琵琶湖の夕暮れ
diary

とっても長そうな影の先っちょ

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谷川俊太郎さんの『一時停止 自選散文1955-2010』(草思社文庫)に所収の「やさしさの定義」を読み、やさしさの深みを感じた。

「それが何かを言葉にするのは難しい」けれど、誰もが触れて口にする。
問われたら答えに窮する。

やさしさは悲しみ、苦しみ、怒りなどやさしさにそぐわないと考えられているような感情に濾過されて、はぐくまれるものであるのです。

やさしさは権力や財力や知力のような強い力の対極にあるものです。やさしさもひとつの力ですが、その力は微かで繊細でときに弱さと混同されてしまうような力です。それは競争社会の中では、勝利よりもむしろ敗北をもたらしかねません。しかし、もし私たちが何をもっとも大切に考えるか、その基準をほんの少しでもずらしたとき、やさしさは人間をどんな力よりも強く生き生きした生へと向かわせます。P.297-298

やわらかいたべものがつるり喉を通るみたいに頭へ入った。
途端、「何をもっとも大切に考えるか」は、「誰」に、「何」にかかるのだろう?

深奥。

これを読んですこし経ってから、犠牲がリンクした。辞書でひいた。

一層重要な目的のために、自分の生命や大切なものをささげること。『岩波国語辞典 第七版』P.328

iPhoneの辞書アプリ『大辞林』にはこう記されている。

目的のために身命をなげうって尽くすこと。ある物事の達成のために、かけがえのないものを捧げること。また、そのもの。

辞書の意味は、犠牲が醸す悲哀あるいは悲壮を消して、澄んだ情景を浮かべさせた。

それから犠牲の前に自分をつける。「自分を犠牲にする」という。思想的にいえば「自己犠牲」とでも。輪郭に付く桎梏。どこかぎこちない響き。

ぎこちなく聞こえるとしたら片方の見方。
自分を犠牲にしている、と他者は感じても、本人の心にはよろこびが充溢している。そんなふうに人生を送っている人は、いそう(たぶん)。くっきりした人物像をまだ描けないけれど。

「自分ではないもの」のために。
自分への恵みを問わず、尽くすこと自体をよすがに行き暮れる。
核は空。
内核と外核は尽くしていることでいっぱい。
詰まっている。
玉を抱えて平穏に暮らす。
ときどき立ち止まって問いかけて。

と書いても、経験していない空疎。上滑り。

権力や財力や知力と違って、やさしさの力は人間社会を動かすだけにとどまらず、人間を超えた自然に、そして宇宙に私たちをつなげる力です。自分ではないものを生かすことと、自分を生かすことが一致する場所にやさしさは生まれるのだと思います。P.298

「一致する場所」を想像する。
想像することも「それが何かを言葉にするのは難しい」と感じる行為。

「何をもっとも大切に考えるか」を巡り、続けて、やっていく。
それが人に与えられた想像する力かな、といまは問うてみたり。

無私のやさしさ。そんなのあるのかなあ。
もしあったら、その影、とっても長そうな影の先っちょを踏んでみたい。
はじめての景色を見られそう。

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