消費者として生活している自分を見つめる自分

ひとつ上のアイディア。今読み始めた「ひとつ上のアイディア」が、すごく刺激的で熱っぽい。プロのクリエイターたちは、どうやってアイデアを出しつづけているのか?この問いに対して、筆者をあわせて20人のトップクリエイターたちが、技術・ノウハウ・経験・哲学・論理などにフォーカスをあわせていく。途中だけど、印象に残ったテキストに出会ったので紹介します。

例えば、最近では水を買うということは、もう当たり前のことです。ぼくもやはり水を買います。それはごくありふれた日常の消費活動です。
でも、普通の人は水を買ってそれを飲むだけですが、ぼくの場合は、その一連の行動をどこかで客観的に見ている自分が必ずいます。
どうしてこんな無味無臭のものにお金を払うのだろう、大学生になるまでは水なんて買わなかったのに買うようになったのはなぜだろう、いま水を買いたいと思った動機は何だろうと、冷静に自分の行動や気持ちの動きを分析する自分です。
これがクリエイターの視点です。生活のなかで受けたさまざまなショックについて、この視点で自分の感情回路を整理しながら考えてみる。それを重ねることで、いまの世の中を感じることができます。

同書 P.35 さとうかしわ氏 アイデアの「視点」2より

さとうさんは、「冷静に自分の行動や気持ちの動きを分析する自分」がクリエイターの視点だと指摘している。

この視点は、「日常化」すべきぐらい大切なことじゃないだろうか。

例えば、自分がクライアントと打ち合わせしているとき、「ああ、今の説明はマズイ」とか「もう少し別の表現方法は?」といった具合に、背後でじっと観察している(分析している自分がいる)。

この背後の自分は、「直感的な甲乙」程度なら嗅ぎ分けられるけど、いかんせんそれを上手くコトバにして相手にわたすところまでいかない。つまり、「話している自分」と「観察している自分」の乖離がしばしばおきる。その乖離が、”伝わる”と”伝わらない”の溝にリンクしている。

では、なぜ大切なのか?あくまで経験則だけの話をすると、「異なる立場の自分たちとの”会話”によって多様性が生まれる」からだと思う。

さとうさんの場合、水を買うという「消費者の自分」を「クリエイターの自分」が分析している。仮に、AIDMA理論(もう古いかな)をテンプレートにしているなら

  • Attentionは?
  • Interestは?
  • Desireは?
  • Memoryは?
  • Actionは?

と質問しながら解きほぐしていく。こうやって「クリエイターの自分」が「消費者の自分」に語りかける”会話”によって、その会話が膨らめば膨らむほど新しい視点や発想が創出される。

上記のやりとりをコミュニケーションに置きかえたらどうだろう。一人以上の自分と自問自答しながら相手とコミュニケートしている人とそうでない人の違いが、最近少しずつ肌で感じられるようになってきた(ような気がする)。

どのような仕事であれプロフェッショナルほど、「もし自分がそのプロフェッショナルから対価やサービスを受けると想定したら」という観点が薄くなりがちではないだろうか。

まるで会計のプロフェッショナルが、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学」を読まないように。