琵琶湖
diary

人は変わると嘘を言って本当に変わる

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三寒四温。日が長くなり、冬籠もりを終えた人々が、夕方の湖岸に現れはじめる。春の風が波を立たせる。釣り、散歩、ウォーキング、ランニング、キャッチボール、サッカー、ダンス、年代ごとの情景に感じられておもしろい。いつも撮影している大きな木の根元に目を向けた。緑が目立ってきた。色は徐々に変わっているのに、「いつの間にこんなに生えて」と毎度驚くばかり。見ることの妙を湖岸から学ぶ。色褪せた身の回りの物は月日を感じさせる。毎日見ている物であっても、色褪せてゆく様子をくっきり覚えてはいない。あるとき、いきなり気づく。

西の山側から若いご夫婦が乳母車を押しながら歩いてきた。南からは三上山のほうを指さして話ながら歩いてくる年配のご夫婦。子育てに勤しむ二人の未来が向こうからやってきたかのよう。二組のご夫婦がすれちがう。時空がねじれた数分間の短編映画みたいだ。

若いご夫婦と年配のご夫婦。年配のご夫婦に子供がいらっしゃると勝手に想像した。一本の時間の線を引く。私は“中間“あたりかな。どうかな? わからない。”中間”にしたがってるだけか。

歳をとるにつれ、記憶が重なり合い、語り合う時間が積み重なる。時間の格子戸を開く。思い出がしまわれた記憶の部屋。記憶の部屋が自然にふえていくからいっしょの思い出がたくさん貯まる。それが家族の暮らし。一人で暮らしていたらどうなんだ? 自問自答をくりかえす。

一本の時間の線上を走っている。若者は線上の景色にさして興味なく、もっぱら自分を楽しんでいる。走って行くにつれ線上の景色を名残惜しむようになっていく。桜を愛でて純粋にきれいと声を上げていた若者は、束の間に消えていく様を自らに重ね合わせる声へゆっくりゆっくり変わっていく。

人は変わる。自分にはそう感じる。詩にふれたり、散歩を好きになるなんて想像していなかった。昨年から雑誌をよく読むようになった。テレビの視聴時間は年々減ってきた。連続テレビ小説と日曜美術館を録画してみる。それ以外はほぼみなくなった。録画番組が増えていくのを楽しんでいた30代前半が嘘みたいだ。子供を授からなかっても気にしていなかったのに、数年前から授からなかったことについて自分への言い訳を探していると認識した。きっかけは散歩の途中で小さな子供を見たとき(としている)。子育て真っ最中でも孫を迎えるでもない、いまの私に動揺した(と思う)。きっかけは、現在のありようを納得させたいための後付けなんだけど、なにかを「きっかけ」にしておかないと、現在が不安定になりすぎて制御しづらいから、出来事ときっかけを無理やり接着している。

人は変わらないと言う人もいる。本当であっても私には嘘になる。嘘と本当、よくわからない。谷川俊太郎さんの「うそ」が強く刻まれている。

いっていることはうそでも
うそをつくきもちはほんとうなんだ
うそでしかいえないほんとのことがある

『うそ』 『はだか―谷川俊太郎詩集』より

詩の引用は悩ましい。一部分だけを引用してもニュアンスは表せないと思う。かといって詩を読んで受けとめる仕方はそれぞれで小説や散文よりも自由だとも思うから、引用してもよいかと考えたり。たぶん検索すれば全文掲載してしまっている方はいるかもしれない。三行は使い込まれた銅の卵焼き器にこびりついた油のように残っている。

面と向かって話しているのに、
本心で話していない気がするときがある。
人間関係の中でもっとも本質的なのは正直であること。
そして正直な人間関係は、
嘘をつくのと同じくらいスリルを味わえるのだ。

KINFOLK JAPAN EDITION VOLUME 12 (NEKO MOOK) P.24

正直者ほど嘘がうまいと古畑任三郎は言った。「肝心のところだけ嘘をついて、あとは出来るだけ本当のこと」を話す。反対に嘘が下手な人はすべてを嘘で固める。

嘘をついて笑わせるのと本当を言って傷つける。「どちらが〜だろう」と二者択一を迫る時点で嘘だろう。本当なら答えはない。

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