保守の論理

保守の論理 「凛として美しい日本」をつくる著者は町村信孝氏。「外務大臣としての公式見解ではなく、あくまで政治家町村信孝個人の意見」として、日本の歴史、伝統に対する考え方を述べ、日本人の姿勢を考え、さらにこれからの日本の進路について述べている。個々の問題に対する実行策には触れずに、捉まえ方についての見解。

保守の論理 「凛として美しい日本」をつくる 町村 信孝 (著) PHP研究所

-目次-

  • 第1部 「凛として美しい日本人」のために 
  • 第1章 天は自ら助くる者を助く 
  • 第2章 国家と情報の危機 
  • 第3章 豊かな時代の「教育の危機」 
  • 第2部 わが家の歴史から日本を考える 
  • 第1章 幕末から明治へ 
  • 第2章 大正から昭和へ

「自分は保守主義で小さな政府論者」と任じる町村氏が考える保守主義とはなにか?

それは、「いま私たちが立っているところからしか、すべては始まらないと考え、行動する」という意味。先祖のたゆまない努力のおかげで、いまここに私がいる。その私が、今度は、次の世代を育てる義務をもつ。

だから大切なのは、過去の日本を一方的に否定・断罪せず、過去に生きた人々の成功も失敗も受け入れ、学ぶこと。

では、小さな政府とは何か?

まず定量的側面として、租税負担率を例示する。国税と地方税の国民所得に対する比率は、日本が22%。アメリカ・ドイツ・フランス・イギリスのなかでは最低。一見、すでに小さな政府だといえるが、実は、租税負担に社会保障負担・財政赤字分を含めると、45%にはね上がりアメリカを逆転する。ただし、欧州に比べると低い。

また、一般会計以外の特別会計、財政投融資などを考慮すると、政府の活動費用の半分を「公債金」でまかなっている現状は、小さな政府といえない。

その他に、公務員数を比較すると、人口1,000人に対する日本の公務員数は33人。アメリカは74人。半分以下だが、そんな簡単ではない。特殊法人、公益法人、独立行政法人やそれらの周辺事業会社等を含む「見えない政府」が「政府を大きく」している。

次に、定性的側面としての小さな政府は何か?

町村氏は、これも一言で簡潔する。「意志決定が早い、責任の所在が明確」な政府。現在は、スピード時代ではなく、インターネット・スピード時代。にもかかわらず、会議を重ね、稟議書を回すようでは、とても対応できない。そして、省庁に数多くの官僚がいると、それに比例して責任のたらい回しになる。くわえて、人事異動によってプロジェクトの遂行も覚束ない。

だから政府は、外交、防衛、治安維持、教育など、国家が必要最低限の義務を果たさないとならないものだけに機能を絞る。あとは民営化していく。

ただし、ここで国民にも求められる。それは、「政府はなにをしている!」という非難である。これが、政府の仕事を増やし、官僚の権限を増大させる。

国家の役割を明示するかわりに、国民にも自立した生き方を求める。それが、国と民と凛とした美しい日本の姿である。

まぁね、有言実行できているかどうかは、読み手が個々で検証しなくちゃいけない。それでも、政治家町村信孝氏の筋の通った見解だと思う。

町村氏が外相に就任してから、個々の批判はあるにせよ、外交が機能し始めているのも事実だし、外務省からの評価もかなり高いらしい。

  • 中国や韓国との対アジア外交
  • 北朝鮮問題と6カ国協議
  • 国連安保理常任理事国
  • 北方領土問題

などは、いずれも短期間で劇的に成果があがるものじゃないしね。国民にあまり伝わってこないところで淡々と粛々と継続されているんだろう。

最近、学んだことだけど、外交問題というのは、あくまで首相官邸に最終的な意志決定が付与されている。だから、官邸の意向によって「立ち位置」がかわることもあるそうだ。

そんな複雑な立場の外相という職務にあって、対中・対韓問題でも町村氏は、「胸襟を開こう、その代わり言いたいことは言わせてもらう」という姿勢をみせているし、国内でも文教族出身らしい見解も述べている。

2004年11月9日:町村信孝外相は九日の参院外交防衛委員会で、中国を訪れる高校生ら修学旅行生が中国・盧溝橋の抗日戦争記念館など反日プロパガンダ施設を訪れることで中国寄りの歴史観を押し付けられることに懸念を表明、「一方的な情報が頭に植えつけられないよう、資料を配布するなどの工夫の余地がある」と語り、文部科学省と調整しながら参考資料を作成する考えを示した。

最後に、文教族出身の氏が、教育について見解を述べているので、なかでも印象に残った箇所を長いけど引用(第3章より)。

「なぜ援助交際をしてはいけないの。個人の自由でしょ」とか「なぜ人を殺してはいけないの」などという質問に、大人がおたおたするということになる。哲学の問題として考えるなら分かりますが、子どもの質問であれば「絶対にいけない。駄目なものは駄目。それが社会のルールだ」と言えばよいのです。(中略)権利とか自由という価値をふりかざす問題ではない。それはただの自堕落、放縦にすぎません。こうした質問にたじたじとする大人が多いのは、その大人自身が同様の権利の概念、自由観に縛られて、自信を喪失しているからにほかならないと思います。(同著P.118)