diary

変わると困るから嘘をつく

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2015.01.07 曇り時々雨

柴田淳 – 今夜君の声が聞きたい でスタート。歌詞に自身を投影したり、絵画を見るようにマクロとミクロを往来したり、聞き方はいろいろあるけれど、たった一言だけがずぅっと響き続ける詞もある。

森博嗣先生が、”一枚の絵を毎日見ていると小説を読むより情報量が多い”みたいなことをどこかで書いていらっしゃったと思ったけど、見当たらない。たぶんご自宅に飾っている絵の写真に文が添えられていた。正確な文章は覚えておらず、一枚の絵を毎日眺めることを書いていたように記憶している。

「写実」についてのコメントをいただいた。コメントにあった歌人の先生のお言葉が深遠だ。「そうすれば見えてくる」という意味はまだまだ理解できない。この先も理解できないかもしれない。でも、「見る」の思索に新しい視点を加えてもらった。毎日、同じものを見つづける。果たして目で見ているのだろうか?

雪の鳥居

「日本のアマチュアは、フィルムは買っても、写真の本は買わない」(植田正治 私の写真作法)とある。写真集か教本か、はたまた写真と文章の類か、どれを指すかわからない。後に続く文脈から写真集とも受けとれるが判然としない。

自分にはてはまる。写真集を買わない。読んで買いたくなった。はじめてデジタル一眼レフを手にしたときからプリントしていなかった。ディスプレイで鑑賞して満足していた。印刷は頭になかった。なぜかわからない。印刷したいという気持ちもわかなかった。

「印刷しての写真」と「これからはディスプレイ鑑賞が写真」の論争に興味はない。どちらにも見方はあると想像する。絵画と写真の比較が写真論にしばし現れる。絵を持っていないけれど、写真集を毎日めくってみたくなっている。

二十四節気、小寒。第六十七候、芹乃栄。「小寒の水、大寒に解く」との由。3ヶ月予報では暖冬と言ってような。暖冬かと訝る日々。が、年間の平均気温は上昇している。年が明けて野菜の値段が上がっている気配。気のせいか。特に葉物。

味覚が変わるなら性格も変わるんじゃないかと期待しつつ、甘いものを美味しく感じなくなってきた。正確に書くならば、美味しいと感じる甘いものが減ってきた。甘いものは好きだ。それは変わらない。ただ甘みの味覚が変わってきたように思う。たとえばケーキを受け付けなくなった、全部ではないけれど。あんこもものすごく甘いのはだめになってきた。以前は平気でたいらげた。好きだから食べるが、食後の至福に到達しない。以前ならすぐに昇天したのに。

昔なら気にならなかった臭いが気になるようになったり。肉類や乳製品、一部の魚類。それでもまだ食べるが、これもだんだん受け付けなくなるんだろうか?

読書のジャンルも変わってきた。写真の撮り方も変わった。これからも変わるだろう。

自分は変わらないと断定するほうが自分を扱いやすい。自分がころころ変われば、ほんとうの自分がわからない。ほんとうがあると思うから変わると困る。ほんとうがあると思う前に、「ほんとう」を問うのが道理であったとしても、ほんとうを問えば嘘を避けられない。嘘と向き合うのはしんどい。嘘をついているつもりはないからだ。

読みたくない本を読むのも嘘をついているつもりのない自分への嘘だろう。周りも読んでいるからとか仕事で必要だとか、誰かに聞かれたら答えられるにしなければならなかったり。たぶんそういう自分への嘘の積み重ねがほんとうであり、ほんとうはないと諦観できるまで自分は変わらないと希望を抱く。

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