[Review]: 解剖男

解剖男 (講談社現代新書)

圧倒。一言に尽きる。もし今度動物園へ行く機会があれば、動物へ贈る私のまなざしは今までとは違ったものであろう。それほど衝撃を与えてくれた一冊だ。もちろん本書に登場する解剖の学術用語を何一つ知らないし、生物学的知識も皆無。ゆえにほんとうの意味での内容をまったく理解していない。それでもひとつだけわかった。それは「動物たちの遺体には膨大な時間をかけた進化の足跡が着実に残っている」ということだ。私にはそれだけで十分。それにしてもなんという書き手だろう。書き手の情熱がどんどん迫ってくる。学問への、動物たちへの、未来への情熱。

歴史の得意な人なら、頭のなかで中世ヨーロッパから二十世紀の東アジアまで、時空を旅できるかもしれない。それと同じで、できるだけ皆さんには、この本の中身を読んだら、あまり覚えようとせずに、そういった事実を次から次へと楽しんでいってもらいたい。それだけで十分身体の神秘を知ることにつながるはずだ。止めておけばいいものを、私が時々書き込んでしまう難しい漢字の並ぶ遺体各部の名称など、実はどうでもいいのである。遺体は見方を変えればこんなに面白いだという印象を受けるだけでも十分だ。もしそれ以上に深く遺体を考えたくなったら、私とじかに話そうではないか。そうなれば、札幌のディーゼルカーに乗ろうが大阪の地下鉄に揺られようが、ウサギでゾウでもパンダでも、いつでも好きなように切り刻むことができるようになる。

『解剖男 (講談社現代新書)』 遠藤 秀紀 P.109

大阪の地下鉄に揺られても遺体を切り刻むことができる—–大げさな表現ではない。事実、筆者は乗車率200%の満員電車のなかで動物の解剖をしている。本書の冒頭ではいきなりバイカルアザラシの眼球を解剖している模様が紹介された。この8頁ほどの記述、バイカルアザラシの解剖シーンでいきなり横っ面をはたかれた。鬼気迫る解剖の様子だ。

そしてバイカルアザラシからはじまりありとあらゆる動物たちを腑分けしていく。その一瞬一瞬の映像を瞬時に脳裏に焼き付けて再生しているかのようだ。動物たちへの慈しみと遺体を献体してくれた関係者各位への感謝を決して忘れていない。いくら言葉を語っても語りきれないほどの情熱と愛情を背負う一方、怜悧な頭脳を駆使し冷静沈着にメスをさばいていく。情熱と明晰の声が学会や研究室の象牙の塔化へ警鐘を鳴らし、時に辛辣な批評をあびせる。痛快な様。

本書のアーキテクチャを支えているのは筆者の文体だ。これは他のレビューでも指摘されているように「独特」の雰囲気を醸し出している。無学の徒が臆断するととても理系の人が書くような文体ではない。かといって文系かといわれると首をかしげる。学者がこういう文体の文章を書くのかとカルチャーショックをうけた。

バイカルアザラシの眼球を、頭蓋の縁から切り外すと、その奥の筋肉の間隙に下顎骨の突起が白い輝きを覗かせてくれる。大きな眼球と小さな頭蓋骨。その矛盾を解く鍵は、ひょっとしたらいま顔を切り出したばかりの下顎骨が握っているのかもしれない。だが、今朝はまもなく電車を降りねばならない。下顎骨のきらめきを前に、愛すべきバイカルアザラシの亡骸に”命の炎”を吹き込み、再びメスを握るのは、ひょっとしたらまた揺れる車中のことだろうか。同P.16

内容のほとんどが解剖にまつわる話だ。学術用語も飛び交うしなかには専門的記述(といっても素人にとって)も散見される。でもそれらは瑣末なことであってテーマを矮小化しているにすぎない。

私が何よりも本書から感銘を受けたのは、何千何億万年にもおよぶ生物の進化史だ。それらは解剖によって得られる。なぜイノシシの目は横についていて前よりも横を見ているのか。なぜオオアリクイの歯はなくなったのか。獣の首の骨は人間も含め7本(一部例外がある)であるというのは何を示すのか。奇蹄類と偶蹄類の指の本数は6千万年以上前の祖先の何を語るのか。

720円+taxで何千何億万年にもおよぶ生物の進化史の神秘と解剖学の関係をほんの少し覗ける。上梓した関係者各位のGJに深謝。