うぅ、つながりとは恐るべし

たいそうなタイトルとはうらはらに軽いノリで恐るべしを体験す。先日、「おっさんたちの喋りは日付変更線をこえ」た。で、その様子をお聞きなったらしいAさんからメールが届く。大いに盛り上がったらしいですねと大丈夫でしたかというアイスブレークからはじまるメールを読み、筆舌しがたい幸福感が我が身をつつむ。

共有できなかった空間がある。それを、「やーい、一緒じゃなかったやろぉ」って排除するのではなく、その共有を疑似体験しようとすべく伝達する「雰囲気」があることに感謝してもしつくせないほどありがたい気持ちがわきおこる。

いや、違う。うぬぼれかもしれないし、すっとんきょうに勘違いしているのかもしれない。が、それでいい。ホットにクールに喜怒哀楽があった空間と時間を伝聞した人が、「へぇ、そんなことがあったの」とさも体験したかのようにすんなり受け入れたとき、少なくとも私の容姿がその人の頭に浮かぶ(はず)。それがとても幸せ。うぬぼれでいいよ、「私」を"餌"にしてもらえる幸せ。ここに、「必要とされているのかもしれない」という実感を味わえる。「私を必要として!」ではなく、知らず知らずのうちに「私を必要としてくれている」と確かめられる現実が眼前にある喜び。これ以上のものがあるのだろうか。今の私には寡聞にて知らない。