琵琶湖
diary

こだわないことにこだわりなにものこらない

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愛着。人よりも物に対して使われる印象がある言葉。愛着のある品を持っている? ジャケットと財布。愛着と気づかず持ちつづけているのもある。

どうしてもほしいものじゃないから買わないまま終わる、ダッフルコートとブーツ。イギリスのブランド。一生持ちつづけられるはず。残りの時間、手入れして丁寧にあつかえば、なにがわかる? 靴底の減り方をたしかめながら磨く。ブーツの皮やコートのトグルの色がかわる。元の色を思い出せないだろう、たぶん。そんな様子を想像する。それで十分。

愛着はどうやってわいてきたかわかならいけれど、いつのまにか心の居間でくつろいでいる。

物そのものへの馴染みか、共にしてきた月日が懐かしいからか。

こだわらないことにこだわろう。

あるエッセーに触発されてから心がけてきた。子供のころから勝ち負けへ執着せず、生来の行動に輪をかけてふわふわしていた。とりわけ「家」への情は薄かった。

中学卒業と同時に生まれた家から引っ越し、成人して家を出るまで過ごした実家は10年ほど前かに引っ越した。現在の実家は自分のいなかった場所。

帰る家がずっと同じではなく、そこで育った記憶が15年ごとで一区切り。空間と記憶は続いていない。

「家を持つ」気構えがなかった。むしろあちこちを転々としたいと思っていた。

クライアントの先生が、いまの私の年齢ぐらいのときに家を建てられた。とてもうれしそうに話してくださった。破顔一笑だった。はじめて拝顔した笑顔だった。家を持てるとこんなふうに話ができるようになるんだなぁって驚いた。

四十になったころからか、いろんなモノやコトに対して心の持ち方が動いているような気がする。

家を持つ。かけがえのないこと。そんなふうに感じはじめている。私は今さら家を持てないけれど、「家を持つ」ことには特別な愛着がありそう。数年前から街中の家々を横目に散歩していたら、そう描くようになった。過ごした空間と記憶がつながった帰る場所。

こだわらないことにこだわってきたらなにものこらなかった。

息をするように嘘を吐く人だったら、さびしくない、と言えただろう。

自ら選んだこだわりだったからそれでよかった。残念ではない。ただこれからはなにかを残したいな。一つでよいからなにか残したい。

歌詞は書けなくても、こんな詩を書けるようにがんばりたいなぁ。

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