牡丹
diary

イメージを多用するほどイメージしていない

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被写体がフワっと浮き上がる瞬間。 ごくまれな機会。目にした「その」部分だけが、完成させたパズルのピースを一枚だけ取り出しように見える。ピースがほんのわずかに浮いているみたい。

さらに「その」部分を精確に撮影できたたらとてもうれしい。ファインダからのぞいた途端、別の物に変わってしまう。たいていはピースを取り出せても精確に撮影できない。

フワッと浮き上がる瞬間が万に一つである上に、一枚のピースを精確に撮影できるのも万に一つとなれば、確率を高校3年生で選択したけどボロボロだったことを思い出した。

ファイダから見える世界は別の物。四角と四角の外側が同じ世界と思えないときがある。

コンパクトデジカメ や スマートフォン、あるいはノンファイダーで撮影されたとてもすてきな写真を見たときにうらやましくもあり、自分とは異なるスタイルだと納得したり。やっぱり四角をのぞきたいんだなぁって。

湖畔へ向かう道すがら今日の湖面をイメージする。風の強さや湖面の色、波、人の配置、陽射しや影。道の途中で目にしたものが、フワッと浮き上がる。なかには書店で背表紙と目が合うみたいな、向こうが感覚を刺激してくれるときもある。

湖畔が見えてきて実際の風景を前にしてイメージに近かったことはホームランバーの当たり棒より低いと思う。

イメージを岩波国語辞典で引くと、「心の中に思い浮かべる姿・像。心象」、心象と引くと「感覚(的要素)が心の中に再生したもの。イメージ」と書いてあった。

「こんなイメージで」と会話で使う。使いやすい単語。イメージと言えば伝わったかのようで、「こんな心象で」と言えば、聞き返されそう。イメージも心象も意味は親戚か親子か双子なのに、出演回数はまったく違う。

辞書を引いて増幅した違和感。心の中に描く像。心。像は頭で描いている(はず)。以前から釈然とせず、調べようにも術がわからず、「なぜ心なのか」を心に留める。

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