[Review]: 決断の本質 プロセス志向の意思決定マネジメント

決断の本質 プロセス志向の意思決定マネジメント (ウォートン経営戦略シリーズ)

結論から先に述べると、「組織のなかで何かしらのリーダーである人は一読してもよい」と決断した一冊である。

本書の著者、リーダーにとって重要なことは、どんな決断を下すかではなく、どうやって決断を下すか、その意思決定のプロセスを決め、自制心をもって運営することであると説く。つまり、偉大なリーダーの「決断の本質」とは、その決断の「内容」ではない。はじめから自分の答えを押しとおすのではなく、同僚や専門家から多様な意見を引き出すための「プロセス」を準備し、さまざまな技術・手法を用いながら、最後の決断に至るまでの過程を正しく運営することなのだ。

『決断の本質 プロセス志向の意思決定マネジメント (ウォートン経営戦略シリーズ)』 マイケル・A・ロベルト  日本語版訳者まえがきより

数年前からだろうか、ファシリテーションやコーチングといった「型」のリーダーシップ論が書店に並べはじめたように記憶している。それらは、企業の低迷した業績に「解」を与えるかのように平積みされた。少し行きすぎた論になると、もう従来の伝統的なリーダーシップ論は通用しないかのような持論を言外に匂わせていた。

ただファシリテーション型やコーチング型リーダーシップには従来にない視点を与えるものもあり、それらは「トップダウンかボトムアップか」に拘泥していない。他方、なにやら、それらのリーダーシップ論を実践に応用しようとするとき、それは往々にしてイメージばかりの精神論や、いわば小手先の会議テクニックに終始してしまう印象を与える論もあったと思う。

「型」のリーダーシップ論はときに「解」を与えるかのようにふるまうが、本書はそれらのリーダーシップ論とは一線を画している。とはいえ『決断の本質』という邦題を私は適切でないと思う。なぜなら邦題からは「リーダーは何をすべきか?」という問いを感じられにくいからだ。この問いは、「型」のリーダーシップ論から一つ次数をあげる問いであり、その点、原題(「Why Great Leaders Don’t Take Yes For An Answer: Managing For Conflict And Consensus」)のほうが「メッセージ」が直接伝わってくる。

“Conflict And Consensus”———-「対立と合意」、この二つが本書の核である。

コンセンサスとは、全員一致、または意思決定のすべての点に対する広範な同意、あるいは組織のメンバーの過半数による完全な承認という意味ではない。意思決定をするのがリーダーではなくチームだという意味でもない。人びとがその決定の実行に同意して協力するということがコンセンサスの意味である。その決定に完全に満足しなくても、人びとが最終的な選択としてそれを受け入れていればよいのだ。

『決断の本質 プロセス志向の意思決定マネジメント (ウォートン経営戦略シリーズ)』 マイケル・A・ロベルト P.35

さらにコンセンサスには重要な要素が二つあると筆者は言う。それは、決定された行動方針に対する高度なコミットメント、および理論的根拠に対する強固な共通の理解である。

「決断」には「対立」が生じる。ただし、この対立は「建設的な対立」である。驚くことに、「リーダーは建設的な対立を生み出すように」と筆者は忠告する。しかし、これもなるほどと納得できる。たとえば、「会議で意見を言わない」にもかかわらず、いざ実行するとなると、「会社の仲の良い同僚や後輩」だけに「反対」して実行しない人がいる。

それら実行を阻害する要素を事前に排除するためにも、「建設的な対立」を生み出すようにリーダーは腐心しなければならない。また、その対立には「認知的対立」と「感情的対立」があり、その見極めもリーダーに求められる。さらに、対立した結果、採用されなかった側のフォローも必要である。

これらは「根回し」ではない。赤貧な語彙しかもっていないわたしにはうまく伝えられないが、より「冷静であり洗練されたふるまいと開放された空間」のなかで交わされるコミュニケーションのように思う。

そして、「決断」するための”Conflict And Consensus”にとってもっとも大切なことは、「正しい結論」ではなく「公正なプロセス」である。公正なプロセスとは何で、なぜ公正なプロセスが必要なのか記されている。

“Conflict And Consensus”は一見矛盾しているように受けとれる。また日本の企業風土に合致するのかどうかの疑問も残るかもしれない。しかし、本書に登場する、”ケネディの誤算,エベレストの悲劇,コロンビア号の惨事”など多種多様な決断の失敗事例を読むと、米国でも「公正なプロセス」が構築できていないのがわかる。なので、「日本的な」というのは理由にならない。放言してしまえば、原理原則であり当たり前のことがまとめられている。

しかし、いわずもがな、その当たり前がいかに難しいかが伺えるし、「当たり前を実践する難しさ」を求められるのがリーダーがリーダーたるゆえんなのだと愚考した。先日、ある顧客先のウェブサイトの打ち合わせに出席した。その会議で決断した内容を「実行する段階」でつまづいた。これも「公正なプロセス」を経て「決断」されていない結果であり、それを支援できない未熟な自分を痛感した。何度も通読すればするほど新たな発見がある。