琵琶湖

ほんのすこし足した塩が味を調えるみたい

第七十二候、雞始乳。旬の魚は真鯛とのこと。あら煮が好物。鯛も鰤もかぶと煮に目がない。旬の野菜は牛蒡。根っこを食べる。うまいものはうまい。香りが食をそそるんだから、匂いを食べる、五感で食べているようにも思う。

”にわとりはじめてとやにつく”

ふりがなが、ふられていなければ読めない。読めても漢字から意味を類推できない。なぜ「フリガナ」と「ふりがな」があるんだろう? 元号と西暦。元号を「M,T,S,H」で省略したり、日本”語”の問題か、日本”人”の気質か、書類の形式の自由度が高い。

「フリガナ」でも平仮名で書いている人をたまに見かける。反対のケースもある。「名前」も姓と名なのか、名のみなのか。名字、名前、氏名、姓名。

そんなこんなを思い浮かべていたら、翻訳家の鴻巣友季子さんのtweetにうなった。

言葉のプロの方々が払う並々ならぬ努力。言葉へのニュアンス。「利用する場合と避ける場合」を解説してもらわなければ、すっと読んでしまいそう。

単語は語感を持っている。たとえば“唯一”を『日本語 語感の辞典』で調べる。

一つだけの意で、改まった会話や文章に用いられる硬い感じの漢語。<ー無二><ーの欠点><ーの企業><ーの悩み> P.1084

「ただ一つ」「たった一つ」が類似にあげられる。

【唯一つ】それだけしかない意で会話にも文章にも使われる和語表現。「唯一」よりやわらかく「たった一つ」ほどくだけていない。P.634

「いや、そんなふうに感じない」語感もあるから、言葉の持っているニュアンスは、色や形が少しずつ異なるリンゴをそれぞれの人が持っているような感じ。まったく同じリンゴを持つほうが少ないかも。

「どうしてこんなふうに描写できるんだろう」と、吉本ばななさんの小説からいつも感じる。ふだんの会話で使っている単語。それらが集まる。組み合わさる。文となり、ほほえんだり、切なかったり、泣きそうになったり。文から文へ。物語が終わる。物語から現実へ帰ってくるまでの「間」に戸惑うときもある。

ひとり、山本屋へ向かって黄昏の中を歩きながら私は少し淋しかった。夏の終わりには失われるふるさとの道を行き来する確かな気だるさを心にとめておきたかった。まるで刻々と姿を変える夕方の空のように、いろいろな種類の別れに満ちたこの世の中を、ひとつも忘れたくないと思った。
『TSUGUMI』(中公文庫) P.135

話すときは、相手の表情や仕草を含んでニュアンスを理解している。気持ちを汲む。面と向かって確かめずに、推し量り、誤解しかねない。

言葉の役割は伝達だと思っている一方で、そうでもないと感じられる機会がふえた。

人前で黙っていようとしても、しゃべりすぎてしまう自分が嫌で、気が滅入っていた。なぜか? 悩んでいた。すこしわかってきた。相手を信用していないんだ。私の説明がおぼつかないから、伝達できたか気がかりだ。説明を改めなければならない。わかりやすく端的に話さなければならない。にもかかわらず、相手を信用していないと言い訳している。欠点は棚上げされたまま。

もっと奥へ進んだら、どうして言い訳してきたかわかってくるかな。

沈黙は信頼と安心に支えられる。無二を前にしゃべりすぎない。唯一信頼しているからだ。話していても黙っていても安らいでいる。空気感。

信頼を分かち合えば、言葉は理解を深めるために在る。心を乱したり騒がせるためにあるんじゃない。想像にまかせられる。(ずれることなんてないんだけど)もしずれていたら少しの言葉を届ける。

ほんのすこし足した塩が味を調えるみたいに。