京都六条

「自分」がつめこまれたとても住み心地のよい街

ハンバートハンバート – 喪に服すとき でスタート。近ごろの具体的すぎる歌詞がだんだん聴けなくなってきた。もう少し抽象的だったらなぁと思いつつ、この歌詞を読んでいる。

京都の六条界隈が好き。先日、京都駅から歩いて大谷本廟へ墓参りに向かう途中、立ち寄った。17,8年前と比べて景観は更新されて商店街の店舗が入れ替わるようであっても、街の根っこは残っていた。五条大橋から正面橋の隅から隅まで歩きたい衝動を抑えて、古い記憶を頼りにそぞろ歩く。実際はどうだろう、変わったのだろうか。

世界で有数の観光地になった京都、六条は千年王城の懐の深さを垣間見られる。もう少し歩けば五条から三条まで観光地が続き、隣の七条は美術フリークには垂涎の的。六条だけが変化を拒むように、周りよりもゆっくりと現代に近づいている。

マラソンなら他の地域はゴールして、六条はいまからスタートを切ろうとしているところか。そんな時間のずれを感じる。

五条通りから南へ七条手前まで、鴨川と河原町通まで間の街並みは、独特の雰囲気を醸成している。まさに「合間」だ。歴史の特異な能力が人に心理的な影響を与えているんだろう、と根拠のない憶測を重ねる。触れない場所。勝手にそう感じるだけでなぜかはわからない。

通りがかった駐車場には黒のスーツを着た数人の男性がいた。いまもあるんだろうな。年配の男性と女性が高瀬川の川縁に腰掛けて道行く人々をながめている。道行く人々といっても、人の往来は京都と思えないほど少ない。案の定、話かけられた。

人が街をつくり街は人を変える。

環境と人が互いに作用する過程は見えないし手応えもない。慣れ親しんだ店舗が改装されて、あったものがなくなりなかったものがあるようになる。はじめは混乱しても何度か足を運べば頭の中の地図は書き換えられる。歩みも陳列にあわせて方向転換する。

建物と人の関係も連関していると思う。

以前、阪神淡路大震災の被災者の方々が住む公営のマンションの特集を見た。他人事ではない問題がそこにあった。被災した当時、50〜60歳だった人々も高齢者になって思うように身体が動かない。その苛立ちが節度を失わせるのか。荒っぽい表現で申し訳ないが、スラムと化してもおかしくない。ルールを守らない、ちらかす、壊す、自分勝手な人がひとり、ふたりと増えていく。

地域がスラムと化すか否かの格差が、これから現れそうに感じる。貧すれば鈍するは、自分だけはそうなるまいと戒めても、いつしかそこへ居着いているんだ。自分は絶対そうならないなんて言えない。

街が規格化されて小綺麗で、どれも似たような建物。マラソン中継が映す「どこを走っていても同じ景色」も怖いといえば怖い。でも心がすさんで街のほどよい衛生が失われ、釈然としない雑然な雰囲気に包まれたら、その環境は人を選んで吸い寄せるだろう。そうやって環境と人が一体になったときに手の施しようがなくなる深刻な地域が生まれる。

サラメシのワンシーン。立山に軽装で登山する若者へ引き返すように注意する山岳警備隊の方々。その身なりに驚いた。サンダルだ。一張羅につっかけがちぐはぐなように、サンダルで夏山に登ろうとするからには、それにあわせた軽い出で立ちで岩を登っていた。周りにはガスが立ちこめはじめて視界は悪くなっている。気温も下がりはじめた。

若者ものたちは山岳警備隊に促されて下山した。

若者に限らずこういう思考の人はいるし、自分も違う方面で同じ思考を持っているだろう。そうやって誰かに迷惑をかけている感覚が薄れて、「自分」を追い求める人々でつくられる街は、「自分」がつめこまれたとても住み心地のよい街なんだろうと想像する。