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3日で500万円の終末医療

民主党は「年金天引き」に焦点をあてて、制度と生活の問題をかわしていると私は受け止める。そんな矢先、長妻昭議員が質問した。前後の文脈を知らないので意図はわからない。でも、「終末医療」を引き出した議員と官僚に敬意を表します。あと毎日新聞にも。

後期高齢者(長寿)医療制度を担当する厚生労働省の職員が、自ら執筆した解説書の中で、死期の近づいたお年寄りの医療費が非常に高額として終末期医療を「抑制する仕組み」が重要と記していたことが分かった。23日の衆院厚生労働委員会で長妻昭議員(民主)が指摘した。制度導入の本音の一端が浮かんだ形だ。

解説書を書いたのは高齢者医療企画室長補佐。今年4月刊行の「高齢者の医療の確保に関する法律の解説」(法研)で、75歳以上への医療費が「3日で500万円もかかるケースがある」としたうえで、「後期高齢者が亡くなりそうになり、家族が1時間でも1分でも生かしてほしいといろいろ治療がされる」「家族の感情から発生した医療費をあまねく若人が負担しなければならないと、若人の負担の意欲が薄らぐ可能性がある」などと記述、医療費抑制を訴えている。

via: 後期高齢者医療制度:終末期の「抑制」重要 厚労省本音 - 毎日jp(毎日新聞)

自民党のみならず、批判する民主党も口にしない。口にした途端、落選がよぎるから。

メディアは「老人」にあてはめてるのではなく、医療、ひいては人の死、そして家族の問題として「終末医療」を報じてほしい。事実をたんたんと。3日で500万円の現実。そうすると、金じゃねぇ、家族の気持ちも考えろと「感情」が噴出するだろう。でも、そのあとにようやく議論ができるスタートラインに立てるのだと思う。

目は疑うためについている?

「騒音おばさん」に実刑判決・・・・その裏に隠された真実!! - kobaちゃんの徒然なるままに - Yahoo!ブログを読んで勇気のある人だなぁと嬉しくなった。騒音おばさんの話は、ブログ界隈に棲んでいると、以前から「どうも様相は違う」と話題になっていた。でも、ブログ界隈から一歩ぬけだせば、メディアの報道が「事実」であって、よもや被害者に疑いがかけられるなんてなかった。「メディアの報道に公平中立なんて絶対ない」と考えさせられた出来事。

今回被害者とされる「老夫婦」が隣に引越ししてくるわけだが、どうもこの自称被害者とされる「老夫婦」の方にこそ、トラブルの原因があるのではとの疑惑が持ち上がった。
この自称被害者とされる「老夫婦」は熱心な創価学会員であることも判明。
この事件についてはこんな書き込みがある。

via: 「騒音おばさん」に実刑判決・・・・その裏に隠された真実!! - kobaちゃんの徒然なるままに - Yahoo!ブログ

2006年の段階で、被害者の夫婦が「創価学会」だと疑われていた(参照)。

創価学会の会員であることと、今回の疑いの関連を私は判断できない。また、被害者側が「監視」したり、障害をもつおばさんのこどもに「中傷」したり、近所に「吹聴」したりしたかどうかは知らない。

ただ、火のないところに煙は立たないだろうなぁとだけ思う。あと、創価学会の会員がメディアのなかに多いという噂を耳目すると、なにかしらイヤだし、気が滅入る。

今年36歳になる。30代に突入してニュースを視なくなった。それも加速度的といういか、なかば意識的に視ない。「誰か」が「何かの目的」を持って「編集」した「映像」を「事実」だと受け止めてしまいかねない自分に恐怖を覚えた。新聞の記事を隅から隅まで読むかといえば、読まない。これも加速度的に。

「世間に疎くなる」のはやっぱりこわい。こわいから、テレビを視たり新聞を読んだりする。それは、「知る」行為だろうけど、忙しない時間の中、フト立ち止まる。「そもそも知る必要があるのか?」

知っているだけで何も考えていない自分。だけど、他人から「なんだ、そんなことも知らないの?」と見つめられる恐怖。「無知」の呪縛から自分を解き放ち「無知」を恐れないこと、それが自分には必要なんじゃないかと気付き始めた30歳。

時間はかかるかもしれないけど、「自分の目で見たこと」をじっくり考える、あるいは「自分の耳で聞いたこと」をじっくり吟味する、そういった「削る」が必要なんだ。黙読だけでなく、たまに音読してみると、自分の声が自分も耳に入ってくる。不思議な気分。

疑うというと負の意味を持つかもしれない。でも、目は危険を察知して我が身を守るためについているのじゃないかなぁと想像したり。なぜ、こんな複雑な位置についたのだろう。なぜ飛び出ているのだろう。

もっともっと削ろう。自分の感覚を研ぎ澄ますために。

排泄行為と看護

[Review]: チーム・バチスタの栄光 を読了して白鳥圭輔の言葉が五臓六腑に染みこんできた。

すべての事象をありのままに見つめること。「厚生労働大臣官房秘書課付 技官 白鳥圭輔」

もっとも困難なふるまい。「ありのまま」見つめる。私は事象を見つめるとき、「何か」が侵襲する。先入観や色眼鏡、原理思想などなど。そうやって自分の「型」に対象や他人をはめ込める。はめ込めて「わかった」と錯誤を犯し、他者を自分の視界から葬り去る。

排泄行為と看護

先日、『安楽病棟』読了した。高齢化社会を迎え、3人に1人が痴呆になるといわれる。だけど、痴呆は別世界のよう。それに覆い被さる「老い」もアンチエイジング。そして死はタブーに。別世界で看護する人々。ともすれば痴呆と老い、そして死は観念的に語られがち。でも、現場は糞尿にまみれる。人間の根幹である「排泄行為」。

患者さんの排泄行為にわたしたちが関与することで、患者さんをより深く知るようになるという点です。通常の看護場面において、わたしたちが排泄にまで立ち入る機会はそう多くありません。寝たきりの患者さんにおむつを当てたり、替えたりという行為はもちろんあります。しかしそれらの行為というのは、あくまで機械的にしがちであり、看護者と患者の間の人間的な交流は不思議なくらい希薄です。

それに比べると、排尿誘導は決して機械的にはできません。あくまで人間と人間のふれ合いの上にしか成立しないものです。そのうえ、排泄行為にはその患者さんの人となりがよく反映されます。トイレの戸の開け方、スカートのおろし方、下着の脱ぎ方、排尿のあとを紙でふく仕草、戸の閉め方など、ひとつひとつの動作に他のどんな行為よりも患者さんの個人史が出ます。 『安楽病棟』P.267

痴呆の人は排泄に個人史をもつ。機械的に排泄誘導しても誰も応じない。安楽病棟にいる人の個人史を観察しなければならない。元校長先生だった男性患者に、「トイレに行きますよ」と手を引っ張ると怒られる。子ども扱いされているようで。だから

もうすぐ会議ですから、その前にトイレに行っておいて下さい

と声をかける。「おやつを貰いに行きましょう」と騙さなければ行かない人もいる。排泄から

  1. 生活史を深く理解すること
  2. 生活史からその人個人に適した接し方が他の看護面での接し方にも影響を及ぼし、その結果、きめの細かいケアが可能になること
  3. 患者観察が濃厚になること

を学び、ケアへいかす。やがて、「自分自身で排泄ができるようになる」と痴呆の人は自尊心を回復する。最後に皮肉な結果として、看護する側が「ケアされている」ことに気づく。

茶会に招くようなケア

痴呆は十人十色。誰一人として同じ痴呆はない。排泄にまつわるふるまいも同様。便失禁したとき、知らんふりする人や他人へと責任転嫁する人、素直に謝る人もいれば反対に怒鳴る人も。そんな人たちを看護主任が茶会へと招いた。

やっているうちに、前に坐っているのが患者さんとは思われなくなってきたものーーーーー[...] そうね、普通にお招きしたお客様と同じになってきた。おそらく、わたしたちの日常の看護や介護の仕事も、そんな気持ちでしないといけないのよね。頭から患者さん扱いするのではなく、一期一会のお客様、友人として接するということ、いい経験をさせてもらっちゃった 『安楽病棟』P.460

ビジネスの臭いがするお客様じゃない。お招きした客人。歓待の本質。生涯ただ一度まみえる、一期一会とありのまま見つめることはつがいなのかも。一期一会だからこそありのまま。おのれ自身を何かの帰属へのこだわりから解き放ち、異他化させる。病院にやってきたから「患者」扱いしてしまうと視野が狭くなる。

「授かる」と「召される」を耳にしなくなった。「産む」あるいは「つくる」と言い、「逝く」という。自分が主になった。主は観を持ち、ありのままを歪めていく。

「ケアすることで自分がケアされる」—– わたしが真摯に受け止めなければならない言葉。そして「ケア」を日本語に脳内で変換し、身体で感じるように翻訳しなければならない。

すべての事象をありのままに見つめること。

死刑の瞬間をラジオで

関西在住だと聴けない。でも、できれば何かのかたちで放送してほしい。

文化放送は5月6日の報道特別番組「死刑執行(仮題)」の中で、死刑執行の瞬間を収めた1955年ごろの録音テープを放送する。裁判員制度開始を来年に控え、鳩山法相が死刑を巡って踏み込んだ発言をしたり、先日も4人の死刑が執行されたりする中、極刑の実情を知ってもらうのが狙いという。放送は午前10時から55分間で、関東の1都6県で聴ける。

[...]広報担当者は「演出や感想を交えることなく、事実を淡々と伝えることを心がける。死刑制度の存続や廃止を訴えるのではなく、現状を伝え、リスナーに考えていただくことが目的」と話す。

via: asahi.com:50年前の死刑執行の瞬間をラジオ放送 関東で5月6日 - 社会

菊田幸一・明治大名誉教授(犯罪学)は賛成していない。理由は、

録音に死刑囚の肉声もあるそうだが、おとなしく死を待つ死刑囚が選ばれたはずで、死刑が粛々と執行された印象を与えかねない。死刑執行の実態はもっと残虐なもので、中立的な死刑執行の報道とは思えない。こういうものを公にすることには賛成できない。

via: asahi.com:50年前の死刑執行の瞬間をラジオ放送 関東で5月6日 - 社会

「中立的な死刑執行の報道」なんて机上の空論だと思う。できるのは「事実を淡々と伝えること」だけ。たとえ、座して死を受け入れようとしている死刑囚であったとしても、「死刑」の事実に耳を傾ける。死刑制度は賛成と反対だけでなく、存置もある。そこに中立を持ち込むのは「論文」でいい。死刑は感情的にさせる。被害者と加害者双方の「死」というタブーに真正面から受け止めようとするから。思う存分感情的になればいい。「死刑は残虐」という言葉がナンセンス。「死刑執行」それ自体に残虐も粛々もない。私たちは自分たちで手をくださず、国に任せているようで、実は、「現場の人」がいる。

「現場」にまかせた私の責任は「現場の音」に耳を傾けてはじまる。

携帯電話料金の苦情と長寿医療制度

長寿医療制度と同列に扱うと叱られるだろう。浅慮極まりないと。だけど、同じに見えてくる。携帯電話料金の割引サービスにはさまざまな制約がある実態について、利用者の理解が十分に得られていない状況が浮き彫りになったらしい。

料金トラブルの相談内容は「契約期間内の解約時に違約金・端末割賦代金の残金支払いを請求された」「携帯電話をパソコンに接続してパケット通信をし、高額な料金支払い請求された」「かけた覚えのない通話・ネット接続料金を請求された」など。多くが携帯電話に関連するもので、契約内容が十分に理解されていないため発生した案件が大半だった。

via: 携帯料金苦情が最多 電気通信07年度相談 制約理解得られず:モバイルチャンネル - CNET Japan

理解の「内容」は記されていない。前後の文脈を省いて判断すると、「苦情の内容」は紙またはサイトに記されている。小さい文字で。「聞いてなかった」と「書いてある」のがぶり四つ。自ら読まないし、自ら説明しない。「暇」と「手間」は超高速社会にそぐわない。「誰が見てもわかるようにしろ」と指摘され、誰が見てもわかるようにしたら「通話料が高い」と怒られる。先日、携帯電話の機種変更をしたとき、事前に確認書類の有無をしらべた(参照: 本人確認書類 | お客様サポート | NTTドコモ)。

で、運転免許証は持ってるけど、「えっ、この人、帽子をかぶっていると30代に見えるけど、ハゲなの。チョーカッコワルイ」なんて受付の女性にプッとされるのはイヤなんて被害妄想と自意識過剰を抱いて「健康保険証」を選んだ。そうすると、公共料金領収証をあわせて提示してくれと書いてある。で、持って行ったら、「必要ありません」とみごとなスマイルで返された。

そんなもんだろうなぁと思う。

別に委細にわたって整合性を求めない。ナニからナニまで自己責任なんてチープな単語を吐くわけでもない。ただ、「自分がいやな気分」になるのはイヤだから事前に調べるだけだし、「自分の落ち度」を軽減したいだけ。

ただねそうやって調べれば調べるほど罵りたくなる。「もうわざと料金体系を複雑にしてるんやろ。関心をもたせへんように」と。企業や政府が罵倒されるのはそこ。そして企業と消費者を結ぶのは不信と無関心。で、事が起こったときにだけ沸騰する。

万事はつつがなく終える。

なんでこんなにとられるのか

すべての老人が使っているわけじゃない。でも、「とられる」という。だとしたら、「税金と社会保険料から 毎月○○円の医療費をとっています」と自分を表現するはず。報じる方は、「2年前からわかっていたのだから、もっと懇切丁寧に」と口にする。正論。じゃぁ、2年前から報道は問題を指摘し続けてきただろうか。制度の問題点を「わかりやすく」報じているだろうか。「高い」か「負担」を飛び交わせば「わかりやすい」説明らしい。日本の総医療費は対GDP比で7〜8%。主要先進国では低いとのこと。窓口負担がないカナダとかが顔をだす。「世界」との比較が「わかりやすい」説明らしい。

参院選の大敗が引き起こした現場の混乱。軽微だろうけど報道はひっそりと報じた。もう施行が目の前にあり、システム開発も佳境に入る矢先に「負けちゃったからやばいよ、延期しよ」といえば、保険証の混乱は織り込み済み。

高齢者の医療費負担増の凍結を検討している自民、公明両党の与党プロジェクトチーム(PT)は30日、来年4月に予定していた70~74歳の窓口負担割合の1割から2割への引き上げを1年間凍結するなどの措置を正式に決めた。75歳以上の一部からの新たな保険料徴収も半年間先送りし、続く半年間も本来の保険料の1割に減額する。

今回の合意で必要となる税負担は、窓口負担増の凍結で1100億円、保険料徴収の先送りや軽減で360億円。一連の措置に伴うコンピューターのシステム改修費として100億円程度かかる見込み。与党は、これらを合わせた計1500億円程度を今年度補正予算に計上するよう政府に求める。

via: asahi.com:高齢者の医療費負担増の凍結、与党PTが正式決定 - 健康

関心は、「自分がいくら払うのか?」であって、「制度それ自体」ではない。会計事務所にお世話になっていた頃、国民健康保険が高いと苦情をおっしゃるお客さまに何度も同じ説明をした。毎年。それでも溝は埋まらなかった。私の説明不足を悔いた。他方、もう一人の私は、「制度そのものや計算方式の根拠を理解する気持ちを持ってないのだなぁ」と絶望した。

絶望のなかに希望もある。ある中年の女性が口にした。「90歳にもなるご老人が年金から天引きされたら生活できないと電話で泣きながら話す。こんな制度がほんとうによいのだろうか。もう一度、制度だけじゃなく、医療を含めた全体を国会で議論してほしい」と。

私は女性の理想に賛同。こういう女性が「現場」にいらっしゃることを感謝する。

病院がサロンと化す。不必要な治療に医療費が支払われる。国民医療費の総額は30兆円、その1/3を70歳以上の高齢者が使う。「死」の直前にかかる医療費が一番高い。どうして高いかはタブーになってしまった。報道しないし。政治家は口にしたとたん票を失う。本来、自由診療であっても「白紙委任状」を書かせて保険請求する「医療」もある。コンビニ受診。救急車タクシー。列挙すれば絶望というより、もう「死」が身近に感じられる。「死」を抜きにした医療が報じられることで、幻想の生と無限の治療を私たちは獲得した。

中年の女性が口にした言葉に便乗する。国は医療を考えてほしい。そのかわり、私は自分の死を徹底的に考える。そこで折り合いをつけよう。

YouTubeで名場面鑑賞はヤバイ

スポーツをYouTubeで視るのはヤバイ。特にサッカーの神業とか。バスケのダンクコンテストとか :)

北京オリンピックで食料を食べるとドーピング違反?

情報番組でコメンテーターが、北京オリンピックでの食を不安視していた。食といっても、「食材の安全性」ではなく、「先方が用意した食料を食べてドーピング検査に違反する」ほうの不安。そんなことあるの?って疑っていたけど、いやはや。

中国の国家食品薬品監督管理局は10日記者会見し、上海にこの工場があることを認めて調査を始めたと発表した。外国通信社によると、工場側はギリシャ側に書面で謝罪し、複数の有毒な発がん性物質が偶然に加わったと説明したという。同管理局は「書面は存在するが、報道の内容と完全には一致していない」。違いを報道陣に追及され「まだ調査は初歩段階」と歯切れの悪い受け答えだった。

via: asahi.com:中国製栄養剤でドーピング違反? ギリシャ11選手発覚 - スポーツ

コメンテーターは食が「故意」である可能性にも、さらりげなく言及していた。ただ、私はこの場合の「故意」は「陰謀論」につながりかねず、とかく「陰謀論」は眉唾というか。それにしても場外乱闘の多いオリンピックだ。100年後、ようやく「歴史」になりかけていたとき、21世紀初頭のオリンピックの評価はいかに?

地域住民が小児科を守る

神戸新聞が取材し続けている兵庫県立柏原病院に「住民が奇跡起こした」と小児科医が着任してきた。

医師の負担軽減を目指す丹波市の母親グループの活動に共感した小児科医の石井良樹さん(32)=伊丹市出身=が、岡山県内の大学付属病院から同市柏原町の兵庫県立柏原病院に転勤を希望し、四月から常勤医として働いている。兵庫県病院局によると、他府県の大学医局を離れ、県内の地方に進んで赴任するのは極めてまれという。

via: 神戸新聞|社会|「住民が奇跡起こした」 小児科医が着任 丹波市

県立柏原病院の小児科を守る会は地域の母親が子どもたちを守り、小児科医の負担を軽減しようと結成された。医師の先生方からすればまさに「奇跡」と表したくなるのだろう。それぐらい地域の小児科は疲弊していたのかと再認識。

小児救急患者の大半が軽症とされる中、患者側が受診のあり方を見直し、小児科医の負担を軽減しようとする母親たちの活動が丹波市で実を結んでいる。可能な限り「かかりつけ医」で受診し、診察時間外の利用を避けるよう訴えた結果、同市の県立柏原病院では軽症の小児患者が駆け込むケースが激減。緊急性の低い患者側が受診を控える例は全国でも珍しく、医師不足の歯止め策としても期待されている。

via: 神戸新聞|社会|「コンビニ感覚の受診やめよう」 医療守る丹波の住民ら

医師や医療機関が悪者のように仕立て上げられる報道が目につくなか、患者の実態を報じるメディアもある。産婦人科なら「産み逃げ」や「コンビニ出産」、救急医療なら「コンビニ受診」。救急車は「タクシー」と化した。医療現場に携わる医師やスタッフの方々を案じると言葉もない。崩壊が目の前にやってきている。このままでは小児科がなくなってしまうのでは」という危機感を持った主婦が立ち上がり会を結成。「コンビニ受診をひかえる」よう呼びかけた。

「このままでは小児科がなくなってしまうのでは」という危機感を持った同市の主婦杉浦保子さん(28)は今年4月、母親たち約10人と「県立柏原病院の小児科を守る会」を結成。街頭などで小児科医派遣を要請する署名活動を行うとともに、「コンビニ感覚での病院受診を控えるようにしませんか」「かかりつけ医院を持ちましょう」などと書かれたビラを配り、利用する側の意識変革も訴えた。

via: 軽症でも安易に救急外来「コンビニ受診」減らそう

ただよびかけるだけでなく、子どもが熱を出したり、咳き込んだりしたときの対応を目安にしたチャートを作成して親に渡すといった活動に取り組んでいる。それら以上に私が感銘を受けたのは、医師への感謝

同会は医師に感謝の気持ちを伝えることも重視する。「先生、いつもありがとう」。母親から集めたメッセージカードが同病院内に掲示されている。病院や診療所の医師らに年賀状も出した。

via: 神戸新聞|社会|「コンビニ感覚の受診やめよう」 医療守る丹波の住民ら

ときおりインタビューで「診てやれない」という言葉に遭遇する。前後の脈絡を省いた判断は短見だけど、私は「上から目線」の医師の言葉に過剰に反応する。ただ幸いにも今まで出会った先生方からそんな目線を受けたことがない。ほんとうにありがたいと感じる。

医療の現場に「患者が主人公」なんてフレーズはナンセンスだと思う。また「医師がサポート」もどこか遠い。それぞれが果たせる役割を全力でぶつける場を両者がどうやって築いていくのか。そして互いに気づいていくのか。それが問題だと思う。先生方が「地域医療」に懸命に取り組んでも患者が気づかない。患者が不安を抱えていても先生方が気づかない。

お母さんたちは自分たちの子どもを守るため、先生を信頼することから歩み始めた。なにより自分たちが住む地域を信じる。それがスタートラインだと思う。

地域には「かかわる」という言葉がやってくる。それは重たい。だけど重たければ重たいほど優しい。厳しければ厳しいほど優しい。「かかわる」ことを抜きに地域は存在しない。「かかわる」がない地域、それは地点にすぎない。

へルシア緑茶と爽健美茶

「爽健美茶」からも除草剤成分が検出されて、場所が兵庫と読んでなんとなく気持ち悪い。不気味。

兵庫県警社(やしろ)署は7日、同県加東市内の無職女性(54)が市内のスーパーで購入した日本コカ・コーラ(本社・東京都渋谷区)のペットボトル入り飲料「爽(そう)健(けん)美(び)茶(ちゃ)」(500ミリ・リットル)を飲んで気分が悪くなり、県警による飲み残しの鑑定で、除草剤成分の「グリホサート」が検出されたと発表した。
 女性は病院で治療を受けているが、命には別条はなく、快方に向かっているという。同署は、何者かが混入させた可能性があるとみて、威力業務妨害と傷害の疑いで捜査を始めた。

via: 「爽健美茶」からも除草剤成分、女性が被害…兵庫(読売新聞) - Yahoo!ニュース

そんな矢先、政府が異例の対応。へぇ。

ペットボトル製品のお茶への異物混入が相次いでいることを重視した政府は政府は8日早朝、内閣府で関係省庁の担当者による「臨時食品危害情報総括官会議」を開いた。会議は大雨の中、午前4時半という異例の時間に開催された。相次ぐ食品汚染が国民の生命、健康に及ぼす影響が大きいと判断した。

via: 異例の午前4時半から超早朝会議 政府、異物混入で臨時食品危害総括官会議 - MSN産経ニュース

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