紫陽花
diary

最期まで四人でいけると思っていたのに

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ご近所への挨拶まわりにつきそったところ、ある奥様が顔をくしゃくしゃにして別れを惜しんでくださった。いわずもがな今生の別れである。「もう家族だったと思っていたから最期まで四人(ご夫婦と祖父母)でいけると思っていたのに」との涙顔の言葉が素敵だった。30年間の時間が積み重ねた「地域」の肌に触れた瞬間。30年 – THINKSELLの裏側

こだわないことにこだわりなにものこらない の続きらしきもの。四十になって心の持ち方が動いた一つに地域。歯科医院のミーティングで口をついて出る言葉。地域。

半径が長い単語。ご近所づきあいにすれば、とたんにコンパスでくるりと円が描けそうな半径になる。

いまの住まいはご近所づきあいどころか、住人が入れ替わる。住んでいらっしゃる人を存じ上げないときもある。子供を授からなかったから、その「地域」も知らない。

こだわらないことにこだわりなにものこらなかったのと同じく、自ら選んだことだから残念には感じないが、この先もご近所づきあいはないとしたら、こんな無知な大人でよいのか、いささか気がかりでもある。以前、留守中の実家に立ち寄り、門を開けようとしたところ、ふと気配を感じて、ふり返ったら、向かいの方が不審そうに私を見ていた。すぐに挨拶したら、安心したご様子。そらそうだよ、足を運ぶたび、なつかしさはまったくなく、観光気分で家々を眺めてしまうように、ご近所の方々は私を知らないんだから。

冒頭の奥様のお言葉。私は祖父の隣に立っていっしょに挨拶回りしていた。奥様の表情が目に浮かぶ。読み返す。いまの私なら隣で泣いているかもな。四十こえて、ふと泣くようになった。時折、どうして泣くのかわからない。

楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい。悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい。なにかで目にした言葉。言い得て妙。

30年のご近所づきあい。家を持ち、一つの場所で住み続けたつながり。家族とまで感じられる人と人のつながり。空間と記憶。重ねた月日がその場所にあり、そこで紡がれた関係。幸せの最高の形かもしれない。断言できないのはその世界を知らないから。

深く深く考えず選んできたことは日常の後景にあった。それがいつしか日常の前景にある。やってこなかったことへの憧憬でもある。

柴田淳さんの歌詞。

最期の時に 想い出す人こそ 一番愛した人 私は夢のあなたに笑うでしょう

「最期まで四人でいけると思っていた」の意味と情感を祖父が理解できたかどうかわからない。でもきっと心に届いている。

あんな言葉を口にしてもらえる、あるいは伝えられる関係。30年。地層のように長い年月をかけて生まれた関係でもあるだろうし、加島祥造先生のように最晩年になって、心のもっとも深い部分が一瞬で共鳴して、最愛の人となる関係もある。

地域。家。場所。空間。記憶。関係。これからも心の持ち方は動いていくだろう。

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