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生命保険は悲惨なギャンブル

この商品は「生命保険」ではありませんし、もちろん「医療保険」でもありません。ポイントは「病気での入院」に対して保険金が支払われるとは、一言も言っていないことです。

「治療や入院の実費を最高100万円まで保障」とありますが、それは「ケガでの治療」に限られているのです。また、「お葬式の費用を保障」というのも、亡くなった場合に払われるのではなく、親族が負担する葬祭費用の「実費」を一定限度まで保障するというもの。

つまり、これは「損害保険」商品なのです。

via: asahi.com(朝日新聞社):「誰でも入れる」保険の真実(上) - 保険のカラクリ - 生命保険特集 - 健康

もともと生命保険はギャンブル

  • 独身なら生命保険は不要
  • 子供がいないか、すでに成人しているなら、保険料の支払いより資産形成を優先させる
  • 子供がまだ幼く十分な貯蓄がない家庭は、保険の優位性を最大限に活かす

それでも、生命保険がほんとうに必要かどうかの判断はむずかしい。立ち位置の問題。

3日で500万円の終末医療

民主党は「年金天引き」に焦点をあてて、制度と生活の問題をかわしていると私は受け止める。そんな矢先、長妻昭議員が質問した。前後の文脈を知らないので意図はわからない。でも、「終末医療」を引き出した議員と官僚に敬意を表します。あと毎日新聞にも。

後期高齢者(長寿)医療制度を担当する厚生労働省の職員が、自ら執筆した解説書の中で、死期の近づいたお年寄りの医療費が非常に高額として終末期医療を「抑制する仕組み」が重要と記していたことが分かった。23日の衆院厚生労働委員会で長妻昭議員(民主)が指摘した。制度導入の本音の一端が浮かんだ形だ。

解説書を書いたのは高齢者医療企画室長補佐。今年4月刊行の「高齢者の医療の確保に関する法律の解説」(法研)で、75歳以上への医療費が「3日で500万円もかかるケースがある」としたうえで、「後期高齢者が亡くなりそうになり、家族が1時間でも1分でも生かしてほしいといろいろ治療がされる」「家族の感情から発生した医療費をあまねく若人が負担しなければならないと、若人の負担の意欲が薄らぐ可能性がある」などと記述、医療費抑制を訴えている。

via: 後期高齢者医療制度:終末期の「抑制」重要 厚労省本音 - 毎日jp(毎日新聞)

自民党のみならず、批判する民主党も口にしない。口にした途端、落選がよぎるから。

メディアは「老人」にあてはめてるのではなく、医療、ひいては人の死、そして家族の問題として「終末医療」を報じてほしい。事実をたんたんと。3日で500万円の現実。そうすると、金じゃねぇ、家族の気持ちも考えろと「感情」が噴出するだろう。でも、そのあとにようやく議論ができるスタートラインに立てるのだと思う。

なんでこんなにとられるのか

すべての老人が使っているわけじゃない。でも、「とられる」という。だとしたら、「税金と社会保険料から 毎月○○円の医療費をとっています」と自分を表現するはず。報じる方は、「2年前からわかっていたのだから、もっと懇切丁寧に」と口にする。正論。じゃぁ、2年前から報道は問題を指摘し続けてきただろうか。制度の問題点を「わかりやすく」報じているだろうか。「高い」か「負担」を飛び交わせば「わかりやすい」説明らしい。日本の総医療費は対GDP比で7〜8%。主要先進国では低いとのこと。窓口負担がないカナダとかが顔をだす。「世界」との比較が「わかりやすい」説明らしい。

参院選の大敗が引き起こした現場の混乱。軽微だろうけど報道はひっそりと報じた。もう施行が目の前にあり、システム開発も佳境に入る矢先に「負けちゃったからやばいよ、延期しよ」といえば、保険証の混乱は織り込み済み。

高齢者の医療費負担増の凍結を検討している自民、公明両党の与党プロジェクトチーム(PT)は30日、来年4月に予定していた70~74歳の窓口負担割合の1割から2割への引き上げを1年間凍結するなどの措置を正式に決めた。75歳以上の一部からの新たな保険料徴収も半年間先送りし、続く半年間も本来の保険料の1割に減額する。

今回の合意で必要となる税負担は、窓口負担増の凍結で1100億円、保険料徴収の先送りや軽減で360億円。一連の措置に伴うコンピューターのシステム改修費として100億円程度かかる見込み。与党は、これらを合わせた計1500億円程度を今年度補正予算に計上するよう政府に求める。

via: asahi.com:高齢者の医療費負担増の凍結、与党PTが正式決定 - 健康

関心は、「自分がいくら払うのか?」であって、「制度それ自体」ではない。会計事務所にお世話になっていた頃、国民健康保険が高いと苦情をおっしゃるお客さまに何度も同じ説明をした。毎年。それでも溝は埋まらなかった。私の説明不足を悔いた。他方、もう一人の私は、「制度そのものや計算方式の根拠を理解する気持ちを持ってないのだなぁ」と絶望した。

絶望のなかに希望もある。ある中年の女性が口にした。「90歳にもなるご老人が年金から天引きされたら生活できないと電話で泣きながら話す。こんな制度がほんとうによいのだろうか。もう一度、制度だけじゃなく、医療を含めた全体を国会で議論してほしい」と。

私は女性の理想に賛同。こういう女性が「現場」にいらっしゃることを感謝する。

病院がサロンと化す。不必要な治療に医療費が支払われる。国民医療費の総額は30兆円、その1/3を70歳以上の高齢者が使う。「死」の直前にかかる医療費が一番高い。どうして高いかはタブーになってしまった。報道しないし。政治家は口にしたとたん票を失う。本来、自由診療であっても「白紙委任状」を書かせて保険請求する「医療」もある。コンビニ受診。救急車タクシー。列挙すれば絶望というより、もう「死」が身近に感じられる。「死」を抜きにした医療が報じられることで、幻想の生と無限の治療を私たちは獲得した。

中年の女性が口にした言葉に便乗する。国は医療を考えてほしい。そのかわり、私は自分の死を徹底的に考える。そこで折り合いをつけよう。

古舘伊知郎氏はネタにされて視聴率を稼ぐ 報道ステーションの戦略

「アダルトチルドレン」発言で、古舘氏が謝罪 - MSN産経ニュース

古舘氏の説明によると、問題の発言をしたのは、13日放送の「18歳は成人か」というニュース。古舘氏は「大人になりきれていない子供」という意味で「アダルトチルドレン」を使った。しかし、アダルトチルドレンは一般的に、アルコール依存症の親に育てられるなど機能不全家庭で育ち、成人になってもそうした体験が心的外傷として残っている人を指す言葉。古舘氏は14日の同番組の最後に、「本当に苦しんでいる人に申し訳ない。以後気をつけたい」と神妙な面持ちで謝罪した。

このブログに数件ながら毎日アクセスされるエントリーがある。3年前に書いたので読み返すと、フルチンで町中を滑走している気分。

古舘伊知郎氏はセルフチェックしてないの?

冒頭の記事とリンク先のエントリー、ブログ界隈に転がっているコメントから妄想すると、報道ステーションの視聴率は、「ニュースを視たい人が視る」のではなく「時事を批判する古舘伊知郎のコメントを聞きたい」ために成立しているのかも。

さらに妄想を。

「今日の古舘伊知郎め、またトンチンカンな知ったかぶりをしやがって。お前が勝手に言い散らかしているだけだろ」とテレビの前でツッコミいれて、「オレはお前と違うぞ」と自分のブログに書いたり他人のブログにコメントしたり。そして溜飲が下がる。

ひょ、ひょっとしてコレはニュースの新しい戦略なのか。視聴率の稼ぎ方。「報道」ではなく、「報道をネタに批判する人」と「報道をネタに批判する人をネタにする人」との丁々発止。そんな気がした。

制限時間内にインパクトのある言葉

古舘伊知郎氏の謝罪を報じた記事をながめて、映像を視てないにもかかわらず「知ったか」すると、氏は自分が無知だなんてもちろん認識していない。チャンネルを切り替えた途端、画面で遭遇すると、「ずいぶんいいスーツを着ているな」と思う。その瞬間、氏の口から「格差」なる言葉が飛び出し、あやうく飲みかけのビールを画面にカブキしそうになった。

「スーツ」と「格差」のパラドックス。認識は主体と客体を分離して、次数をあげた空間から両者を眺めることだと勝手に思っている私からすると、「スーツと格差のパラドックス」を解いていない氏に「認識」は備わってないなぁと思う(じゃぁ、ボロボロのスーツかというかとそうじゃないけど)。Love your suites.

「いいスーツを着ている人」が「格差」と訴えても耳を傾けてくれない。それを身体で理解していない。わかるはずない。そもそも「わかる」必要がない。

テレビは制限された時間にインパクトを与えなくちゃいけない。だとしたら、「沈思黙考」や「常識」なんか邪魔になるだけ。数秒から1分程度でインパクトを。どれだけ、「へぇ、そうなの?」と思わせるように言葉を販売する。

報道じゃなく言葉をセールスする番組

言葉をセールスする番組だから言葉を仕入れなくちゃならない。おまけに在庫をもてない。カンバン方式だな。だから、てっとりばやく「カタカナ」や「平積み」のトレンディーかつトリビアルな単語、あるいは「デタラメ」や「懐古」みたいな自己陶酔できる形容詞を口にする。

報道番組としてながめると、「言葉の一義性」と「言葉の多義性」が対立する。古舘伊知郎氏が「格差」と言えば、彼にとっての格差は一義的。でも、「格差って?」と懐にいれて大切にしている人は多義的。

言葉を多義的に感じて受け入れる人は、「そもそも」からはじまる。

でも、氏ははじまらない。これも、「そもそも」からはじめる必要がない。

本日の「格差」は105円 本日の「汚職」は210円

スーパーマーケットには豊かさの象徴が並んでいる。たくさん輸入してきてたくさんの物を並べる。「たくさん」に価値を見いだす。「中国」のラベルと「国産」のラベル、その違いは価格であっても、「差異の理由」を追求しない。

古舘伊知郎氏の報道は、「本日の格差は105円です。あ〜、汚職は210円ですね」と受け止めればなかなかオモシロイ。おっ、今日は安いな。ただのシグナル。意味はない。

だから報道番組として眺めるのじゃなく、チラシを見て笑えるぐらいのゆとりを持てばいいのかも。報道ステーションのスタッフも報道番組と認識していないから、マクドナルド元店長代理証言でアサヒるわけで。

コメディー、いや違うな。「報道をネタにした新たなトーク番組」みたいな仕込みありの新ジャンルとして目を細めてニッコリしているのがストレスフリーですね。

なにせ「ネタ」のご時世ですから。

報道が医療の崩壊を手助け

システムの問題であって、医師やスタッフの方々の不手際じゃない。年末年始関係なく前線で激闘してくださっている。報道はそろそろ気づいているはず。自分たちがミスリードさせた結果、今、現場は未曾有の不信に包まれていることを。でもやめない。週刊誌のような見出しが跋扈。

搬送1時間:5救命センターに断られ、男性死亡 東大阪

救急隊が同10時33分に事故現場に到着。西村さんは胸を強く打って危険な状態だったが、5カ所の救命救急センターが受け入れを断った。6カ所目に同府吹田市の府済生会千里病院併設の千里救命救急センターが受け入れを了承。救急隊は午後11時に現場を出発し、11時35分に西村さんを同センターに運び込んだ。河内署の話では、西村さんは事故直後「大丈夫」と話していたというが、搬送後の3日午前1時40分過ぎ、大動脈損傷による出血多量で死亡した。

収容に1時間、事故男性死亡 5救命センター拒否 大阪

西村さんの長男(27)は、搬送先の病院の医師から「到着時に意識がなく傷は心臓に達しているため、手術が難しい状態だった」と説明を受けたという。「近くで受け入れてもらえなかったのは悔しいが、正当な理由があるのなら、あきらめざるを得ない」と話した。

遺族の方々にとってどのような事由であれ身近な人を亡くすのは絶望の淵に立たされる。ただただ手を合わせるのみ。

毎日と朝日を比較。朝日は自重した印象を受ける。少し冷静になって、死因を事故の因果関係から説明しようとするあがきが。他方、毎日はというと、西村さんは事故直後「大丈夫」と話していたというがのくだりがあざとい。

報道はなぜ伝えようとしない。医療体制が崩壊に向かっている中、本来受診する必要もない人が来院している事実に。視聴者を批判する勇気をもたない。

「長寿であること、健康であること」が信仰の対象になった。宗教よりも手強い。アンタッチャブルな”神”を創造した。メディアが。

長寿であること=数値、健康であること=数値。すべてを否定しない。だが、一歳でも長く生きようとすることに”だけ”腐心する、あるいは一キロでも軽く、一パーセントでも低くくと体重計にのる。

報道が医療の崩壊を手助している、それを報道自身は気づいている。なのに止めない。そこに「何か」がある。

日本人はラクターゼを持っている人が少ないそうで

以前、『病気にならない生き方』をレビューしました。そのとき読んだ印象として「牛乳は体に悪い」と私は受け取らなかったですけど。

「牛乳は体に悪い」は科学的根拠なし

医学や栄養学などの学識者16人で構成する「牛乳乳製品健康科学会議」(会長・折茂肇健康科学大学学長)は18日、米アルバート・アインシュタイン医科大の新谷弘実外科教授が著書「病気にならない生き方」(サンマーク出版)の中で、「牛乳を飲み過ぎると骨粗しょう症になる」などと記したことに対する公開質問状への回答書を公開、新谷医師の牛乳乳製品に関する主張は「科学的根拠がない」とする見解を発表した。

「科学的根拠」とするところに陥穽があるような。というのも、結局、「科学的根拠」に依拠した健康番組どおりに食生活を営むと、「科学的根拠」の矛盾が生じるわけでして。

で、何が言いたいかというと、人間も生物だととらえて、「大人になってまで牛乳を飲む必要がほんとうにあるのか」ということをもう少しグロテスクに考えみようということを新谷先生は主張したかったように受け取ってます。

人間の乳じゃなく、牛の乳であって、とうぜんそのまま飲むのではなく、「加熱殺菌」してます。加熱して殺菌すると、牛乳が含んでいる本来の「モノ」まで破壊しているかもしれないなんて疑問は? 殺菌工程を経てまで摂取する必要があるの?

牛乳を飲むとお腹がゴロゴロするのはどうしてか?

「科学的根拠」なんてあんまり跋扈させると原理主義化しかねない。「自分の身体に耳を傾けて」みることが大切だと思います。

病気にならない生き方 2 実践編

病気にならない生き方 2 実践編

メディアが警察に沈黙する不気味な仕組み

第一報が報じられてから新聞各社のサイトを訪問している。が、あまりの沈黙ぶりに悪寒する。私は、一報にふれたとき、「何かが破裂した」と感じた。まれに襲われる。破綻した感覚。今まで暗黙の上に成り立っていた社会の約束事がやぶられたと感じるときに襲われる。自分の思い過ごしであるのは十分承知している。

警視庁は21日、立川署地域課の友野秀和巡査長(40)=東京都あきる野市瀬戸岡=が、国分寺市東元町にある知人女性(32)のアパートで、拳銃(けんじゅう)で胸を撃って自殺したと発表した。女性も胸と腹を3発撃たれ、死亡。友野巡査長は勤務中に行方が分からなくなり、発見時も制服姿で、拳銃は友野巡査長に支給されたものだった。女性は立川市内の飲食店勤務とみられる。警視庁は無理心中とみて、動機などを調べている。

via: 無理心中か 警視庁巡査長が知人女性を射殺後、拳銃自殺

しかし、だと思う。

日本は銃規制された社会(もちろん闇では大量に流通している)であり、一般市民は入手しづらい。賛否の議論はあるだろうけど、自衛の武器を放棄している。そのなかで、唯一、公権力から承認されて武器を所有するのが警察官のはずだ。その警察官が武器を行使した。殺人として。公務でもなんでもない。単に己の欲望のために、公務中に国民を守る武器を行使して市民を殺した。今、流れている報道では、弾は床にめりこんでいたという。相手の女性を寝かせ、上から胸と腹を撃ち、その弾が貫通したことを意味する。

無理心中か?と推測し、自殺したからとりたてる必要がないとの判断か。いまだに肩書きで記されている。他の殺人であれば容疑者呼ばわりにもかかわらず。だとしたら、焦点はそこではないと私は思う。人を殺せる武器を所有した権力が平然と人を殺した。それを論じるメディアは本邦にいない。

事件が発生したとき、メディアは警察と検察から情報を取得する(参照: 官僚とメディア)。だから、その両者に対して「貸し」をつくっておくというスタンスはひとつの戦術かもしれない。あるいは、両者を刺激して今後の報道に支障がきたすとまずいからという配慮か。

が、そのいずれも、己の保身でしかない。この事件を堂々と追求して、権力が武器を所有する意味を問わずして報道の責務を果たしているといえるのか。翌日の社説はどこもとりあげていない。

その沈黙に背筋が凍る。

関連記事:

羞恥

「麻生氏の交代をどう思うか」。日本人記者がリブニ外相にこう質問したところ、麻生外相は苦笑しながら英語でリブニ外相に「その質問は無視してください」。やや驚いたものの笑いながら言葉をのんだリブニ外相は会見後、質問をした記者に「ごめんなさいね」と声をかけたという。

via: 麻生外相「記者の質問は無視して」

誰からもタタかれない人々がまっさきに忘れるもの :oops:

健康診断って何が本当か?

毎日新聞(オンライン版)のを一読して、もやもや。

健康診断で実施されている代表的な24の検査項目のうち、肝機能検査や心電図測定など16項目は、病気の予防や死者の減少という視点では有効性を示す根拠が薄いとの評価結果を、厚生労働省の研究班がまとめた。自治体や企業に法律で義務付けられ、成人の大半が受ける健診の実施費用は、同省などによれば総額で年間9000億円近くに上る。多くの健診項目が「実施を勧める証拠はない」とされたことで、制度の見直し論議は高まりそうだ。

via: 「項目の大半が有効性の証拠薄い 厚労省研究班」

記事中のタームを理解していないので、あくまで概要というか、「あぁ、そうか、そんなにも無駄があるのか」程度しか読み込めない。が、それにしても、何が本当なんだろうか? と首をかしげたくなる。

厚労省にとって国民医療費の増加抑制は、刻下の喫緊事。医療費が初めて5兆円を突破したのが昭和49年、その年の増加率が、36.2%。以来、増加率は減少の一途を辿っているが、医療費そのものは、右肩上がりを続けている。現在の国民医療費は約30兆円。2025年には49兆円を突破、65歳以上にかかる医療費の割合は6割以上との試算もある。

よって、今回のまとめが、「見直し・削減」を目的とした医科学的弁証であると頷ける。じゃぁ、なぜもっと以前に検証できなかったのかと批判するのは簡単だけど、後の祭り。

むしろ、どうすればこれらの情報の本質を、自分のような医療情報に精通していないレイピープルに伝えられるかを思案した(参照)。
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同じ穴の狢

「乗客」の運転士2人、救助作業せず出社 JR脱線事故

兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)で脱線した快速電車(7両編成)に、出勤中のJR西日本の運転士2人が乗り合わせていたことがわかった。いずれも救助活動に加わらずに職場の電車区に向かい、通常通りに乗務していた。うち1人は電話で、職場の上司に快速に乗り合わせていたことを報告したが、上司は事故現場に戻るよう指示しなかった。現場を離れた理由について、2人は「気が動転していた」などと説明している。

労組の最初の会見と違う。その後、「二人とも現場から連絡したが、うち一人は"遅れずに来てください"との指示があった」と。会社は、早期再開をめざすあまり迷言よろしく迷走しているし、労組は、自分たちの責任について明言をさけながら"会社"を連呼してるって思う。

相対峙しているようだけど、両者がみているモノは、「JR西日本」。同じ穴の狢。内に目をむけているだけじゃないかなぁ。
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