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ペットボトルを視野から消して微笑む怖さ

夜明け – ハンバート ハンバート でスタート。「これから先に何があろうともあなたと一緒に進んでゆこう」と思える人と出逢えたら幸せだし、出逢わなくても幸せだよ、きっと。私にはいた(いまもいるけどどこにいるかわからない)。いつも思うのは、「私たちは今めぐり逢った」と感じられるかどうか。それが感じられたら大切になる。

右下7番のセラミックが二回欠けた。一回目は補修してもらったが、二回目でさすがにもうもたないとわかった。10年前の補綴。先生がどうするか質問してくださった。「金(ゴールド)でお願いします」と即答した。先生とは長いお付き合いせいか、予感されていたらしく、やっぱりという表情を微かに浮かべていらしゃった。10年前より強度が高くなった材質もあると教えてくださる。

それでも私は金に拘泥した。あの「噛み具合」はお金に換えられない。いくらかかるか知らないけれど無理してでも抜けるまでは、金で補綴してほしい。上顎左右の奥は金を装着している。噛み具合が違う。歯科学の正解は知らない。私の場合、金歯は噛みやすい。セラミックは噛みにくいわけじゃないが、音が落ち着かない。音を吸収しない、音がはね返るような感覚。金はギュゥと噛めてセラミックはカツンとした感覚。金は物質を擂りつぶし、セラミックは千切るような感覚。

治療後、金が装着された歯で噛んでみて、無理してよかったと実感。

不思議。欠けた歯で数日過ごせば、穴があいていて気になっても時間の経過とともに馴れていく。慣れから馴れへの変化。これが怖いんだと改めて認識した。虫歯がなくすべての歯が自然歯ならば、その価値はどれほどになるか? 失ってみなければわからない。

身体は慣れから馴れへ順応する。就寝前のストレッチを一週間ぶりにやってみたら、身体は悲鳴をあげた。まったく気持ちよくない。痛いだけだ。ストレッチをしなくても身体は動いている。でも少しずつ、まったく感知できない微速で身体はかたくなっている、確実に。

身体はえらい。ストレッチしてから布団にはいったほうがよく眠れそうな気はするし、そう確信しているのに。つい怠けてしまっても、「よく眠れた」ことを忘れさせてくれるぐらいには眠らせてくれる。ストレッチするのとしないのとでは、「あきらか」に違わないから怠けられる。そうやって頭の怠惰を身体はカバーする。

身体はえらいからこわい。ぎりぎりまで我慢するときもあれば、突如訴えたりする。いつもと同じ動作を同じようにしているときにこそ頭をしっかり働かせて、身体の微妙な差異を察知しなければと緊張したいが、そんな緊張は1分も続かない。

昔に比べてまっすぐ歩けなくなっているし、反応は鈍くなっている。足を上げて歩いているつもりなのに平地で何かにつまづく、たまあぁに。この「たまぁぁに」の頻度は増えていく。

( こいです。こうえんのいけでおよいでいます。ひとになれているせいか、たっているとちかづいてきます。えさをまっているんでしょうね。 )

鯉

電車の窓際の座席にペットボトルが置き忘れていた。飲み干してある。先客が捨て忘れたか、面倒くさいから放置したんだろう。

そこに中年の男女が座ろうとやってきた。男性はペットボトルを取り、誰も座っていない別の席の窓際に置いた。そして女性に微笑んだ。

自分の目の前からなくなればそれでよい。目の前というのは、視野に入ったとしても、気にならない空間である。

電車のなかにあるはずの公共空間も小さくなっていそう。腰を下ろした場所はプライベートな空間に変わり、そこに目障りなペットボトルが置いてあったから、二人がけ座席の結界から外へ置いた。

愚かというよりも恐怖。