キョロキョロ
外へ出かけて街中を歩いていると、パートナーから「キョロキョロしないで」と注意される。いや、たしかに、そうだ。叱責をうけてはじめて「キョロキョロ」に気づく。進行方向に顔を向けて歩いているようで、実はそうでもないらしい。右を見て、左を見る。時に上を見上げたり。そしたら、まっすぐ歩けなくなるようで、人に当たりそうなる。それが、おっかないらしい。こっちは、視界に入ってくる身体から自分を躱しているつもり。いやいや、こっちがそっちへ向かっているようにはたから見えるようだ。あぶない、あぶない。
むかし車を運転していてももそうだった。彼女を車に乗せて走ると、キョロキョロする。左右の目に飛び込んでくる物体を受け入れる。時速数十キロで疾走する車内から眺める景色は、"瞬間"。「おっ、アレはなんだ?!」と知覚しはじめようとした時には、眼前に迫っていたり、すでに視界から消えている。キョロキョロ。ああ、これは不味いなぁとさとって運転をやめた。
お店に入っても変わらない。周囲をチラチラ見ては、何が起きているのか探る。とくに、電車やお店、食事時とか、「制止」しているとき、隣人をハラハラドキドキさせるみたい。私の琴線に触れたヒトやモノ、目をこらしてじぃっと見つめる。その時の私は、まったく"それ"に気づいていない。これも咎められて、ハッと目をさます。まさに、目をさますがごとく、突然、視界が変わる。
一点を見つめている自分から180度の視野に広がる瞬間がおもしろい。凝視したブツが急速に背景に溶け込んでいき、なんで惹かれたのか再認識できる。そこに差異があるからだろう。もともとないと思っていたものがそこにあったり、服が妙に立体感をもっていたり、携帯電話の文字入力のはやさに見とれたり。
すべてが己の表象とズレたうごきや異なる色彩にみちている。そのズレが錯覚なのか事実なのかと首をかしげるのはおもしろい。でも、そのズレ自体が生じたきっかけは何であるのかを、探るほうがもっと愉快だ。
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