評価という制欲を慮る心地よい礼節

昨日は、be-yan先輩とウェブサイトの打ち合わせ。今回のサイトは、「コンテンツとモチベーション」・「人財(材)と手間暇」の四輪が、フル4WD化するかがKey Factor for Success 。完成すれば、まずは既存顧客からの声を期待&楽しみ。だけど新規顧客へ統一した企業イメージ(ブランディング)の構築と訴求が、難題かな。

なもんで、このミーティングは手に汗握るブレーンストーミング。と言っても、僕はウェブサイトの技術的内容をすりあわせるより、先方の”日常”にもっぱら耳をかたむける。ウェブサイトのミッションとビジョンの礎づくりのサポートと、それに見合うコンテンツ制作に注力したいから。スミマセン、be-yan先輩、サイトの技術の話をしなくて…..orz

前置きはさておき、「企業の日常」を傾聴して、身につまされながらも自戒しないといけないトピックスをいただいた。「気づき」を与えてもらえるのが、be-yan先輩の真骨頂。

詳細は書けないうえ、ロジカルに説明できないのが、はがゆい。クレバーでないのを承知でチャレンジ。と、いきなり命題を愚見。

「修養や悟性の獲得に懸命な人は、他者(社会)のなかでの存在価値を確認する」

誤解を恐れず述べると、「”自分”を評価してほしい気持ち」。傲慢じゃない。「自分は精一杯やったつもりだけど、どうだろ、相手には伝わったかな?」という不安を確認したくなる心情。素敵な感情では。素直でいてひかえめに求める不器用さ。う〜ん、不器用じゃないか、適切な言葉を持っていない(泣

ここで、問題として取り上げたいのは、受け手のほう。相手のサービスをあたりまえだと感受してしまう受け手の思考エンジンブレーキ。

対価を払っているというのは合点がいく。また、何かしらの理由から”ロハ”でサービスを提供している場合も、皮膚感覚でわかる(ただし、プロフェッショナルとしての問題は残るけど)。

それでも、互いの関係のなかに、心地よい礼節はあるんじゃないかと愚考。

「サービスの裏側には、”何が”あるのかな?知の集積と行動に努めてきた情熱かな」ってみたいな気持ちを、どう相手に伝えるかが、コミュニケーションの妙じゃないかとノーガキ。

  • ありのままの感情でお礼をする
  • もっとサービスをしてほしいと切に願う
  • 尊大でなく、何が不満だったのかを言説する

などなど。もっとたくさんの言葉と挙があるかと。

「何も言わなくても感謝してますよ、当たり前じゃないですか」って言える関係ほど羨ましいものはない。正直言って。でも、ビジネスの世界で、「あうんの呼吸」や「以心伝心」というのは、そう簡単ではないかと。わからんけどね。

今回のbe-yan先輩の話をかみ分けて、課題をまた一つ頂戴した。自分が受け手になったとき、その場の感情に左右されず、

  • 「相手が評価を制欲しているなら、その心中を慮る心地よい礼節」
  • 「相手に不安を与えている”無言”の使い分け(均衡)」
  • 「『ありがとう』って言葉を衒いなく吐き出せる立ち振る舞い」

を、頭の片隅に。そして、相手の一言一行に対して、粋な言葉を紡いで”会話”ができるように。一進一退する相手との距離を少しづつ確認しながらかな。悦に入れば、憂いもあったり。顔をつきあわせたときの感性に悩ましいけど、それがうるわしい。


Comments

“評価という制欲を慮る心地よい礼節” への2件のフィードバック

  1. be-yanです。参りました…。やられた〜って言いたいです(笑)
    でも、ホントに会話って大切だと思います。アナログな人間かも知れませんが・・・。
    でも、一緒に仕事してると楽しいです。

  2. そうですね、ホント、会話って大切だと痛感します。顔をあわせて、身振り手振りをみてナンボってところでしょうか。それと、会話をささえる一つ、適切な「ことば」をどれだけ持てるかも最近の悩みです。まだまだ稚拙だなぁって凹んでます(泣。

    サイトも同じかなぁって考えます。インターフェースがデジタルでも、中身はアナログですから。アナログに優しい人でないと、魅力のあるサイトは難しいかと。

    いつも「気づき」を与えていただき、感謝です。ありがとうございます。