琵琶湖
diary

言葉をあつかえるようにたくさんのもどかしいを味わおう

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“どうあがいてもあなたの人生を生きることはできないんやから。私らができるのは社会に役に立てるように送り出すこと。”

父親の言葉。いつ言われたか覚えていない。たしか前半と後半は、別々に言われた。二つをつなぎ合わせている。一対として記憶していた。

父親と差し向かいで飲んだことはなく、二人だけで真剣に話した記憶もない。お互いどう接してよいのやら、わらかないんだろう。そう想像している。

母親には学校で起きたことを何でもよくしゃべっていたらしいが、なにかを事前に相談しなかったし、たいてい事後の確認か、Yes or Noを答えてもらう質問。

母親には字をきびしく躾けられた。宿題のノートを見せる。ダメと判定された字は全部消された。泣きながら書き直した、かすかな記憶の残骸。社会人になってからの極端な癖字を目にした母親のしかめ面。私は微笑みながら見ていた。

冒頭のシリアスっぽく感じられる言葉は、どんなシチュエーションから出てきた? まったく覚えていないのに、記憶の鋏は言葉だけを時空から切り取って、はりつけた。

いまのところ社会に役立つことはできていない。これから一つはできるんじゃないかと期待している。献体。昨今はややブーム?! 共同墓地へ埋葬してくれる(らしい)。やや首をかしげたくなる動機だけど。大学側も対応に苦慮しているみたい。

社会に役立つかどうか判然としないけど、相手をねじ伏せる所作はなるべく慎んでいる。心がけ。暴力は論外として、とくに言葉。

正しさ。

とりわけ「私が正しい」の理路。「私が正しい」を説明する。そしてねじ伏せる。物理や数学は、食べたことのない納豆を食べるより苦手だけど、それらにまつわる物語を好んで読む。

物理や数学にまつわる物語は、「わからない」ことへの挑戦の魅力を教えてくれる。読んでいたらわくわくする。

「わからない」ことがふえれば、人と人との間に正解はないとわかってくる。なのに「私は正しい」と説明する。でもその中身を論理的に緻密に反対できる人がいたら、「あなたが間違っている」としか言っていないんだ。「正しさ」を証明しているわけではない。

知識や経験を駆使して、「あなたが間違っている」と理を説けば、「私が正しい」と確認できる。相手より優れていることを感じられて安堵する。

優劣を比べられる事柄はある。それはごく限られた状況でしか発生しない。そして、その時間は人生のほんの一瞬。

きびしさを伝えているようでねじ伏せている。混合してしまいがち。言葉は相手を痛めつけるためにあるんじゃない。

言葉の役割。褒めるだけではない。やさしさだけでもない。相手と重なっていること、重なっていないことを確かめて、互いに敬意を払う。年下だから、知識がないから、勉強していないから、とかそんな理由で敬意を払わず、重ならないことへ苛立ち、ねじ伏せる。

言葉を丁寧にあつかおうしたくても、むずかしくて悩む、迷う。悲観していない。言葉を丁寧にあつかえるように心がければ、すこしでも進化するだろう。

言葉について授かった最高の幸運は出逢いだ。言葉が、言葉にできないぐらい不思議なほどぴったり合っている人と出逢った。無二。

大切や大事という単語を使わずに、「大切や大事に想っていること」を言葉にする。いまは語彙も表現力も持ち合わせていないからできていない。つい「大切」「大事」を使ってしまいはがゆい。もどかしい。いつか使わずに伝えられるようになりたい。

包み込み方はいろいろある。言葉はその一つだと思う。

奇妙くんの赤いスイートピーは震えるわ。

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