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3日で500万円の終末医療

民主党は「年金天引き」に焦点をあてて、制度と生活の問題をかわしていると私は受け止める。そんな矢先、長妻昭議員が質問した。前後の文脈を知らないので意図はわからない。でも、「終末医療」を引き出した議員と官僚に敬意を表します。あと毎日新聞にも。

後期高齢者(長寿)医療制度を担当する厚生労働省の職員が、自ら執筆した解説書の中で、死期の近づいたお年寄りの医療費が非常に高額として終末期医療を「抑制する仕組み」が重要と記していたことが分かった。23日の衆院厚生労働委員会で長妻昭議員(民主)が指摘した。制度導入の本音の一端が浮かんだ形だ。

解説書を書いたのは高齢者医療企画室長補佐。今年4月刊行の「高齢者の医療の確保に関する法律の解説」(法研)で、75歳以上への医療費が「3日で500万円もかかるケースがある」としたうえで、「後期高齢者が亡くなりそうになり、家族が1時間でも1分でも生かしてほしいといろいろ治療がされる」「家族の感情から発生した医療費をあまねく若人が負担しなければならないと、若人の負担の意欲が薄らぐ可能性がある」などと記述、医療費抑制を訴えている。

via: 後期高齢者医療制度:終末期の「抑制」重要 厚労省本音 - 毎日jp(毎日新聞)

自民党のみならず、批判する民主党も口にしない。口にした途端、落選がよぎるから。

メディアは「老人」にあてはめてるのではなく、医療、ひいては人の死、そして家族の問題として「終末医療」を報じてほしい。事実をたんたんと。3日で500万円の現実。そうすると、金じゃねぇ、家族の気持ちも考えろと「感情」が噴出するだろう。でも、そのあとにようやく議論ができるスタートラインに立てるのだと思う。

目は疑うためについている?

「騒音おばさん」に実刑判決・・・・その裏に隠された真実!! - kobaちゃんの徒然なるままに - Yahoo!ブログを読んで勇気のある人だなぁと嬉しくなった。騒音おばさんの話は、ブログ界隈に棲んでいると、以前から「どうも様相は違う」と話題になっていた。でも、ブログ界隈から一歩ぬけだせば、メディアの報道が「事実」であって、よもや被害者に疑いがかけられるなんてなかった。「メディアの報道に公平中立なんて絶対ない」と考えさせられた出来事。

今回被害者とされる「老夫婦」が隣に引越ししてくるわけだが、どうもこの自称被害者とされる「老夫婦」の方にこそ、トラブルの原因があるのではとの疑惑が持ち上がった。
この自称被害者とされる「老夫婦」は熱心な創価学会員であることも判明。
この事件についてはこんな書き込みがある。

via: 「騒音おばさん」に実刑判決・・・・その裏に隠された真実!! - kobaちゃんの徒然なるままに - Yahoo!ブログ

2006年の段階で、被害者の夫婦が「創価学会」だと疑われていた(参照)。

創価学会の会員であることと、今回の疑いの関連を私は判断できない。また、被害者側が「監視」したり、障害をもつおばさんのこどもに「中傷」したり、近所に「吹聴」したりしたかどうかは知らない。

ただ、火のないところに煙は立たないだろうなぁとだけ思う。あと、創価学会の会員がメディアのなかに多いという噂を耳目すると、なにかしらイヤだし、気が滅入る。

今年36歳になる。30代に突入してニュースを視なくなった。それも加速度的といういか、なかば意識的に視ない。「誰か」が「何かの目的」を持って「編集」した「映像」を「事実」だと受け止めてしまいかねない自分に恐怖を覚えた。新聞の記事を隅から隅まで読むかといえば、読まない。これも加速度的に。

「世間に疎くなる」のはやっぱりこわい。こわいから、テレビを視たり新聞を読んだりする。それは、「知る」行為だろうけど、忙しない時間の中、フト立ち止まる。「そもそも知る必要があるのか?」

知っているだけで何も考えていない自分。だけど、他人から「なんだ、そんなことも知らないの?」と見つめられる恐怖。「無知」の呪縛から自分を解き放ち「無知」を恐れないこと、それが自分には必要なんじゃないかと気付き始めた30歳。

時間はかかるかもしれないけど、「自分の目で見たこと」をじっくり考える、あるいは「自分の耳で聞いたこと」をじっくり吟味する、そういった「削る」が必要なんだ。黙読だけでなく、たまに音読してみると、自分の声が自分も耳に入ってくる。不思議な気分。

疑うというと負の意味を持つかもしれない。でも、目は危険を察知して我が身を守るためについているのじゃないかなぁと想像したり。なぜ、こんな複雑な位置についたのだろう。なぜ飛び出ているのだろう。

もっともっと削ろう。自分の感覚を研ぎ澄ますために。

携帯電話料金の苦情と長寿医療制度

長寿医療制度と同列に扱うと叱られるだろう。浅慮極まりないと。だけど、同じに見えてくる。携帯電話料金の割引サービスにはさまざまな制約がある実態について、利用者の理解が十分に得られていない状況が浮き彫りになったらしい。

料金トラブルの相談内容は「契約期間内の解約時に違約金・端末割賦代金の残金支払いを請求された」「携帯電話をパソコンに接続してパケット通信をし、高額な料金支払い請求された」「かけた覚えのない通話・ネット接続料金を請求された」など。多くが携帯電話に関連するもので、契約内容が十分に理解されていないため発生した案件が大半だった。

via: 携帯料金苦情が最多 電気通信07年度相談 制約理解得られず:モバイルチャンネル - CNET Japan

理解の「内容」は記されていない。前後の文脈を省いて判断すると、「苦情の内容」は紙またはサイトに記されている。小さい文字で。「聞いてなかった」と「書いてある」のがぶり四つ。自ら読まないし、自ら説明しない。「暇」と「手間」は超高速社会にそぐわない。「誰が見てもわかるようにしろ」と指摘され、誰が見てもわかるようにしたら「通話料が高い」と怒られる。先日、携帯電話の機種変更をしたとき、事前に確認書類の有無をしらべた(参照: 本人確認書類 | お客様サポート | NTTドコモ)。

で、運転免許証は持ってるけど、「えっ、この人、帽子をかぶっていると30代に見えるけど、ハゲなの。チョーカッコワルイ」なんて受付の女性にプッとされるのはイヤなんて被害妄想と自意識過剰を抱いて「健康保険証」を選んだ。そうすると、公共料金領収証をあわせて提示してくれと書いてある。で、持って行ったら、「必要ありません」とみごとなスマイルで返された。

そんなもんだろうなぁと思う。

別に委細にわたって整合性を求めない。ナニからナニまで自己責任なんてチープな単語を吐くわけでもない。ただ、「自分がいやな気分」になるのはイヤだから事前に調べるだけだし、「自分の落ち度」を軽減したいだけ。

ただねそうやって調べれば調べるほど罵りたくなる。「もうわざと料金体系を複雑にしてるんやろ。関心をもたせへんように」と。企業や政府が罵倒されるのはそこ。そして企業と消費者を結ぶのは不信と無関心。で、事が起こったときにだけ沸騰する。

万事はつつがなく終える。

Re: 批判が社会を喰い尽くす

批判が社会を喰い尽くすコメントをいただいたので一読して吃驚した。私ごときでは回答できない問題提起。ただただありがたいなぁと感謝。少しずつ少しずつ自分で考えているので、コメントされた方が注釈している『意味に餓える社会』を知らなかった。管理人さんの問題提起でまたひとつ考えることがふえた。それがとてもうれしい。答えは何年先になるか。辿り着けないかも。どうなるか何もわからない。

管理人さんは慶應義塾大学に在学とのこと。ステキなテキストを書くなぁと感じ入った。私からすればはるか高度な文章を書いていらっしゃる(”はるか”もおかしいな、どうも形容詞がしっくりこない)。管理人さんの知性は、この先もいかなる言葉を紡ぐのかとワクワクしてしまう。

次の文章に震えた。

情報交換や情報収集に希望が無いとすれば、次に考え得るのは意見交換や議論です。しかし、インターネットに専門家に対する非専門家、知識人に対する大衆(?)が包摂されている以上、自分自身が望むような水準(レベル)で意見交換や議論を展開していくことは、困難極まりありません。

何故か。<複雑高度>な寄与を、<単純>化することで、<万人共通>の事柄として取り扱うことが、不可能だからです。複雑高度な現象を語るには、素人や非専門家に退場して貰う必要があります。単純な話し合いで事を済ませたいのであれば、専門家や知識人に黙って貰わなければなりません。万人共通で標準化したいのであれば、複雑にも単純にも偏っては駄目です。

via: 「無駄話」としてのブログを。 - ポスト・ヒューマンの生命デザイン

今回の問題提起は<複雑高度な現象>だから素人の私は退場しなくちゃならない。私と管理人さんとの間にあるのは能力と現象の差異。いや、差異は失礼。能力の落差であり高低だ。ひとつひとつの単語の意味は理解できる。でも単語と単語とつなげる文章になると暗闇に入り、ましてや段落になると世界もなくなる。でもそれが他者なんだとうれしくなる。他者がもたらす「わからない」にふれたとき私が目覚める。

レヴィナスの「境界を接していない」という物言い、そして、<他者>の異邦性とは<他者>を<自我>、私の思考、私の所有物に還元することの不可能であり、それゆえ<他者>の異邦性はほかでもない私の自発性の審問として、倫理として成就されるとは、今回のような経験を指すのかも、とひょっとしたら一割ぐらい理解できたりしてとほくそ笑んだ。

管理人さんという他者から他の私がやってきた。他の私が私を突き刺したとき、私をながめる。でも、その私を眺める私は?

タマネギの薄皮をはぐように一枚一枚をはぐ。無限がぱっくり口をひらいている。いつか皮はなくなるはずなのに。でも、その私すらも「わたしが生きていようといまいと、<わたしはある>は意味作用をおこなう」私じゃない。

今の私はやっぱりヒトから目が離せない。

客観性の幻想をつかむ努力

国会議員は誰から報酬を得ているのか。もし、稲田議員の言うとおり「検閲」でないとしたら、「稲田議員に給料を支払うことは適正か確認したい」という理由で検閲させてもらえるのだろうか。そして、稲田議員の言論は「客観性」を有しているかどうかは不明と指摘されれば、稲田議員はどう受け止めるのだろう。「客観性」なんてナイ。

稲田議員は「表現の自由や上映を制限する意図はまったくない。でも、助成金の支払われ方がおかしいと取り上げられている問題を議員として検証することはできる」。

アルゴ側は「事実上の検閲だ」と反発していたが、「問題ある作品という風評が独り歩きするよりは、より多くの立場の人に見てもらった方がよい」と判断し、文化庁と相談のうえで全議員に案内を送った。会場は、同庁が稲田議員らのために既におさえていた都内のホールを使う。

via: asahi.com: 靖国映画「事前試写を」 自民議員が要求、全議員対象に

「検閲」でないとしたら、放映後に「検証」すればいい。内容を「反日的」と聞いた一部の自民党議員が、文化庁を通じて試写を求めた行為自体が、表現の自由や上映を制限してる。ただし、「反日的」という言葉には、朝日の「意図」が透けて見えるから辟易。もうすこし大人な書き方できないかなぁとこちらにも中指を突き立てる :mad:

立場というか、ひっくり返すと、こういう言葉も「スルー」されずに検閲されるのかもしれない。

海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故について、自民党の大前繁雄衆院議員(65)は8日、神戸市内であった党兵庫県連の会合で「交通事故のようなもの。他の漁船が(イージス艦を)かわしているのに、あの船だけかわしていない」などと述べ、清徳丸にも責任があると主張した。

via: livedoor ニュース - 「清徳丸にも重大な過失」大前議員が主張

「なんでまたこんな時にそんなことを口にする」と嘆く一方、「まわりの雰囲気を鑑みれば指摘できない可能性を口にする」と驚く、二つの感情が自分のなかで同居している。議員の言葉を狩るつもりはない。ちょっと言い方には首をかしげるけど。むしろ、そういう可能性を吟味する努力を「報道」が怠っているところに危惧を。

報道にその役割を求めるのは失礼なのだろう。

客観性の幻想を追い求める

JR福知山線脱線事故をはじめ地域社会をゆるがす事故が発生したとき、「客観性の幻想」を追い求める人たちに敬意を払う。稲田議員の言う客観性にはまった同意しない。とはいえ、(行政の肥大化を心配しつつ)海外のように「客観性をとことん追求する」機関を切望する自分もいたり。

「客観的」と判断した「客観性」を審判するのは誰かというタマネギの皮むきは残る。でも、その皮むきをする努力を怠れば、料理は難しい。「加工品をチン」が多勢になると、言葉にだけ反応したり、思想にだけ反発したり。「狩猟」が跋扈する。

とかく時間の流れはますますはやくなる。「時間」と「言動」の速度を一致させようと腐心した結果、何も残らず、「停止」だけが足跡を残す :cry:

大衆が不信を購入して社会が対価を支払う

妙案を提示できないので愚痴をこぼしたところで負がかかるだけ。だけどやっぱりしっくりこない。「まかせておけば大丈夫だよね」との頼りを裏切るふるまい、それを受けての疑う心、この両者が台頭する速度と濃度は無限に足を踏み入れた途端、社会的コストが増大へ向かうと痛感する。裏切りと疑心、どちらが先に生まれたのか知らない。コインの表裏。

中国産の具を日本に輸入して、日本でギョーザを製造すると、どこにも中国産の文字は表示されず、単に「製造者・〇〇」と日本企業の名前が表示される。日本で作られているが、ギョーザの具の産地(原料原産地)が表示されていないので、国産の野菜を使っているのか、中国産の野菜を使っているのかはわからない。

via: 【食にメス】原料原産地表示 隠されてしまう中国産

だったら、「加工してあるものも表示しようよ」とか「まどろっこしいから全部表示しようと」と切り出すと、企業はたまったものじゃない。ただ、自業自得と非難されてもしょうがない。やっぱり、悲鳴をあげた。

こうした現状の食品表示は問題だとして、東京都は「加工食品すべての原料原産地の表示を義務付けよう」と検討した。しかし、食品業界や国の「手間や労力がかかり売価に跳ね返る」とか「文字数が多くなり表示スペースがない」など、現実的でないという声に押され、冷凍食品など2、3種類の検討にトーンダウンしてしまった。

via: 【食にメス】原料原産地表示 隠されてしまう中国産

企業には、「加工食品で食卓に革命が起こった」わけで「どうせどの原産でも買うだろ」という適度な自負と過度な自信が同居しているのかも。あと、「だったら国産に切り替えたら、差額を販売価格に反映してもいいのかよ」という不信もあったり。そも、国産に切り替えた時点で、市場は供給不足で混乱すると思う。

消費者には、「便利だしおいしい」と「大企業が製造しているから安心」という適度な信用と過度な安心が同居しているのかも。加工食品を獲得した引き替えに、生産から屠殺を経て調理されるまで、ようは「加工」される手前の「料理」を食卓の見えないところに押しやった。自宅からゴミを片付けるとき、自宅から「見えなくなる」ことが掃除であるかのように。自宅以外はゴミ箱であっても。

だからといって、「健康」に舵をきれば「自然」へと回帰させる。健康も自然も「」つき。すでに「手」がついている。

食べ物を生み育てる人たちが笑顔で手を土にまみれさせる環境。手をよごさない肥大化した組織が補助金や貸付で「農薬」と「減反」に関与し、それを受け入れるような「相互扶助」を少しずつ溶解できないだろうか。自分の住んでいる所で育てられる食べ物はそこで生産して食べる。あたりまえのようだけど、とても難しい。

医療も原料原産地の表示を義務付けよう

「すべてを信じる」か「すべてを疑う」、両極を思考に導いて中庸を導出する作業は厭わない、だけど両極の行動はちょっと苦手。とはいえ、医療に向きあう患者になったとき、「医療の境界を納得しつつ、境界の外側への思いを抱く」姿勢を保ちたい。矛盾を抱えて。謙虚と感謝。もちろん、「たまたま医者になってしまった」先生と出会わずにすませる狡知と。集合の全体は礼節、ただし、「そんな先生もいるよね」と受け流す力。

礼節と受け流す力は「ひとり」で涵養できない。それは人と人の脈から与えられたり、探しあてるもの。また「意識」して「見える」わけもなく、気付いたら「なんだか心地よい環境に身を置けてるなぁ」と他者から指摘されるぐらいがほどよい。自分が「なんだか心地よい環境に身を置いてるなぁ」と認知したら、それは疑わないと。そんなに易しくないはず。

加工食品も医療も妙案なんてない。ただ、「私から解き放たれた疑念はいつか私に突き刺さる。そのときの衝撃は放ったときよりも大きく、甚大な対価を求められる」と疑う今日このごろ。 ;-)

古舘伊知郎氏はネタにされて視聴率を稼ぐ 報道ステーションの戦略

「アダルトチルドレン」発言で、古舘氏が謝罪 - MSN産経ニュース

古舘氏の説明によると、問題の発言をしたのは、13日放送の「18歳は成人か」というニュース。古舘氏は「大人になりきれていない子供」という意味で「アダルトチルドレン」を使った。しかし、アダルトチルドレンは一般的に、アルコール依存症の親に育てられるなど機能不全家庭で育ち、成人になってもそうした体験が心的外傷として残っている人を指す言葉。古舘氏は14日の同番組の最後に、「本当に苦しんでいる人に申し訳ない。以後気をつけたい」と神妙な面持ちで謝罪した。

このブログに数件ながら毎日アクセスされるエントリーがある。3年前に書いたので読み返すと、フルチンで町中を滑走している気分。

古舘伊知郎氏はセルフチェックしてないの?

冒頭の記事とリンク先のエントリー、ブログ界隈に転がっているコメントから妄想すると、報道ステーションの視聴率は、「ニュースを視たい人が視る」のではなく「時事を批判する古舘伊知郎のコメントを聞きたい」ために成立しているのかも。

さらに妄想を。

「今日の古舘伊知郎め、またトンチンカンな知ったかぶりをしやがって。お前が勝手に言い散らかしているだけだろ」とテレビの前でツッコミいれて、「オレはお前と違うぞ」と自分のブログに書いたり他人のブログにコメントしたり。そして溜飲が下がる。

ひょ、ひょっとしてコレはニュースの新しい戦略なのか。視聴率の稼ぎ方。「報道」ではなく、「報道をネタに批判する人」と「報道をネタに批判する人をネタにする人」との丁々発止。そんな気がした。

制限時間内にインパクトのある言葉

古舘伊知郎氏の謝罪を報じた記事をながめて、映像を視てないにもかかわらず「知ったか」すると、氏は自分が無知だなんてもちろん認識していない。チャンネルを切り替えた途端、画面で遭遇すると、「ずいぶんいいスーツを着ているな」と思う。その瞬間、氏の口から「格差」なる言葉が飛び出し、あやうく飲みかけのビールを画面にカブキしそうになった。

「スーツ」と「格差」のパラドックス。認識は主体と客体を分離して、次数をあげた空間から両者を眺めることだと勝手に思っている私からすると、「スーツと格差のパラドックス」を解いていない氏に「認識」は備わってないなぁと思う(じゃぁ、ボロボロのスーツかというかとそうじゃないけど)。Love your suites.

「いいスーツを着ている人」が「格差」と訴えても耳を傾けてくれない。それを身体で理解していない。わかるはずない。そもそも「わかる」必要がない。

テレビは制限された時間にインパクトを与えなくちゃいけない。だとしたら、「沈思黙考」や「常識」なんか邪魔になるだけ。数秒から1分程度でインパクトを。どれだけ、「へぇ、そうなの?」と思わせるように言葉を販売する。

報道じゃなく言葉をセールスする番組

言葉をセールスする番組だから言葉を仕入れなくちゃならない。おまけに在庫をもてない。カンバン方式だな。だから、てっとりばやく「カタカナ」や「平積み」のトレンディーかつトリビアルな単語、あるいは「デタラメ」や「懐古」みたいな自己陶酔できる形容詞を口にする。

報道番組としてながめると、「言葉の一義性」と「言葉の多義性」が対立する。古舘伊知郎氏が「格差」と言えば、彼にとっての格差は一義的。でも、「格差って?」と懐にいれて大切にしている人は多義的。

言葉を多義的に感じて受け入れる人は、「そもそも」からはじまる。

でも、氏ははじまらない。これも、「そもそも」からはじめる必要がない。

本日の「格差」は105円 本日の「汚職」は210円

スーパーマーケットには豊かさの象徴が並んでいる。たくさん輸入してきてたくさんの物を並べる。「たくさん」に価値を見いだす。「中国」のラベルと「国産」のラベル、その違いは価格であっても、「差異の理由」を追求しない。

古舘伊知郎氏の報道は、「本日の格差は105円です。あ〜、汚職は210円ですね」と受け止めればなかなかオモシロイ。おっ、今日は安いな。ただのシグナル。意味はない。

だから報道番組として眺めるのじゃなく、チラシを見て笑えるぐらいのゆとりを持てばいいのかも。報道ステーションのスタッフも報道番組と認識していないから、マクドナルド元店長代理証言でアサヒるわけで。

コメディー、いや違うな。「報道をネタにした新たなトーク番組」みたいな仕込みありの新ジャンルとして目を細めてニッコリしているのがストレスフリーですね。

なにせ「ネタ」のご時世ですから。

バイオ燃料使って水不足

地球温暖化って何のためのフレーズなんでしょう? 主語はヒト? 地球?二元論にはまると陥穽が。どうも皮肉な結果を招きかねない事態も。ヒトに脅威をもたらす地球温暖化を回避しようとしたらヒトに必要な水が不足らしいです。なんだかアイロニーと申しましょうか。地球温暖化がビジネスとリンクする。と、もう主語はヒトであって手段が目的化する典型。バイオ燃料生産拡大で水不足、食糧難加速と予測

トウモロコシなどが原料で、地球温暖化対策として注目されているバイオ燃料の生産が今後も拡大すると、中国やインドの水不足が悪化し、世界の穀物価格はさらに高騰するとの予測を、日本政府や世界銀行などが出資する国際的な農業研究組織「国際農業研究協議グループ(CGIAR)」がまとめた。

規模が壮大すぎてわからない。かといってコミットメントしないのももどかしい。だから、「両極端」を読む。中庸。差し障りのないコトをささやく本は却下。選択基準が「極」にあればあるほど考える素地が醸成されると思うわけで。

私は地球温暖化に中指をつきたてるほうです。ただ、車は乗らないし、買い物もレジ袋邪魔だし、割り箸もイヤだなぁとマイ箸がほしいし、ペーパーレス環境を構築しようと来月あたりFUJITSU ScanSnap(スキャンスナップ)を購入するし、最近では宅急便ってどうよ?って思ったりもします。でも地球温暖化には中指をたてます。それが私のコミットメントですね(w

■バイオ燃料 トウモロコシやサトウキビといった植物由来の物質を発酵させて生産した、アルコールなど生物起源の燃料。使用時に出る二酸化炭素は、植物が大気中にある炭素を光合成で固定したものなので、地球温暖化への影響が小さいとされる。ガソリンの高騰と温暖化対策の進展から、各国で生産量が急増している。原料の栽培が森林破壊を招いたり、食料生産を圧迫したりすることのほか、生産に多くのエネルギーを必要とするなどのマイナス面も指摘されている。

報道が医療の崩壊を手助け

システムの問題であって、医師やスタッフの方々の不手際じゃない。年末年始関係なく前線で激闘してくださっている。報道はそろそろ気づいているはず。自分たちがミスリードさせた結果、今、現場は未曾有の不信に包まれていることを。でもやめない。週刊誌のような見出しが跋扈。

搬送1時間:5救命センターに断られ、男性死亡 東大阪

救急隊が同10時33分に事故現場に到着。西村さんは胸を強く打って危険な状態だったが、5カ所の救命救急センターが受け入れを断った。6カ所目に同府吹田市の府済生会千里病院併設の千里救命救急センターが受け入れを了承。救急隊は午後11時に現場を出発し、11時35分に西村さんを同センターに運び込んだ。河内署の話では、西村さんは事故直後「大丈夫」と話していたというが、搬送後の3日午前1時40分過ぎ、大動脈損傷による出血多量で死亡した。

収容に1時間、事故男性死亡 5救命センター拒否 大阪

西村さんの長男(27)は、搬送先の病院の医師から「到着時に意識がなく傷は心臓に達しているため、手術が難しい状態だった」と説明を受けたという。「近くで受け入れてもらえなかったのは悔しいが、正当な理由があるのなら、あきらめざるを得ない」と話した。

遺族の方々にとってどのような事由であれ身近な人を亡くすのは絶望の淵に立たされる。ただただ手を合わせるのみ。

毎日と朝日を比較。朝日は自重した印象を受ける。少し冷静になって、死因を事故の因果関係から説明しようとするあがきが。他方、毎日はというと、西村さんは事故直後「大丈夫」と話していたというがのくだりがあざとい。

報道はなぜ伝えようとしない。医療体制が崩壊に向かっている中、本来受診する必要もない人が来院している事実に。視聴者を批判する勇気をもたない。

「長寿であること、健康であること」が信仰の対象になった。宗教よりも手強い。アンタッチャブルな”神”を創造した。メディアが。

長寿であること=数値、健康であること=数値。すべてを否定しない。だが、一歳でも長く生きようとすることに”だけ”腐心する、あるいは一キロでも軽く、一パーセントでも低くくと体重計にのる。

報道が医療の崩壊を手助している、それを報道自身は気づいている。なのに止めない。そこに「何か」がある。

使い回しでC型肝炎に感染

器具使い回し肝炎 5人感染18人疑い 茅ケ崎市立病

神奈川県にある茅ケ崎市立病院の循環器内科で心臓のカテーテル検査を受けた60〜70代の男性患者5人が、C型肝炎に感染していたことがわかった。25日、病院が記者会見して明らかにした。感染は昨年12月から今年4月にかけてで、血圧変動を監視する器具「トランスデューサー」を交換せずに使い回したことが原因とみられる。メーカーの取り扱い説明書には1回ごとに廃棄するよう記載してある。使い回した理由について担当の臨床工学技士は「手術が立て込んでいて忙しかったから」と説明しているという。他に感染の疑いがある患者が18人おり、病院は検査を受けるよう要請している。

問題と課題と解決を切り分けて報道しないとさらなる不信をよびかねない。「使い捨て」を「使い回し」してC型肝炎に感染。

  • 昨今の病院経営の困窮から組織的な”暗黙”の了解 - 診療報酬制度の問題
  • ほんのわずかでも”暗黙”の了解が存在したなら道徳的危険 - 道義的・倫理的問題
  • 臨床工学技士の言い分どおりなら診療体制の危機 - 地域医療の問題
  • 医師が専門スタッフのどこまで管理するのか(個人の医師と病院の役割の峻別) - 危機管理の課題

このあたりごったまぜにすると、「けしからん」の一点張りに(許し難い行為であることには間違いありません)。何の問題解決にもならず、不信と不安を増長させるマスコミの得意分野に引きづり込まれる。

その後の処置や今後の補償、なによりも患者さんのQOLのケアは早急に対応しなくちゃいけない。

でも、発生した人為的事故(あるいは暗黙のうえに成立した組織的事故)について、「何が問題なのか」は性急に結論を出すのはいかがかと思う。

肝炎検査感染 「長年の慣れ」 器具交換の指示なし

器具は一個約4600円。医療保険の対象ではなく、病院側が費用を負担する仕組みという。出費を抑えるための行為ではなかったのか——そんな疑問に、病院側は「次々と検査の患者が来るので、忙しくて交換しなかったと担当者が言っている」などと答えるにとどまった。

まちの病院がなくなる!?―地域医療の崩壊と再生

まちの病院がなくなる!?―地域医療の崩壊と再生

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