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満月

2010.08.25 晴れ

月が綺麗。凛々しく美しい。月は年間約3.8cmずつ地球から離れている。先日、月がわずかながら縮んでいることを示す痕跡が雑誌サイエンスで発表された。月の半径(赤道方向)の1,738kmに対し、約100m縮んだと推定される。月は約45億年前に誕生した。痕跡は今から10億年以内にできたらしく地質学的には比較的新しいとのコメント。

「もし月が二つ見えたらどうしよう」とワクワクしながら見上げた。もちろん見えない。でも満月の隣に「緑色のゆがんだ月」を妄想することは許される。だとしたらその妄想は経験へ分類してもよい? 想像のなかで一つの行動を終えた出来事は経験のカテゴリーへ仕訳したい。

今日はサーバとMacのメンテナンス。毎月まとまった時間を確保してサーバーやMacを整備している。ハードウェアのメンテとOSのチューニング。ハードウェアはエアーで埃を除去。マスクをしないと危険。HDDやマザーボード、ロジックボード、メモリなどをチェック。OSはログをチェックして異常を確認。OSの内部に異常にがあれば原因を調べて修正する。

「根本的な問題は、組織にとって重要な意味をもつ外部の出来事が、多くの場合、定性的であって定量化できないところにある。それらはまだ事実となっていない。事実とはつまるところ、誰かが分類し、レッテルを貼った出来事のことである」(『ドラッカー名著集1 経営者の条件』 P.F.ドラッカー P.35) 旧約は1966年、自分は卒論を書くために1995年新約版を読んだ。これは最新訳。

卒論で読んだ時は単語を読み終えただけ。社会人になって何度か目を通して読解できるようになった。身体の実感は伴わなかった。フリーランスになって読解と身体の実感がようやく連結した。

まだ事実になっていない事柄をどうやって発見しようか。分類されてないレッテルも貼られていない出来事の情報が自分のもとへ届くようにしなければならない。

キーワードは観察。事実の前の現象を観察する、と書いたのはよいけど、すぐに自問しなきゃならないわけで、じゃぁ、観察ってどんな行為なんだ? ある事柄を観察するとき、脳裏で構築した仮説を補強しようとする力が作用する。作用された視点は好悪や善悪のフィルターをつくる。好悪善悪のような極端なバイアスがかからないとしても微少な影響を排除しづらい。そのフィルターがつくられたら情報は”生”のまま自分のもとへ届かない。

観察という行為を精確に表現できない。自分の定義を記述できない。理系の方々が使う観察を読み解くと、観察の意味は「観察日記」に使用されるような意味とは異なるような感じだし、形而上学で使われる観察となるとニュアンスすら把握できない。

日常の単語を重層的に掘っていかず使っている点は自覚できているはず。ほんとうは小学校や中学校で習う単語を探求しなければならないと思う。その作業によって、事実になっていない定性的な事象を発見できる契機を察知する力が養われるのじゃないかな。

警告

2010.08.23 晴れ

06:05に目が覚める。意識は寝汗をかいた身体を己の肉体と認めたくないみたい。タオルで身体を拭く。洗面所でうがいしてから500mlの水を飲むと頭のOSが起動しはじめる。Mac OS Xと違って立ち上がりは遅い。ラジオのスイッチを押して”クロノス”を聴く。冷蔵庫の野菜室から珈琲豆を密閉した容器を取り出す。スプーンで2杯分の豆を掬って手動式コーヒーミルへ。クロノスを聴きながら左手で豆を挽く。沸点手前でコンロの火を止める。ミルが粉砕した焙煎豆をコーヒープレスへ移してお湯をゆっくりと注ぐ。心持ち高い位置から細く注ぐ。エスプレッソの香りが嗅覚を刺激、頭のOSはようやくログイン画面へ。注ぎ終えてから4分後、焦げ茶色の液体はコーヒープレスからスターバックスのタンブラーへ移動する。毎日変わらない工程。水を飲んだとき身体を定性分析する。

M先生のWPを調整。写真を依頼しよう。ルックスをさわりたいしUIを設計したい。やるべきことは無数にある。無数はやらないと等しい。なされるべきことを考えなければならない。

「誰にも明らか」な状態から「非常に曖昧」な状態に至るまでが連続していると、どの状態にするかを決定する量は左から右へ行くほど増えてゆく。

スーパーで買い物している方々を観察していると、人は自分の居場所と商品の陳列を予想しながら動いている。ここで自分が使った予想は「次の視野に入る商品群を無意識に仮定している状態」と定義している。何度も足を運べば仮定は確定に変わり視野に入る探索項目から削除される。

膳所のマックスバリューと野洲の西友は店舗の設計が似ている。高い天井と幅広い導線。高い天井と幅広い導線は視認できる範囲を広げる。「誰にも明らか」な状態へ近づく。

スーパーは右回りか左回りの違いを除くと、商品を陳列する順番に大差はない。高い天井と幅広い導線によって買い物客は「誰にも明らかな」な状態にある商品群の中を探索できる。ファインダビリティーが高く、ユーザビリティーは優れている。

天井の高さは建物の構造によって制限されるかもしれない。幅広い導線は演出できる。商品を削る。両方の店舗で陳列されている商品群は多品種少量の傾向が高い。

狭い導線の売場は「非常に曖昧」な状態だ。視野が狭くなるから次の商品群を予想しづらい。商品が「見えない」から迷う。ファインダビリティーは悪くなり他人との接触を気にしながら選択するので負荷が高まる。ユーザビリティーは拙い。

それらのストレスを逆手にとった売場はある。カオスの売場を出現させて顧客の期待値を上げる。その期待値が購買欲を向上させ商品をウェブのリンクのようにつないで次々とカゴへ入れてもらう。

運営者が空間を演出する。設計する。

経営者は空間を考える。その空間は「誰にも明らか」な状態から「非常に曖昧」な状態に至る連続したグラデーションとしたら、どのあたりに位置しているだろう。

空間と接触する顧客は迷っているかもしれない。考えさせてはいけないのではない。困惑させたり混乱させてはいけない。コンセプトと表現に合致した空間を設計すれば、顧客は考えたとしても意図をその人なりに解釈できる。

顧客が扉から入って扉から出て行くまでの行程に警告が隠れている。空間のアラートは音を発しない。発見されるのを静かに待つ。

私憤

2010.08.20 晴れ

火曜日あたりから明け方に目が覚めるようになった。すでに蒸し暑いから寝苦しいので起きる。眠りが浅いときに目が覚めるためか寝覚めは悪くない。起きてすぐに机に向かえるのでよい傾向だと思う。

11:00前に出発。大阪駅で途中下車して紀伊國屋書店へ。本店へ向かって左側の扉が閉まっていたのでまさかの休店日!!のショックを早とちりしながら近寄ってみると改装中で右側の入口から入店してくださいとの貼り紙。改装中の店内は狭くなっていた。ちょうど半分程度の面積に縮小されている。

『ゾラ・一撃・さようなら』 森 博嗣 を購入。販売面積の縮小と比例して陳列している本が減った。配置が変わったので慣れない。すぐに店を出た。平積みの 『jQueryクックブック』 jQuery Community Experts が印象的。Amazonは2-4週間待ちの表示なのに紀伊國屋書店では5冊ほど平積みされていた。あの手の重い本を持ち歩くよりネットから購入したほうが便利だし象徴的な感じがした。

13:00からF先生のミーティングへ出席。場の距離感を測り間違えたために自分の中でよからぬ感情が起動したのを自覚。『怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉』 アルボムッレ スマナサーラ を思い出しながらその感情が私憤か義憤かを吟味。後者を選択。私情をさしはさまず公共の視座から観察する能力を備えていないので義憤を選択する余地は残っていない。場に近づきすぎて距離を間違えた結果、意図の伝達を失敗した自分のミスだ。その責任を負わなければならない。責任を転嫁するためによからぬ感情が存在する。15:00終了。

19:00からM先生のミーティングへ出席。スイカをガーゼにくるんで食べた。歯があるという恵みを実感した瞬間。食べるという行為が欲の根底にあることを認識した。無意識の中に隠れた気づかない事実。他者が契機とならなければ気づかない事象がある。目線を変える。視線を歪ませる。20:50終了。

芸能人が刑事罰に問われるような不祥事を起こしたとき、日頃の評価と不祥事の落差が大きいほど関心の度合いが高くなる。芸能というごく一部の面を評価しているはずなのにその人すべてを評価してしまっている。一部の評価が全体の評価へ”いつ”転じるか、そのきっかけを知らないし、転じるプロセスを可視化できない。本人もその評価を受け止めて、主観的に自己評価しはじめる。

芸能人やスポーツ選手、高度な専門性を身につけたプロフェッショナルだけがはまる陥穽ではなく、絵図を縮小すれば凡才の自分にも適用できる。

同じ仕事を続けられていると、周囲はその能力とごく一部分の自分を評価しているという事実を忘れてしまう。謙虚さを失い傲慢になる。私という人間すべてを評価してくれていると錯覚する。

仲間からの適切な圧力がない環境にいるとそのような錯覚を抱きやすくなると自分は観察している。環境と個人、両方に課題がある。あるいはフリーランスの自分はピア・プレッシャーを受けないので周囲からは醜く映った自分の姿にまったく気づかない、と自分を評価している。

「きみが失敗しても、だれも何も言わなくなったら、きみのことはあきらめたという意味なんだよ」(『最後の授業 ぼくの命があるうちに』 ランディ パウシュ, ジェフリー ザスロー) の「失敗」へいくつもの単語を挿入できる。その単語を挿入したいくつもの文章を自分は仕舞い込んだのかもしれない。

正規

2010.08.19 晴れ

生活保護や福祉の恩恵に浴する人は関係者の目から守られやすく、扇風機かエアコンが揃っているから熱中症のリスクが低下するが、弱点は低所得者だと奥様から教えてもらった。先日もホームレスから脱却して保護を受けずに自立しはじめた矢先に亡くなった方がいらっしゃったらしい。

ハローワークや職業支援基金の中の人によると、現在は失業率が高いので30代後半-50代の求職者は正社員へ就職するのは相当厳しいとおっしゃっていたとの由。

茂木先生がよくつぶやいていらっしゃる、「転職の数」や「職務経歴の空白」は大きなマイナス要因だとか。「35歳○○限界説」が巷間流布している。

そういう状態だと認識して想定しておかなければならないんだな。

正解を誰も知らないし誰も教えてくれないから感度と判断力を向上させてどうにかするか、どうすればよいかと尋ねて正解を教えてくれる人を待ち望むか。

前者は生き残り後者は下層に吹き寄せられる、と内田樹先生は云い健闘を祈ると締めくくった。先生の見立てが正解と判断できる力を自分は養っていない。

Macの壁紙にしている言葉が毎朝迫ってくる。

“If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “no” for too many days in a row, I know I need to change something.

Stay hungry, stay foolish.

YouTube – Steve Jobs’ 2005 Stanford Commencement Address

稜々

2010.08.18 晴れ

今日は特別の日。ひすがら静かに暮らそうと秋の気配を一瞬だけ感じられる頃に目を覚ます。

ああ…..。テスト&ファイルサーバ(OS: FreeBSD 8.0)を起動させると”kernelがない”って画面に表示されてフリーズ。悪寒。

ほぉ…..。トラブルへの対処が少し進化したなぁ。30歳の時はサーバがストップするたびにパニックになったけど、8年も経つと、「データはバックアップしているので復旧するか」と考え、「もし復旧しなければ8.1をインストールするか」と並列直感してMacBook Proから8.1のISOファイルをダウンロードしはじめる。

へぇ…..。 livefsのCDから起動させてブートディスクへマウント, fsck。とりあえず初級自宅鯖管理者なのに何とかそこまでこぎつけられるようになった。

ああ…..。 なんとか昼過ぎに復旧。

物事を素直に尋ねる、意見を素直に聴く、素直に変えてゆく。他者が自分を評価するとき、その評価が安定していておおよそ定まった方角へ向かっているならば気をつけたほうがよいなと思う。自分に言い聞かせている。

捻くれた見方をする。「優しい人」という評価が定着しているとして、その評価を複式簿記に見立てたら「変哲もない平均の人」という評価を想定できる。

資産を主張して負債を隠蔽する善意の人や利益を獲得して損失を転嫁する苦情を訴える人がいる。”苦情を訴える人”と書くと、「苦情」の中には暫定的に正しい論理を含んでいるようなニュアンスが伝わってくる。と独断した後に”苦情を訴える人”をクレーマーと書いてみたら「苦情」の中には不当な感情が含まれているようで、できれば触れたくない、みたいな強い否定を伴う。単語の定義に対する自分の偏見が不思議だ。

貸借対照表と損益計算書の視点で物事を分析できたとしても4パターンしかなく、B/S, PLは一致するので多面的や多層的に分析できていないと思う。でも、やっぱり借方と貸方の複式簿記的な発想はしたほうが得策って自分を説得する。

ある人にとって自他共に認める強みはより広範囲の集合体から観察すれば弱みと判定される属性かもしれないし、強固な論理を展開する人は、完璧な論理を前にしたら道は閉ざされてしまう。感情を露わにする人は、より激高する人と出会うと感情は抑制されかねない。

他者の評価を気にしなくてよいと考える。気にしなくてよいと書くと我が道をゆくと等しい行為と受け止められる。そうではないとも思う。

他者の評価を受け入れる、他者の評価から影響を受ける、それは素直と関係ない。他者に対して観念を完璧に消し去る状態へ全身全霊を傾けることが肝要だと思う。

難しい。

「私は素直です」と素直に話す行為は独我論に陥る確率が高くなる。素直を資産とするならば負債を他者へ提示したくない心理を推し測る。その負債を誰かと議論できたらステキだし、結果、資本が増資されたらすばらしいと思う。

夢裡

2010.08.17 晴れ

未明の空気の気配は秋を感じさせる。つかの間、陽が昇ればあっという間に気配を消し去る。日に日に夕方が短くなってきて(と思い込み)着実に次のフェーズへ移動している。天体の運行と空気の粒子は四季への一方通行を歩いているのに温度と湿度は逆行したいみたい。

WPの制作。試行錯誤するがどうしてもタグが消える。コードは書いているのに表示されたソースを見ると閉じるタグが消えている。うーん。

書店で 『街場のメディア論 (光文社新書)』 内田 樹 を購入。先生の文体と語彙の選択、選択が形成する文脈は不思議なぐらい身体に浸透する。頭で読む感覚より文章から再生した映像へ自身の行動を投影して、行動結果を観察した上で納得している。バーチャルで行動して共感してしまう。

昨日、イオンの衣料品売場のリニューアルを妄想した日記を書いた怨念が通じたのだろうか。イオンが衣料品の売上を拡大させる施策を発表した(怨念は通じなかった)。SPAで3年後に年商600億円を目指すらしい。PBの名称も決まってターゲットは30-40代。自分は38歳なのでターゲットに属する。海外のデザイナを招聘して洗練されたルックスを企画・製造するとの由。

記事を読んで買わないと決めたのは久しぶりだ。かつ、ターゲットにしないでくれとかみついてしまった。

やってみなくちゃわからない、自分の目で確かめてみなくちゃわからない、と常々心がけている。門外漢の記者が書いた記事を読んで是非を判定しない。それが信条だったのにもろくも崩れ去った。あっけない。どうしてイオンへそんな恨み辛みを述べ立てるのかと内心を観察するけれど論理的な答えを導き出せない。近くのスーパーはイオンだけ、イオンで食料品を購入する機会が1年のうち9割を占める恨みは恐ろしい。食べものの恨みは恐ろしいと聞いたことがあって、そんな恨みがあるわけないと嘲笑していたので鳥肌がたった。

アメリカ心理学会の年次総会で「レム睡眠を含む仮眠を取った人は、創造性を測る単語テストの結果が良好だった」と発表があった。「レム睡眠が魔法の水晶玉かどうかはわからない。でも睡眠中の夢には、過去の経験を呼び戻して再構築する役割があると考えている」と研究チームは述べている。

偉人の伝記を読むと夢の中で着想が浮かぶシーンが散見される。夢の中の時間軸は直線か3次元以上の多元的か、複数の時空やパラレルワールドを往来できるか、自分の夢は膨らむ一方なのに残念ながら夢をあまり見ない。見ても覚えていない。

だから自分にとっては、「レム睡眠を含む仮眠を取った人は、創造性を測る単語テストの結果が良好だった」発表やその結果を拡張したら「レム睡眠が記憶の能力を改善させる」仮説よりも、どうすればレム睡眠の最中に夢を見てそれを鮮明に記憶しておけるのかを発表してほしいという白昼夢を見た、ような気がするがやっぱり覚えていない。

熱帯

2010.08.16 晴れ

暑い、と書いたらもっと暑くなったような気分なので書きたくないのに朝から暑いので書いた。体感温度は上昇した。朝から暑い。部屋が暑いので周辺機器が心配。特にルータが熱暴走しないか冷や冷やする。自分のようにエアコンがあってもつけないのではなく、エアコンがなくて(あるいは何らかの事情があってつけられない)しのいでいる人々はいらっしゃるだろうし、まじめに働いている人が国から援助を受けている人より不快な環境で生活しているかもしれないと想像したら、一体?!って久しぶりに熱くなった。

M先生のWPのコードを変更する。ご要望どおり表示するようコードを書き換えプラグインを導入。でも、コードが思い通りにならない。表示と動作はまったく問題ない。コードに拘泥しなければ気にならない程度の微細な問題でコードを見たらわかる人はわかるぐらい。その原因をつきとめられないので困っている最中。

妄想するのにコストがかからないからイオンで歩きながら思い切り妄想する。近所のイオンは1Fが食料品売場と化粧品、ドラッグストアあと食べものの専門店が配置されている。2Fから上はイオンの直営と専門店。2Fは紳士服と婦人服などの服飾関係。

この2Fを全面リニューアルする。妄想で。2Fは欧州中心の輸入食品とマイナな食品、あと国産の高級食品のフロアにした。内装を空想して品揃えを吟味しながら1Fとレジが分離してしまうデメリットを夢想した。

フロアにはコンシェルジュと野菜ソムリエを配置して食卓を設計する。客の嗜好イメージと合致する食べ物や調味料を案内する。とりわけ調味料に対してきめ細かい対応と啓蒙を目指す。魚は数量を絞る。よい魚は良質のお店が取引してすべて購入されてしまうので、今からそこへ参入する障壁は高い、かなり困難なミッションになると思う。参入ルートを想定する。お総菜や出来合い物をなるべく陳列しない。料理をする人向けのフロアを意識。食糧自給率40%なんて眉唾の数字に惑わされず質の高い素材と調味料を国内外から調達して裾野の広い売場をつくり、すべてを2Fで調達しなくてよい意味をディスプレイで表現する。

となると、料理への関心を高める広告やダイエットを織り交ぜたプロモーション、野菜の摂取の仕方などをディスプレイに表現するためのイラストやコピー、物語へと妄想は広がる。

おまけにこういった方々は調度品もリンクする可能性が残っているので、3Fフロアのリニューアルまで……いっそ、4Fとなり、現実へ戻り、やっぱり2Fに集中して今度は財務戦略を妄想構築する。ちっとも現実へ戻っていない。

細かすぎて書くのが億劫なのでずいぶん割愛している細部まで妄想するが、自分が知り得ない範囲は真の妄想になり、やっかいなことに自分が知り得ない範囲の方が圧倒的に多く、これを妄想というのか幻想とよぶのか、はたまた自分が大気圏へ行く確率より実現可能性が低い目標と定義するのか、朦朧としてきた。

亜熱帯に慣れていない脳髄が少し溶けかけたぐらいがちょうどよい妄想で、こういう日でないとうまく頭は働かない。

解釈

2010.08.15 晴れ

終戦の日。複数ある。1945年8月14日, 1945年8月15日, 1945年9月2日, 1952年4月28日。ずっと拝読しているfinalventさんは過去の記事で終戦記念日は1945年9月7日と意見していらっしゃった。一つの事態に対して複数の説がある時、衝撃が記憶に影響を与えた日付が記念とされるやすいみたい。事実がいかなるものであれ。

茂木先生や高橋源一郎先生が戦争について連続ツイートしていらっしゃった。藤井先生はブログに書いておられた。それらを拝読して戦争という多次元の現象をどうのように切り取るかを学ぶ。

06:15頃に目が覚める。めずらしく体の調子がよい。体重を2kg落として54kgにしたいが反対されるので現状を維持するよう意識する。

M先生のページ制作の続き。夕方頃に仕上がったので夜はじっくりと眺めていた。WPのコードを変更しなければならないので下準備。

08/08頃からブラウザのニュースサイトのブックマークを削除した。RSSも削除。中毒症状をリハビリしたくなったので。ウェブサイトの制作やミーティングへ出席する仕事をしていると、何かの事柄を知っていなければならないのじゃないかぁと自分に強く迫っていた。たとえばコンピューターの知識を所有している印象を相手から抱かれると、コンピューター”全般”について詳しいと誤解を招きやすくなる。

それらの誤解の9割は自分が招いたのであり、存在を認めてほしいから情報を知っていることを披露したい、という強い気持ちが”全般”を知っているかのように見せていた、と自己評価している。

その振る舞いの傾斜がきつくなると、IT関連のニュースにとどまらず一般のニュースサイトや雑学系にも手を伸ばし、情報量の期待値が増加していく。3,4年前に情報収集=時間消費の式が生活で確立されていた状態を認識した。

その時から中毒症状を自覚していたつもりだった。情報収集の手段を減らしたが本格的にリハビリしようと思い立たなかったので自覚していなかったかもしれない。

08/08から1週間。今の経過観察を備忘しておくと、どうして「知りたい」のだろうと? と思い巡らせている。思いが堂々巡りいている状態で、考える手前と認識している。どうして知りたいのかと自問して、解釈したいのだろうなぁと自答する。といっても先ほどの先生方のような高次元の解釈じゃなく、次元を下げると、「感想を述べたい自分」がいると書いた方が適切に近づく。

一つのニュースにアクセスする。どのようなサイトへどの情報を取得してもよい。アクセスして入手した情報に対しての感想を述べられる自分に酔っている状態が続く。まるで報道ステーションを視て野次を飛ばしている人みたいだ(と想像で書いてみる)。

それが常態化しているので「感想を述べる」行為が解釈であると錯覚する。錯覚は解釈を仕入れようと我が身を検索へ奔走させ収集へ向かわせる。血眼。気に入った意見と出会い、高度な解釈と認定できたらそこに記載されている単語の配列を少し入れ替える。その入れ替えや組換えが自分なりのアレンジだし、そうすることで高度な解釈を自分もできるようになったと解釈する。なにがなんだかよくわからなくなってきたと解釈しながら書いているけど。

リハビリを始めて1週間。解釈は具体化された事象に接近できる道具だ。他方、思考(といってもどういったシロモノかまったく検討つかないので難儀)は構造を観察して抽象化していく作業であり普遍的な事柄を記述する行為かも、と身体を動かしながら思いつく。

問題を与えられたら解釈は有効に使える。思考は問題を自ら作り出さなければならない。両者の性質の違いはそのあたりにころがっていそうな気がして、今なんとなくそれを探し回っているところって自分をマッピング中。

新盆

2010.08.14 曇

アルバイトの進捗率は前日の夜に少し進めて95%。朝、05:40頃に目が覚めたので幸運だと思ってそのまま机に向かって残りの5%を進める。完成。ちょっぴり得した気分。

その後は夕方までM先生のページ制作。時折、SEO対策もかねてメンテしていたが、改めてコードを書き始めるといくぶん改善の余地はありそう。ストラクチャとコンテンツはまったく問題ない。シンプルとトレンドの混合比の問題と思う。少しトレンドを配置したほうがよいかも。

昨日の日記に書いたダウンサイジングの続き。サイズを小さくすると売上の予実管理より利益のマネジメントが難しくなる。売上を軽んずるんじゃない。ダウンサイジングしても利益を出せる体質をつくる。

はじめから小さめのサイズで開業した事情とダウンサイジングする事業とでは利益のマネジメントは異なる。前者の方が高効率で運用できマネジメントしやすい。

後者の問題点はスピード。売上が減少してキャッシュの流れが一時的に停滞する。手元にキャッシュが残らなくなるので売上減少のスピードにコスト削減が追いつかない。なるべく出血を素早く止めなくてはいけないが、そこで焦って対処療法したら体質は改善されない。

経営の数字は客観的指標である事実は変わらない。変わるのは環境。コンパクトサイズのお店を自分でやりたいという職人が増えても時のニーズと合致しない環境を想定しなければならない。NYTimesによると”Sushi Academy”で将来のすし職人を目指す若者たちが海外で就職を狙っていると報じていた。すし職人から徒弟制度やドイツのマイスター制度を思い浮かべるが、昔の事情と異なってきているみたい。

徒弟制度に対する価値観が変化していると想像できるし、周りを見渡したとき寿司店がフランチャイズ化したり大手の回転寿司のお店が「お寿司屋さん」になってきている事情もあるんだと思う。

ベルトコンベアーに乗ったファーストフード寿司(もともとファーストフードだと思うんだけど)は成長しているが、伝統的な寿司屋は収縮している、と某コンサルタント会社(創業者はスピリチュアル系)の中の方がおっしゃっている。

業界の変貌を察知した若者たちは「学校」で技術を学び、海外で経験を積み、そのまま当地で開業する。コンセプトは「日本のお寿司屋さん」、ターゲットはエグゼクティブ。

言語と空間を移動してコンテンツの落差を利用した商売は異文化の障壁をクリアできれば先行者利益を生み出すので、すでに各国で「対面式の伝統的な日本の寿司屋」さんはたくさんあってエグゼクティブを相手にハイソな雰囲気を演出していると想像する。

現在、学校で学んでいる方々は後発組になる。飽和状態でないかもしれないが獣道を歩く。自分はこういった感性に共感する。

エコといってもまだ物質の多寡が豊かさの指標だ。たくさん食べられると喜んでいる人々の比率が高い環境が続く間、回転寿司は支持されるし拡大し続ける。寿司以外もしかり。安価(あるいはコストパフォーマンスが高い)で大量の食料を提供するお店へ人は流れる。規模が大きくなれば雇用に貢献し地域経済を成長させると賛同が集まる。

コンパクトサイズのお店が街の風景にとけこみ画一化された店舗が景色から少しずつ消えたとき、そのデザインされた街全体がコンテンツになると思う。高価で贅沢な食べものをほんのわずかだけ食べて満足する人々の比率が一定量に達すれば環境がリンクしていく。もちろん金銭的に裕福な人々が一定量に達しなければならないわけじゃない。

寸法

2010.08.12 雨のち晴れ

早朝、京阪神では雨が降った。台風の影響か。京都では強雨だったみたい。猛暑もほどほどでないと至る所で嬉しい悲鳴(ほんとうに嬉しい時に悲鳴を上げるないと思う)をスルーして売上によからぬ影響を与えるとの由。カタログ販売の秋物が売れず、野菜が高騰したり日本酒メーカーが嘆いたりと。

昨日の続き。アルバイトの資料と格闘。なんとか進捗率85%まで仕上げられた。13日は夜からしかできないのでおそらく14日頃には仕上げられると算段。

16:00すぎに京都へ。M先生と打ち合わせ。お久しぶりにお会いする。途中の書店で 『ηなのに夢のよう DREAMILY IN SPITE OF η』 森 博嗣, 『数学が分かるということ 食うものと食われるものの数学』 山口 昌哉 , 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 河合 隼雄, 村上 春樹 を購入。

先日発売されたちくまの 『方法序説』 ルネ・デカルト を買うかどうか悩んだ。岩波文庫版を何度か読んでいる。ちくまは解説付きだったので、よく理解できない箇所や全体像を知るために欲しいと思ったが踏みとどまる。「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ」の言葉が頭をかすめたので(実際に通り過ぎていったわけではないのにこういう表現を使うのもどうかと思うけど)、手に取らなかった。

17:00からM先生と打ち合わせ。18:00すぎに終了。その後、近くの小さなイタリア料理店?!へ。とてもコンパクトなサイズのお店で入ってすぐに気に入った。美味しい料理を頂きながらお会いできなかった間のお話を伺う。ご馳走してくださった。毎度のことで恐縮しながら深謝。

M先生の話はまさに -目の前に為すべき仕事があれば、それを達成するために全力を尽くさないわけにはいかない。それが私という人間なのだ。- (『1Q84 BOOK 2』 P.230)であり、-このまま逃げ出すわけにはいかない。いつまでも怯えた子供のように、前にあるものごとから目を背けて生きていくことはできない。真実を知ることのみが、人に正しい力を与えてくれる。それがたとえどのような真実であれ。-(『1Q84 BOOK 2』 P.497)だと思った。経験したからわかるわけではない。物事の奥行きを感知する感性と重層的に思考する胆力が重要なんだと理解した。

お久しぶりだったせいか22:30頃まで盛り上がる。ほんとうに嬉しかったし楽しんだ。京都の大通りを歩いてM先生との会話を脳内再生しながら心中で何度もお礼を申し上げて車に引かれそうになり自転車と衝突しかけた。

イタリア料理店?!のお店のサイズが気になった。イトーヨーカドーが大都市の中心部を中心に小型店舗を展開するらしい。店舗面積は500 – 1,000平方メートル程度。10月に東京で実験店となる1号店を開店する。成功するかどうかやってみなければわからない。

ただ自分の身の回りで起きる出来事を観察していて、今なんとなく「ダウンサイジング」の方向へ向かっているような感覚を持っている。滋賀県では竜王に大きなアウトレットモールが開業して賑わっているみたいだけど、これからしばらくはそういった集合施設は特殊な業態しか受け入れられないと独断している。かなり偏見がまじった裏取りも数値も手元にないカン。

適度なサイズを求めている。車もそうだし自転車やガジェット類、大は小を兼ねるという発想が適用できなくなっていると思う。何かしらの危機感か不安感などがあるかもしれない。何となく心の中で信頼していた”Too big to fail”が幻想だったと認識したからかなとも想像する。

23:30前に帰宅後、少し休憩して01:00から家を出る。蚊にさされないように装備。近くの公園へ。なるべく暗闇を選んで寝転んだ。ペルセウス座流星群を観る。詳しく調べていないが03:00頃がいちばんよい状態らしいけど、そこまで起きられないと判断して早めに家を出た。02:00すぎまで空を見上げる。

成果は7つ。うち2つはどうもあやしい。錯覚の可能性が高い。なので5つとして、そのうち2つはとてもはっきりしていて尾が長かった。オレンジ色のような明るい光だった。

嬉しいことが2つも起きる日はそうそうない。とても幸せな1日。存在に感謝。



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