灯籠の雪
diary

うまいをうまく使い分けられない

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Mark Ronson – Uptown Funk ft. Bruno Mars でスタート。20代、Funk が大好きで聴いた、染まった。Funk 系のリズムがラジオから流れたら今でも体がへんなんふうに動く。リズム感がないからどうみても変な風にしか動いていない(はず)。

なぜ上手いと感じるんだろう?

役者さんの演技を見て、上手いと感じる(上から目線ではない)。つい口にしていた単語が気になり始めたので辞書で調べた。見出しは「旨い・甘い」だった(岩波 国語辞典 第7版 新版)。△マーク、常用漢字表以外の音訓だ。意味は三つ。二つ目に”「上手い」「巧い」とも書く”とあった。いま感じている「うまい」はこの「上手い」あるいは「巧い」である。

もう一つ。写真を見て上手いなぁと感じる。つい便利に使っている上手い、なんかヘンでもある。演技と写真、感じ入る点は変わらないが、演技を見て言う上手いと写真に感じる上手いは違う。

上手いと感じる時、下手か普通(もしくは平均的)のイメージを持っている。そのイメージと比べて上手いと感じる。

疑問符。経験していないのにイメージを抱いている?

学生時代、バスケットとラグビーをかじっていた。これらを観戦したら上手いプレーはいくらか判る(つもり)。でもサッカーや野球の観戦中、あるプレーに唸っても上手いかどうかはわからない。「上手いなぁ」が口癖になっていて、言い換えれば凄いなぁである。凄いなぁもなんだか気恥ずかしい。より的確に表現できる単語を知らなくて地団駄踏んでいる間にプレーは目まぐるしく変わる。観戦しているのか己の語彙の少なさを嘆いているのか混乱する。

体験していないのに感じられる上手い。何か残像を持っている。それと比べて現れる感覚。下手と普通の基準は厳密ではない。加減もない。無意識のうちに比べているんだ。

この「上手い」、自分が感じる時のプロセスを振り返ったら、もっと言葉を分けなければいけないようだ。

写真を見ているとき、いろんな感想を持つけれど、分類すれば二種類ある。「上手い」と「印象に残る」。「印象に残る」という言い方しかまだできない。今よりも考える仕方を身につけられたら、適当に表現できるだろう。

最初はこの二つを混同していた。「おっ!」と感じた写真はすべて上手いと思っていた。

最近は違う。よく見ると「印象に残る」写真には上手くないのもある。技巧や技術の視点を固定して見る。すると「あっ、ピントが合ってない」「あれ、色がおかしくないか」「構図がちぐはぐ」などが見える。確信はできないけれど、仕訳できる。

今の私は上手い写真よりも印象に残る写真のほうに揺さぶられる。不思議。真似てみたくなり、何度も見る。

異次元の写真はあると思う。圧倒的に卓越した技術や技巧で撮影した写真。ナショナルジオグラフィックで紹介される写真かな。ただ審美眼と技術への理解力が足りないから、いつも見ているだけだ。評する単語は思いつかない。「見方」を涵養できていない。

「上手い」の中にも階調があるんだ、たぶん。

ところで、上手いを料理に例えたらどうなるんだろう。上手いは旨い、いまなら美味い。だけど、「印象に残る」料理があったとして、それが下手だと芳しく評判を招きそうだ。下手は不味いか。

「うまい」という言葉が気になりだしてから、写真の見方も変わったかもしれない。先日、NHKでタモリさんが、「言葉を信用していない 言葉を解体したかった コミュニケーションも解体したい 言葉って秩序であり、意味がある。意味の連鎖って重い。それを解体したかった」と仰っていた。響いた。私も信用していない。なのに言葉にしなければならない。ここに絶対に近い矛盾を抱えている。そう思っている。

写真を「そのまま」見る事もままならないほど支配されている。

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