君たちはなぜ,校庭でオナニーしないのだろう?

<反>哲学教科書

本書が高校の教科書として本当に採用されているとしたら、ぜひフランスの高校生に尋ねてみたい。「授業中寝ない?」と。私が高校生だった時にもしこの教科書を手にしていたら、1頁も読まなかっただろう。そして大人になって激しく後悔する。「どうしてあのときもっと真剣に授業を受けて質問しなかったのか」。過激なタイトルとは裏腹に深奥な哲学論考が繰り広げられている。ぐうの音も出ない。私は哲学の「テ」の字も知らず、無学なのでわからないことだらけだった。それでも本文に書かれてある論考は強烈な印象を残したし、また来年にでも再読してみたい。自分の成長を確認するための格好の書籍であり、まさに「教科書」の名にふさわしい。

さすがフランス。これが高校の教科書と言われると哲学教育の体験を持たない日本人は腰が引けそうです。でも常軌を逸して見える過激なタイトル、設問ほど内容はエキセントリックではありません。むしろきまじめな哲学的議論と言えるでしょう。様々なテーマを日々直面している問題に引き寄せて考えるために「哲学」があるのであって、別に学問としてそこにあるから勉強しなければならないのではないのだよ、というエスプリにあふれたメッセージなのかも知れません。設問、解説があって、古今の哲学者の引用という形式を取った本文は、古今の大家の他、フーコー、ブルデュー、ヴィリリオ、ドゥルーズから無名の哲学者まで網羅して、そのチョイスもユニーク。著者のオンフレは古代ギリシャ哲学の専門家であり、反骨心旺盛な常識批判は、筆鋒鋭く、非常に痛快です。池田晶子と並べて読んでみてはいかがでしょうか?

『<反>哲学教科書』 ミシェル・オンフレ

少し長い引用をAmazon.co.jpから拝借したが、ここにすべてが凝縮されている。過激なタイトルとあるが例を挙げてみよう。第1部「人間とは何か」の第1章 自然:サル,人食い,オナニーする人に登場するタイトル。「君たちはなぜ,校庭でオナニーしないのだろう?」

コーヒーを飲みながら読んでいてあやうくグレートカブキをするところであった。なんとエキセントリックなタイトルだろう。日本ならほぼ教育委員会ものでなかろうか。マスコミが押しかけ、「なんだそのふざけた授業は」と怒号飛び交う情景を思い浮かべるのは保守的すぎるか!?

オナニーの生みの親はオナンだとされている(旧約聖書による: 創世記,第38章9節)。本書に記されている詳細は割愛するが、簡単にふれると、ある日神がオナンに下した命令に対し、オナンは抵抗すべく自慰行為をする。そのオナンにとっての時間つぶしの行為に神は罪を下し、死にいたらしめる。以来、オナニーと呼ばれている。

精神分析(本書に「意識」という章もある)は、オナニーがどれほど自然な行為であるかを証してきた。にもかかわわらず、私たちはこうした自然の行為を文化的に遠ざけ、悪しき危険な行為、誤った罪深い行為だと断じてきた。

マスターベーションは,とりあえず他のはけ口がない場合に性欲を制御する自然な行為だ.誰もが時おり,あるいは定期的に頼るというのに,なぜその行為は,あがなうべき過ちに,あるいは恥ずべき行為,打ち明けられない隠れた行為に成り下がってしまったのだろう?それはつまり,そもそも文明というものが,自然の衝動を抑圧した上に築かれているからだ.文明は自然の衝突をそらし,それを個人の満足以外の目的に使おうとする.文化的な活動,文明の諸活動に最大限の利益をもたらすためだ.オナニーに耽る個人は,社会的には非生産的な存在だ.その孤独な個人は自分一人の享楽にしか関心がなく,自分の衝動に,社会的に認知され受け入れられるような形を与えようとはしない.同P.46

こうした種類の事象に対し、哲学者たちは「立ち上がる」。ギリシャのキュニコス学派の人たちの考えや反論を紹介し、論考を重ねていく。

他にも「君たちはかつて,人の肉を食べたことがある?」(サブタイトル:「汝を食べる,ゆえにわれあり」)は最後にこう締めくくっている。

私たちの超近代的な文明が死者をどう扱うか,食人習慣を実践する部族の人々が見たならば,度肝を抜かれることはまず間違いない.死者は遠ざけられ,息を引き取る場所も今や自分の家ではなく病院だ.遺体はもはや自宅にも自室にも戻されず,死体置場という何の変哲もない部屋に放置される.そこにはひっきりなしに,前日や前々日の見知らず遺体が運び込まれる.やがて遺体は木の箱に入れられ,冷たく湿気のある地中に埋められ,ミミズや昆虫が肉体を腐食させるのを待つ.遺体は分解され,死骸と化す.野蛮人といわれる人々が死者を食すのは,死者をあがめるためだ.彼らは私たちの習慣こそが野蛮だと思うに違いない.私たちは,死者を愛するといいながら,動物と同じ扱いしかしていない.もし野蛮さが,野蛮だと思っているところにはないとしたらどうだろう?同P.40-41

私の大好きな映画のひとつに『ザ・カンニング IQ=0』(フランス映画)というのがある。内容はバカロレアの合格をめざす浪人生たちのドタバタコメディーで、この映画にはあの手この手のカンニングをお披露目する試験シーンが登場する。そのなかには「哲学」もある。本書によると「哲学」の記述試験はなんと4時間にもおよぶそうだ。その「哲学」のシーンを読了した今鑑賞するとまた違った楽しみ方ができるのかもしれない。今度里へ帰ったときにでもライブラリーをひっくり返してみたくなった。

本書は教科書というだけあって結構なボリュームだ。それでもじっくりと読み解けば、何かしらの知見を与えてくれると思うし、違った視座を獲得できるのではないだろうか。