ひらめき脳

ひらめき脳一気に読めるスピード感がある。テーマは「ひらめき」。ひらめきの仕組みとひらめきがどんな環境のなかでおこるのかを説明している。アカデミックなタームはほとんど出てこない。大脳皮質、側頭葉や前頭葉といった耳にしたことがある単語ぐらい。過去の著作で紹介された逸話や例え話が散見されるので、私としてはトリビアルな知識を得るよりも「脳と感情の関係」について、より深く興味をもつようになった。

ひらめきは天才だけのものじゃない!すべての人間の脳にその種は存在しています。突如「Aha!」とやって来て脳に認識の嵐を巻き起こす、ひらめきの不思議な正体に、最新の脳科学の知見を用いて迫ります。ひらめきの脳内メカニズム、ひらめきが生まれ易い環境、「ど忘れ」とひらめきの意外な類似、ひらめきの脳内方程式、感情や学習とひらめきの関係とは? 『ひらめき脳』

「ひらめき」というと、なにか大発見や発明をイメージさせるような印象がある。しかし、そんな大仰なものではないと先生はいう。日常で起こる小さなひらめきが私たちの生活を豊かにしてくれたり、少し変わった彩りを与えてくれる。例えば、

  • 出かける前に服が決まらずグズグズしていた時に、奥にしまいこんでいたカーディガンを組み合わせれば良いとひらめく。
  • どうしても英語の勉強をやる気がしなかったのは、教材がつまらないからで、自分の好きな映画だったらいくらでも繰り返し見ることができて、その英語がすんなりと耳に入ってくるのではないかと気づく。
  • 電車の中で、おばあさんに席を譲らすに知らん顔をしている若者を、傷つけることなくやんわりと注意する言葉を思いつく。

などだ。手前みそでいえば、2番目の”英語”を目にしたとき、今まさに自分がそうなので力強く頷いた。たしかこれは『脳の中の人生』でも引き合いに出されていた。自分がなぜそう思ったのかを説明せよと言われても戸惑うが、とにかく「映画を繰り返し見れば英語が少しわかるようになるかも」とフト感じた。

これまでは「ひらめき」を神秘化して、それがどのようなプロセスを経て発生するのかを見ようとしてこなかった。ところが、近年、脳科学の現場では、創造性やひらめきのメカニズムを解明しようと、研究が行われている。

先生は、「ひらめきは学習と密接している」と主張する。ただし、ここでいう「学習」は知識詰め込み型ではない。学習と聞くと、「外から答えが与えられた、それを勉強する(=教師あり学習)」と認識しがちだが、そうでない学習もある。「洞察(insight )」による学習だ。「教師なし学習」であり「一発学習」ともよばれる。

猿が、「天井からぶらさがっているバナナ、台、棒」を与えられた時、バナナを取るにはどうすればよいかをしばらく考えた後に、一瞬にして認識するような学習が、「教師なし学習」なのです。 『ひらめき脳』 P.111

この一発学習は、一度認識してしまえば忘れることはない。自発的に何かを発見して、それが脳に定着する。「自発的に何かを発見する」までの学習には、決められたスタイルはない。各々が試行錯誤しながら学習していく。

卑近な例をあげれば、私はいま写真撮影を「学習」している。漢字や文法を覚えるようにカメラにも約束事はある。約束事を覚えることは大切だが、それだけでは足りない。実際のレンズの向こうには無限の構図がひろがる。その切り取り方、表現の仕方、撮影方法は人それぞれだ。ここには約束事はない。「答えのない表現」を試行錯誤しながら学習するのが楽しくて仕方がない。ずぶの素人だけど、今までに「あっ!」と感じるような構図を数回撮影できた。でも、この「あっ!」は、先生がいうとおり、意識ではコントロールできない。自由自在ではない。制御不能が心地よくて、「あっ!」が起こったあと、自分がなぜそう思ったのかをできるかぎり「再生」してみるよう心がけている。すると、構図は「記憶」できても、構図が「ひらめく」までのプロセスは記憶できない。ものすごい”チリチリ”感がある。

ところで、本書にも「セレンディピティ」が登場する。セレンディピティの誤訳は、「思わぬ幸運に偶然出会う能力」である。この言葉は、先生の他の著作にもでてくる。それだけ「心脳問題」に関わりが深いのだろうと推察している。どうやら「ひらめき」とも関係しているらしい。興味深いことに、最近の日本人ノーベル賞受賞者のうち少なくとも3人は、「セレンディピティ」と呼べる「偶然」が介在している。2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんの場合、試薬の配合を間違えたことがきっかけだった。Aを発見しようとしていたつもりが、偶然によってBを発見し、その発見がきっかけになってノーベル賞を受賞した。小柴昌俊さん、白川英樹さんも同じだ。

セレンディピティは、偶然の出会いであるから自分ではコントロールできない。しかし、セレンディピティに遭遇するための「準備」はできる。それが次の6つの条件である。

  1. 行動
  2. 気づき
  3. 観察
  4. 受容
  5. 理解
  6. 実現

ここの説明は割愛するが、この6つを一読し咀嚼するだけでも価値があると思う。これらは、なにもセレンディピティを活かすためだけではないだろう。日常生活から仕事にまでも活かせる「構え」だと感じた。

行動しなければ「セレンディピティ」に出会わないどころか、何も得られない。この行動というのは、おそらくルーティンをさしているのではないと思う。不確実性のなかに身を投じる、偶有性に向き合うといった行動ではなかろうか。それを証明している方々が私の周りにはたくさんいらっしゃる。ルーティンから離れた業務を積極的に受け入れることで、次々と新しい「発見」を得ている。同じ環境にいても、ルーティンを離れない人には、新しい発見をしているプロセスが「見えない」だろう。

「ひらめき」を大げさな事象と位置づけ「自分には無縁だ」と思っている人には、馬耳東風かもしれないが、「何かきっかけがほしい」ともがいている人なら読んでみてはいかがだろうか。

もう少し。本書には「アハ、ピクチャー」が4つ登場する。これがすこぶるおもしろい。ロールシャッハ・テストと似ているが、意味はまったく違う。ちなみに愚生は3つめのピクチャーを3日間睨んでみたがわからなかった(おかげで本書を読み進められなかった)。答えを見ても数時間ピンとこなかったのがショック。