批正

2009.06.25 晴れ

蒸し暑い。雨が降らない。ヘンな気分。今日はF先生のPCの修理。09:49の新快速に乗れば間に合うけど、途中でウンチしたくなると遅れるので09:20に出発。これがよかった。ウンチではなく電車が遅れていた。11:00少し前に到着。

さっそくPCの修理にとりかかる。CMOSクリアとBIOS初期化。だめ。KNOPPIXからブートしたらおかしい。マウントしない。ということはHDDのエラーか。回復コンソールからコマンドをたたくと、見つからない、との返答。予想外。これは、OSの起動プロセスではなく、HDDの問題か。ULTIMATE BOOT CDからブートしてHDDをチェック。エラー検出。というわけで、F先生にサルベージするデータを確認したところ、ほぼないとの返事なので、自宅へ持ち帰りきちんとチェックすることに決定。

リカバリープランを変更。持参したHDDへOSをインストール。使えるようになった。あとはネットワーク系を確認。院内LANとファイルサーバ構築も視野にいれとかないと。採点は50点。さらに高度なスキルを備えていれば、該当HDDの復旧方法を実行できたかもしれない。

診療後、みなさんでミエットへ。M先生も来訪。M先生の父君の話を伺い驚いた。今まで抱いて疑問、というか違和感の知恵の輪のうち、ひとつはずれた。口数を少し控えようと努力して、数%減らせたと自己評価。もっとがんばろ。ミエットのマスタがこちらを伺いつつ準備していただいているような気がして心地好かった。すばらしい空間と料理。

同一空間内で単一の言語環境が整備されていると、伝達効率は向上する。言葉を磨く能力より躰が送信する信号を受信する能力が向上する。ただし、伝達効率と受信能力の向上は、その場で発生する誤解と錯覚を内省する機会を奪う可能性を持つ。躰の信号を受信したからといって、問題が解決されるとは限らない。「おかしい」ということを俎上に載せることだけが目的になるからだ。誰かと、「おかしいね」と会話をすれば、共有を認識できて安心する。その安心は漸進の障害になりかねない。よって、時に誰かが安心を破壊しなければならない。

自分はその破壊者でありたい、と願う。