枚岡祭り

先週の金曜日、友人と少しおしゃべり。無性に懐かしみたくなって、写真をひっぱりだしてきた。で、恥を覚悟でアップした(ォ。今日は、プライベートブログを激しくとおりこしているので、思いっきりスルーしていただいて結構かと….orz。

と、いうわけでナニを懐かしむかというと、地元の祭り。場所は、近鉄枚岡駅下車徒歩1分の枚岡神社、名称は「枚岡祭り」、開催日は10月14、15日。

一年に一度、近鉄額田駅から瓢箪山駅までのやんちゃもんが、興奮+絶叫する日。地元の町工場は、操業停止する日。学校で多数の欠席者がでる日。中坊の間でにわかカップルが誕生する日。不法駐車の車をみんなで真横にひっくりかえしても警察に怒られない日。お腹一杯剣先イカが食べられて、ぶっ倒れるまで日本酒が飲める日。その他、このブログでは書いちゃいけないことが一杯おこる日。

枚岡祭り

万が一ご覧になった方のなかで、ワタクシをご存じの関係者各位におきましては、度肝をぬかれ絶句されたのではないかと。曰く、

「髪の毛がある…..」

ええ、そうです。これが常日頃お話しております、「私はヅラをかぶってます」です(爆笑)。あくまで、今の頭はヅラですから。ヅラをとるとこの程度はあるって、ハハハという乾いた嗤いとともに弁明しておきます。

んなわけーねぇって。

まぁ、右の太鼓台が、いわゆる「ふとん太鼓」と呼ばれていて、重さは約1.3トン。前後にわかれ、46人程度でかつぐ。戦前のころは、8人でかついでいたと聞いて腰が抜けた。

太鼓がある中心部は、黒檀彫りとよばれる彫り物がいたるところにある。昔は淡路島だったか徳島にこの黒檀彫りの彫り師がいらっしゃったらしいけど、今は継承できていないと耳にした。

この太鼓台がそれぞれの町内を回って、夕方から夜に枚岡神社へ奉納される。奉納される太鼓台の数は、大小合わせて、30台前後だったかと。各町から繰り出される太鼓台は、基本的外観は変わらないものの、太鼓台の大きさ、彫りの種類、幕の模様など違う。ちょうど祇園祭りの鉾の種類が違うといった感じかなぁ。

格好はご覧のとおり、法被姿に、ニッカをはいて地下足袋。この法被やニッカ、地下足袋が町内によって違うのも見所。さらに、各町内に数人かは、法被をぬぐと、地肌に綺麗な図柄を散見できる。その図柄は、唐獅子牡丹やピーピー、おっと度が過ぎた(w

写真の時期は、右が20歳で、左が14か15歳。左写真のオジサンは親父。このころ、よく兄弟と間違われた、失礼な!親父の着ている法被が、代々受け継がれてきたもので、町内一人気の法被が自慢だった。道行く人が、この法被をうらやむ。

なんでか?単に色あせて薄くなっているから。右の僕の法被と比べてもらえればおわかりかと。なかなかここまで薄くならないらしい。

小学校4年生から中学校3年生まで小太鼓をかつぎ、高校から青年団に入って写真の大太鼓をかついだ。京都で就職するまでずっと祭りに夢中。高校からつきあっていた彼女を毎年(だったと思う)連れていくと、その日だけは"目がハート"だったのが小気味よかったわけですな。自己陶酔するからだろうけど、少々のブ男でもモテルのがこの祭りの特権(笑)。だから、我が地元の中坊のあいだでは、この2日前後にカップルが誕生する確率は、修学旅行で誕生する確率よりも高いという統計がでたとかでないとか。

就職後は青年団に参加してないからかついでないけど、毎年10月14,15日はソワソワしてた。今年はなんか無性に燃えてきた。いやぁ、久しぶりに行ってみようかなぁ。

ホントおおきに、思い出させてもらえた(笑)。冒頭の友人と話すと気づきがある上、思考のいいヒントになる。なによりオモシロイ(ォ。それが、刺激的でいい感じ。