琵琶湖
diary

論理も詩情もなく即興で生々しい

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ミモザの日。毎日、なにかの日が通り過ぎる。昨年、Instagramのフォロワーさんの写真で、ミモザを拝見してアクセントのある暮らしが伝わってきた。

セキュリティーチェックもかねてときたまアクセスログを確認する。大半は一見さん。キーワードを入力して、ヒットしたブログ内のページへアクセスして、どこかへ去っていく。

なかには一見さんでない方々もいらっしゃるみたい。定期的にアクセスしてくださっているのかな。先日は、コメントをいただいた。コメント欄は機能していなかったので、びっくりしたけれど、ありがたかった。どういうのをご覧になっているかわずかに伺えた。

ブログを書く場合、PV(プレビュー:閲覧数:アクセス数)をかせぐために、画面の向こう側の人たちが読みたくなるような記事を書く。PVを稼いでなんぼがブログ。一つのジャンルやテーマに絞って書いたり、専門分野に特化したり。もしくはお店のプロモーションのひとつ、などなど。ここはそういうブログではなく、書きたいように書いている。

本来、文章を書くとき、「わかっていること」を書く。「わかっていること」を精査して、論理の順序を組み立てる。序論から結論まで書く。基本中の基本は「事実」と「意見」を峻別する。一本の筋道にそって書く。

ここでは「わからないこと」を書いてきた。書きながら考える。「わかっていること」は書かない。あるいは、無意識に省略してしまっている。読み返せば、こちらの頭の中では文脈がつながっているから、「こういうことを考えてたのか」と納得できる。でも、省略された文章を読む方は、1から10へいきなり連れてこられたようで、間の2から9までがつながらない。京都からのぞみに乗って、気づけば名古屋。一本だからわかる。万が一、毎日、ルートが変更されて知らなければ、「一体どこを走っている(書いている)」と困惑する。

文章は、言葉を重ねていく作業でもある。こちらがわかっていても、省かないで書く。「わかりきっている」ぐらいで書けば、思考の流れが、ほどよく現れる。

ブログの目的はPVの獲得ではなかった。そういう書き方はしなかった(できなかった)。また原点に戻ってみようと感じはじめた。自分の思うままに書いてきたからか、会話の能力が、著しく低下している。相手に理解してもらうために話す・聞く力の衰えを痛切に感じる。

今年から紙の日記を再開した。本心かどうかもわからないことを書いている。今日、感じたことを素直に書く。ネガティブなことも書いている。読み返してそう感じる。ライブでは感じない。ありのまま書いている。ネガティブも内面の一部と認識する。とにかく思うまま、誰かに読まれることを考えない文章は、論理も詩情もなく即興しかない。生々しい言葉がならぶ。

変わっていくものを受け入れて、それに適応できるように心身を整える。

TLで拝見した。久しぶりに聴いた。響くなあ。

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