[Review]: モノ・サピエンス 物質化・単一化していく人類

モノ・サピエンス 物質化・単一化していく人類 (光文社新書)

本屋でそぞろ歩きをしているところ、「呼びとめられた」本。「使い捨て」というキャッチに思わず手をとり、今の自分をトレースした。筆者の肯定も否定も批判すらせず、ひたすら「カオスをわからないまま受け取り明日に向かおう」とする姿勢に感嘆。「政治家は使い捨てだ」と断じた元総理が読めば、「政治は昔からモノ・サピエンス」だ揶揄しそうだが、私にとっては一大事。私が社会から「使い捨て」られる日も近いのだろう。読了後、「パンツをはいたモノ」になった私のレリーフを認識した。悪寒。

人間のモノ化(物質化・単一化)、つまり「モノ・サピエンス化」は、いつからはじまったのでしょうか。広義にとらえられば人類の誕生とともに、少し限定すれば近代以降と考えられます。しかし、本書では、それをポストモダンの時代以降と想定しています。一九七〇年代から八〇年代にかけて、ポストモダンは世界的に大流行しましたが、この時代に「モノ・サピエンス化」が本格的にはじまったのです。さらにこの傾向に拍車がかかったのは、なんといっても九〇年代からでしょう。ですから、本書のテーマは、「九〇年代以降の人間の状況」であるとも表現できます。このテーマに、さまざまな現象を通して迫っていくことが、本書のねらいです。『モノ・サピエンス 物質化・単一化していく人類』 P.16

  • プロローグ ヒトの「使い捨て」時代がはじまった
  • 第1章 モノ化するブランド
  • 第2章 モノ化するカラダ
  • 第3章 モノ化する労働
  • 第4章 モノ化する命
  • 第5章 モノ化する遺伝子
  • 第6章 モノ化する思考
  • 第7章 モノ化する社会
  • エピローグ 「人間の尊厳」の終焉と新しい時代のはじまり

元来、「モノ」と「ヒト」は対立する概念として理解されてきた。が、「ヒト」が「モノ化(物化)」すると、「人間」も「物」と同じように扱われる。物であるから、道具として使われ、商品として売買される。壊したり捨てたりもできる。

さらに、「モノ化」には「mono=単一の」の意味が含まれる。つまり、資本主義社会では商品は「カネ」によって価値が一元化する。一見、差異や多様性、個性が謳われるようで、その背景は急速に単一化している。おどろくほど思考がmono化し、外見も似かよってくる。

「医療用ゴミ」として捨てられる中絶胎児、葬式で死体を写メールする人、「福袋」に殺到する超消費社会、不況でも活況のブランド商品、使い捨てられるブランド品、遺伝子診断による受精卵の選別、遺伝子組み換え人間を選択する未来、臓器を売る人と買う人、ICタグをつけられた子どもたち、GPSで監視される営業マン…..是か非かという感情論ではなく、事実として、まず私たちは何を認識しなければならないのか?

本書の134〜137頁に掲載されている「佐藤・岸・安倍家略系図」と「松下家略系図」。そこには皇室・財界・政界にはりめぐらされた「華麗なる一族」が存在する。「人間は生まれながらにして平等である」ことが建前であると再確認できる。その中心となる人が「再チャレンジ」を掲げているから洒落が効いてて笑えない。「二十一世紀型優生学」—–家柄の集団と(教育再生産の格差によって誕生した)優秀な人々の集団によるがヒトであり、それ以外のヒトは均一化していく事態も考えられる。

テーマがテーマだけに悲観的に言説を展開するのかと予想しながら読みすすめると見事に裏切られた。それが本書の特長だ。ただただ、目の前に生じる現象を分析し、先人の言葉を引用しつつ考察していく。先人は、現代思想や哲学、政治学、社会学で名を馳せた人々。それが、著者の考察と混ざり合い、豊穣の叡智を産み落としている。

過激な表現や冷徹な記述に戸惑う読者のために、「あとがき」が添えられている。筆者はなぜ意図的にこのような方法を選択したのか?「格差社会論」を例に引き、格差社会論に違和感を覚え、現実をクールに査定し、未来を考えてみたいところから出発している。わずか四頁たらずの「あとがき」も一読の価値がある。

<勝ち組-負け組>おちう表現がよく使われましたが、それを目にすると、あたかも同じゲームを戦って勝ち負けが決まるように思えました。また、「負け組」になったとしても、いつか敗者復活戦が可能であるかのようにも感じられたのです。しかし、いまさらいうまでもありませんが、「勝ち組」であろうが、「負け組」であろうが、私たちは互いに同じゲームを戦ってませんし、敗者復活戦のチャンスも巡ってきません。
そう感じたとき、「格差社会」の向こうにはいったい何があるのか、とても気にかかるようになりました。「勝ち負け」という幻想よりも、「格差社会」の中で現実として進んでいるのか、またその先にはいったいどんな未来が控えているのか—–これを考えてみたいと思ったのです。このとき、私が見いだしたのが、人間の「モノ化」と「使い捨て」という現実だったわけです。同P.264