自分のために何かを続けることはできない

「習慣は第二の天性なり」

習慣を広辞苑で調べた。例示されていた。習慣の意味は二つある。一つは慣習。冗談かと思ったが、そう書いてある。もう一つは「(心)反復によって習得し、少ない心的努力で繰り返せる固定した行動」とあった。辞書を編む方々が絞り出す語釈に唸った。

「少ない心的努力で繰り返せる固定した行動」から浮かぶイメージは? 食事、風呂、トイレ…??? ちがう、ちがう。食事は生きるために摂り、風呂に入らない人がいて、トイレは自由意志に関係なく続き、ましてやトイレにかかる心的努力は時に計り知れない。

ぱっと浮かんだ行動は歯みがき。歯みがきは不思議な存在だ。磨かなければ自分の歯を失う。対面したら顔をそむけたくなる臭いを放つ。自明であっても磨かない。にもかかわらず歯間ブラシやフロスまで「少ない心的努力で繰り返せる固定した行動」として、歯科業界内では分類されている。

歯みがきの”する”に丸をつけて、歯間ブラシやフロスには”しない”に丸をつけるほうが多数派か? 歯みがきの回数も一日一回、二回、三回、歯ブラシをモバイルして、間食後も磨いているかもしれない。歯みがきは一日一回だったら、業界内は「習慣」とみなすのだろうか? 私は朝と夜の二回。昼の歯みがきは週3日(いや週1回以上3回未満ぐらい)。

歯みがき – 一本の棒と先端に装着された人工の毛にジェル状の物質をつけて自分の歯を磨くこと。(図説)

電子辞書(そんなものはないかもしれない)の「歯みがき」をみて、「21世紀の人たちは自分の歯を磨いていたのか!!」と驚く未来の人たちがいても不思議ではない。歯みがきしなくてもよい洗浄液が開発されたり、永久歯を再生できる歯科治療が発明されたりするだろうし、何度でも歯が生えかわるような遺伝子治療が開発されている22,23世紀を想像できる。

習慣を連想していたら悪習が浮かんできた。辞書を引く。「わるいならわし」「悪習慣」との語釈。悪習慣? なんだ、なんだ? なにがある? 善悪の区別は一筋縄ではいかず、区分自体が眉唾物。

悪習から連想して、煙草やアルコール、賭け事が浮かんだ。これらは「少ない心的努力で繰り返せ」ても、依存性が高いから、心的努力の有無に関係なそうだ。はじめるきっかけは容易ではあるけれど、「吸わない」「飲まない」「打たない」を毎日繰り返せるようになるためには相当な心的努力が求められる。苦労しないで煙草と酒をやめられたが、その後の「飲まない」毎日を繰り返すために骨を折った。

おやつにスナックパンを食べたり、コーヒーを飲むのは習慣? コーヒーはカフェイン依存症があるから習慣とはいえないかも。スナックパンを好みすぎてしょっちゅう食べるのは癖? 癖を辞書で調べた。語釈に「習慣」とあった。こちらにも「悪」をつけられる。

たまにやっていた行為が、「少ない心的努力で繰り返せる固定した行動」として定着するまでの「心的努力」を記録していたら、世界でまったく必要とされない稀少なデータになったかもしれず、とはいえそこまで自己愛は強くないから、いつどうやって「習慣」になったのか自覚できない。好きだから繰り返せるとはかぎらない。歯みがきが好きかと質問されたら、「知らんがな」と即答できる。

就寝前のコップ一杯の水とストレッチ。朝のラジオ体操第一・第二。(毎日ではないけれど)湖岸の撮影。これらは自分のためにやっていたときは、続かなかった。しばらくやらなかったりした時期もあった。いまは、「少ない心的努力で繰り返せる固定した行動」になり、「さあやろう」と思う前に体が動くこともしばしば。

呼吸するように、朝、ブラウザを立ち上げ、ブックマークからYouTubeのラジオ体操第一をクリックして再生し、最後の深呼吸が終わったら、第二をクリックする。そこには思考も感情もない。一連の動作のために手が勝手に動き、体が勝手に体操している。ストレッチも同じ。

自分のためなら三日坊主で終わり、自分のためでなくなったら毎日続いている。毎朝、空に手を合わせてお願いしている。これも自分のためではない。

この発見から「人は」と書けるほど厚顔ではない。

私は自分のために何かを続けることはできない。大切な人のために続ける。私が「習慣」に書いた語釈。