着古した上着

着古してるけど心地よく

上着をベンチへおいた。ファインダからのぞく。苦手な物撮り。幸い平均気温より高め、かろやかな陽射し。上着なしでもすこしなら大丈夫そう。何年着ている? 10年近くかな。はじめから手入れしておけばな。状態はもっとよかったはず。

ボロボロ。藍染めだったかな。もとの色からすっかり褪せて、ところどころハゲ…た。しなびた生地。袖口は両方とも破れた。

昨年、お店へ持って行った。繕ってもらえますか? 困り顔の店員さん。生地の在庫がないとの由。あれこれ説明してくださったけど、頭に入ってきた説明は、街の専門店らしきところへ行ったほうが直してくるかもだった。しょんぼりして駅へとぼとぼ向かった。

抜群の着心地。体のラインになじむ。まるで上着が体形にあわせて変形したみたいだ。合う、ピッタリ、自然。

体になじんだ服を着古しても袖をとおす。おちつく。心地よく。なに言われてもかまわず着ている。みすぼらしくてもね。

やぶれた袖口

本を処分。60冊ほどあった。文庫や新書が多かった。無意識はこわいよ。そう感じた。処分する本をぱらぱらめくる。付箋をはったページの内容をどこかでしゃべっていた。

鼻息荒くしてお客さんへコレ話すぞぉ。そんなわけなくて、複数の本にまたがった内容を設えて、あたかも私見のようにしゃべっている。こわい、こわい。剽窃の意識がない。

書籍自体にもそのたぐいはある。国内に翻訳されていない海外のビジネス書のエッセンスを加工して、あたかも自分で考えたかのように開陳する。

20代〜30代の前半、そうとは知らずにその手の書籍をいそいそ読んだ。関連書籍へ手を広げる。「種本」に出会う機会がふえる。爾来、(いまはまったく読まない)ビジネス書を買うときは、「種本」を探すようになった。平積みは要注意。

無意識と遊ぶ。同じ景色を毎日見る。対して膨大な写真をスキャンするように手当たり次第見る。

同じ景色を毎日見られたら、こころの肥やし。無意識では見られないと思う。目をこらして見る、テーマや発想を持つ、視点を定める。そんなふうにして見つめても、変化に気づかないかも。難儀な定点観測。

見るという行為。

20代、生駒山のうつろいを知らなかった。春は満開になって「春や」、秋もすっかり色づいて「秋や」、一瞬思う。一瞬だけ。兆しに気づかない。冬は消えていたかもしれない(思い出せない)。

40代、公園のうつろいをほどほどに気づく。定点観測。とたんにわからない。鈍い。まっ、しょうがないわ、のかるぅぅぅいため息。

反対にたくさんの写真をただ見る。フフフ。無意識。テーマや視点を定めずどんどん見る。そしたら自分の写真を見てあとから知覚する。「あの写真をまねてたな」って。

だからいま見ている。いままで見なかった写真、Portrait。色調や構図、技法を考えずに見る、見る、見る。自分の好みがわかってくる。花や草木で好みのトーンをためしてみたり。人と花ではまるきりちがう。それでもかまわない。

変化。歓喜。与えてくれた、存在。わたしはなにを贈れるだろう。

歌詞のない音楽も好き。