ICチップ+無線=意識の信号を送信

進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線本日読了した数冊のうちの1冊。茂木先生の書籍を読み漁っているからシナジー効果覿面。すこぶるおもしろい。特に「心脳問題」にときめく。一方で疑問も。「何のために(ここまで)進化したのか?」「これからどう進化(退化)していくのか?」「何でここまで複雑な眼に進化したのか?」などなど。眼については、「眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く」がおもしろいらしい。今度読んでみるか。あと妄想も。

アメリカでは政府が来月(2004年4月)に、この装置を人間に応用することを許可して、脳卒中や脳性麻痺、筋萎縮性側索硬化症といった体が動かなくなる病気の患者たちに、脳チップを埋め込む手術が臨床の現場で開始されるところ。 進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線 P.82

ニューラル・プロステティクス(神経補綴学)。確かテレビで視たと思う。これのことかどうかわからないけど。左腕を事故で失った人の脳に電極を刺し込んだまま”線”を対外に出していた(映像にかなりショックを受けた)。その線を義手(ターミネーターに出てくるような)に直結する。そして、その人が「腕を○○に動かす」とイメージすると、「腕を○○に動かす」という脳神経が送信した信号を義手がキャッチして「そのとおり」に動かすという仕組み。なぜこんなことが可能になったのかを本書がわかりやすく説明している。

引用箇所を読んでふと妄想した。近い将来ICチップを使って脳神経の信号を無線で送信するんじゃないかと。運がよければお目にかかれるかもしれない。現在研究が進んでいる量子コンピューターの分野で革命が起きて、フレームからパソコンへダウンサイジングしたようにチップというチップがミクロの世界になったとき、無線で信号を送信できるんじゃないだろうか。そうなると、脳内にチップを埋蔵すれば、「脳卒中や脳性麻痺、筋萎縮性側索硬化症といった体が動かなくなる病気の患者たち」の身体が「脳の中でイメージするとおりに」に動くようになる。いくつもチップを埋蔵できるかもしれない。—–そんな具にもつかないことを考えてしまった。他方、もう一人の私が問いかける。こういう医療技術の進化って、倫理の問題とどう向き合うのかな。

「脳」と「身体」と「意識」の関係を読むと、神秘に満ちていると感嘆する。同時に冒頭のような疑問が次々とわき起こる。そして「進化」についてますます興味がわきおこる。高校生が言うように、「私が見る”赤”と他人が見る”赤”は同じなのか」から始まって「言葉とクオリアの関係」とか。

世界を脳が見ているというよりは、脳が(人間に固有な特定の)世界とつくりあげている、といった方が僕は正しいと思うわけだ。 進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線 P.146

もともと「世界」があったから「世界」を見るために目を発達させたのではなく、生物に目という臓器が誕生して、進化の過程で今の目になって、「世界」が「世界」として意味を持ったという解釈。

人が見えている「世界」はすべてでなく、人だけに「意味」がある。もしも人がカエルの目を持っていたら「質量保存の法則」なんて無意味。赤・緑・青という三色から構成される「世界」。「世界」は3Dであっても、目は2Dで視覚する。2Dから3Dに変換する役割の一翼を担っている脳。

引用の言葉に羨望のまなざしをおくる。そんなふうに考えられるようになりたい。「経済的価値や有用性があるから”交換”した」のではなく「”交換”したから経済的価値や有用性が生まれた」と考想する視座を体得したい。

自分が見える「世界」や自分が知っている「情報」の矮小さがよくわかる。他(生物)にはどう見えるのか、他(生物)は何を知っているのか。「進化」をただ単に興味本位で追いかけるのではなく、「進化」「脳」「身体」「意識」「言葉」をキーワードにして自分なりに体系化していきたい。体系化することによってコミュニケーションの核に近づけるような気がする。そのヒントを与えてくれた1冊。