琵琶湖

いい生活とじぶん自身で生きること

第六十五候、麋角解。麋はヘラジカ、オオジカをさすらしい。日本の自然では見られない動物。七十二候の言葉にはいる妙。旬のさかなは鮟鱇との由。鍋用にさばかれたパックに一瞥を投げても食べないなあ。あん肝、酒飲みには垂涎の的かな。

あんこう鍋ではなくクエ鍋を一度食べた。おいしかった。もくもくと食べた。ほどよい脂と出汁が、からまってほろほろと食う。刺身はびっくりする甘さ。

旬の野菜は黒豆。おせちをご用意なさる家庭では、その家の「味」がありそうな代表選手。私は元旦にお餅を食べるのみ。季節物としての縁はない。

新しい情感、眠っていた情動、向き合わなければならない仄暗い感情に出会った。逃げてきたことや避けてきたことが、日々の景色の前に立ち現れた。

できるだけ身を軽くしておきたかった臆病風。歳とともに複雑にからまり交錯する幾多の関係を持つ他者を目にして、なるべくからまらず簡素な関係図をつくった。

密室に押し込めて視線をそらせていた内側。目を向ける。手に取った『本という不思議』(長田弘 みすず書房)。

アリーおばさんがとても大事につかっているのは、三つの言葉です。ハード・ワーク、たいへんな仕事。グッド・ライフ、いい生活。そして、リヴィング・バイ・マイセルフ、じぶん自身で生きること。P.190

三つの言葉。自分に問いかけてみる。

ハード・ワークは「毎日毎日のたいへんな仕事をちゃんとできる」こと。そこに人並み、または人並み以上に稼ぐニュアンスはない。なのにしこりを残しながら読んだ。拭い去れないコンプレックスへクエ鍋でもごちそうしようかしら。

「たいへんな仕事ほど楽しい仕事はないのですよ」
ウンウン、わかるわかる。たしかにそう。とてもややこしいネットワークの設定は、楽しいから。

「働くことが楽しい毎日」がいい暮らし。仕事が終わったら今日のじぶんの仕事のことや見たこと、感じたことを、毎夜何時間もユリシーズと話すアリーおばさん。

「裕福な暮らしではなくて、じぶんがちゃんとやってゆけると思う」のがいい暮らし。鼻の奥がライトなツン。

個人事業主を選んで後悔していない。でも仕事へ全身を打ち込めない。恥じている。クライアントの方々の熱量に圧倒されながら、お手伝いできて感謝。あの熱量と資力は産出できない。あの熱量と資力が家族を守っていらっしゃるんだ。輝いている。嫉妬の30代。いまはうらやましいより、人生のすばらしい瞬間を拝見できているんだろうなあ、ってなんだか感じる。

もし個人事業主を廃業しても恥はない。
今までよりもっと頭を下げて働かせてもらえる場所でやっていく。

私は二つの言葉を成し遂げる。
グッド・ライフとリヴィング・バイ・マイセルフ。

仕事へ全身を打ち込めなくても、きちんと仕事をこなす。
そして今日見たこと感じたことを毎夜何時間でも話す。
裕福ではないけれど、じぶんがちゃんとやってゆけるなかで過ごす。

いまを努め未来の形をそなえて描く。
捧げて尽くす。
“だけに生きる”が、私のリヴィング・バイ・マイセルフ、じぶん自身で生きること。