琵琶湖

省察

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劣等感コンプレックス。
学術はおもしろい言葉を生み出す。

“わたしはハゲている”

これは主観的な劣等感。
主観的な劣等感を抱くのは健全らしい。

“どうせハゲているから女性にもてないんだ!!”(もてたいとまったく思わないけれど、例え話として)

これは劣等感コンプレックス。
わたしはハゲている”から”を理由にして、問題を解決しないままにしておく。
ハゲているからもてないんではなく、仮に髪の毛があって、もてなかったら、他の訳あり、かと。

たしかに心当たり、ある、ある。

帽子をとれない。
まわりの視線が気になっているなあ。
お店で珈琲とベリーとチーズのフランを食べていて、私といっしょにいる相手がどう思われるか、と気にしたり。

まさに劣等感コンプレックス。「相手」を理由に帽子をとらない。専門用語なので間違って解釈しているかも。

自分の容姿や性格について感じている嫌な部分を理由にあげてくよくよする。そんなふうに咀嚼した。私は●●だからと言って何もしない。

過去の私だな。己のくずっぷりを自分で慰めて、それが私と言い聞かせて、何もしなかった。岸見一郎先生がおっしゃっていたように、何もしないことは悪いことではないし、そういう人生もあるだろう。

省察がもたらす劣等感はしょうがない。ただ省察でさえ、自己の語彙でしかできないのなら、己を慰撫しているだけ。省察か自慰かを自らでは認識できない。難儀です。

他人と比較して生まれる劣等感はいらない。
まだたどりつけていない「あそこにいる」自分をめざして、現在位置を確かめるための劣等感は持っていよう。

劣等感コンプレックス。
おもしろい言葉。
もっと勉強しよう。

Photo なのに書きはじめたらノンストップ、 Diary みたいになった。