琵琶湖
diary

自分を消せない間は見られない

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日の出まえの町中を足早に歩く。東の空は淡い紅色にそまりはじめる。雲は朝帰りでもしたのか、ほのかに酔っ払っていた。湖岸に着いた。まれに見る好条件がそろったとき、身震いするような湖面が現れる。身震いするは誤用ではない。美しさと等しく恐ろしく感じる。あまりにも静かでおだやかな湖面。

ほぼ無風で波が立たず空にはほどよい雲が現れて澄んだ空気。三つはめったにそろわない。

湖岸に立った時、一瞬、あっけにとられた。鏡面の湖。日の出まえの明度でも鏡像がくっきり見える。「息を呑む」を体験したんだと後から認識できた。

明るくなりはじめる空。はじまる朝焼け。空の階調からお日さんがそろそろ現れてくる。東側の対岸に目を奪われていたとき、なにげなく南のほうへ目を向けた。「うおっ」と自然に声が漏れた。

山より低い位置に靄。ジェット機が噴出した煙幕のような靄が横一直線。プリンスホテルの左側に見える近江大橋をすっぽり隠している。はじめて見た。

こわい。おだやかすぎる湖面。波が立たず風の音が聞こえないから、そこかしこで聞こえるポチャ。魚が顔を出している。鮮明な波紋。

わかる、わかっている。一枚を丁寧に撮れと。完成のイメージを脳裏に浮かべて最適な構図を決める。景色をじっと見つめなければならない。撮るよりも見る。光と色と構図の組み合わせをゆっくり選ぶ。考えに考える。撮るよりも見て考えるほうに時間を割く。それでようやくシャッターを押す。押すのは一瞬。

わかる、わかっている。頭ではそう理解していても夢中でシャッターを押した。闇雲に押した。同じ構図を何枚も撮った。一枚でも多く撮りたかった。見てほしかったからだ。

いまはまだ恐れている。丁寧な一枚を心がけて撮影して、もしもその一枚が失敗したらどうしようと。だから下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。事実、下手なんだから数を打つ。そのなかで「当たれ」ば伝えられる。

鏡に映る自分の顔。毎日見ているけれど見ていない。顔は少しずつ変化していても気づけない。歳とともに歯並びはわるくなっていて、あるとき「あれ? こんな歯並びだった?」とじっとみる。歯ぐきもやせてきているのに見ていない。

「見る」は、解釈をすっかり忘れて沈黙を手に入れることだと思う。

なまじいに言葉を覚えてしまうと、見るよりも解釈してしまう。顔かたちがどんなふうになっているかを「見る」よりも、全体のぼんやりしたイメージから「見た」と思い込む。まるでトランプのカードの裏だけを見ながら積み重ねて、できあがった54枚一組を顔かたちとして思い込んでいるみたいに。裏は輪郭、数字と絵が細部。毎日、鏡に映る顔を見ていたら、裏が続いていると理解して、表をめくらない。

全体の「ぱっと」したイメージを捉えられたら、あとは頭の中にある今までの画像から勝手に補完して映像をつくって、見たことにする。

慌ただしい毎日。自分の顔をだまって1分間でも見つめられるとしたら、健康に細心の注意を払っている人か、顔にまつわる仕事についている人か、はたまた…..。

じっと見る。

解釈したがろうとする気持ちを抑えて、黙って、見る。自分を消せない間は見られない。

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