとう。

「自分」というものをそういう事柄から自覚するようになる。

水曜日、青春18きっぷを使って余呉から木之本、醒ヶ井、長浜へ移動する。余呉湖の全長6.45km、歩いてみようかと思ったが次の移動を考えて途中で引き返してきた。平日ということもあり、誰もいない。周りには何もなく民家があるだけ。国民宿舎が閉館されるような場所。その「何もない」ことが観光の醍醐味だと思う。

「見せたい」意図がない景色は、ここで楽しめるか否かとこちらの力量を試しているみたい。茫々とながめるのもよいし、草木や花、道々のものを見て、それらについて詳しければもっと見方は変わるだろうなぁと想像してみたり。風が吹けば遅れて湖面がさざなみ立つ。波の仕組みを理解していたら波の変化を楽しめるんだろうなぁ。

「何もない」なかにこそ「自分が何を知らないか」を正確に教えてくれる。そしてほとんどのことを知らない自分を強く認識できる。

人工音が少ないから、自分が物質と接触して発生する音がよく聞こえる。

( たんぼです。いねかりのきせつがやってきます。そちらではもっとひろいひろいたんぼがありますよね。いえでもそちらのこめをたべています。こちらもこめどころでそこそこゆうめいなのに(^^;) )

田圃

新聞は事実を書く、そう信じる理由があるらしい。新聞が誤報や間違いを犯したとき、ものすごい剣幕で書き込む人たちがいる。実際に見ていないので手垢のついた表現を使ってみたが、あの怒りや批判は「正しいことを書くのが新聞」という信心深さの裏返しだろう。新聞が間違いなく書いているのは死亡記事だけと思っておけば、そんな怒らなくてすむ。

「新聞に書いてあることが正しいと信じちゃう人がいるから困るんだよ」と嘆く人が、新聞の誤報に怒っているとしたらよくできた冗談だから笑えるけれど、ほんとうに怒っているらしい。

昔よりも今、今よりも未来、ひとつのことにまつわる専門知は細分化されている。これからも専門知は深く細かくなる。新聞は専門知を伝えられなくなるだろうし、伝達の役割は変わってもおかしくない。専門知やこれからの新聞の役割を模索しながら取材している記者の方々がいらっしゃって、そういう方々の記事を目にできたら幸運だ。

自省の仕方を知らず批判される機会を構造的に持たない集団は衰退する。ただおそろしいほど時間をかけて滅ぶから、私はその集団が衰退していっていることに気づかない。気づかないものにやきもきしてもしょうがない。

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