議論

2009.11.09 曇り

薄暗い部屋の中で目が覚める。曇っているみたい。球根の確認。水をやらなくてよいみたい。サンパチェンスの葉は成長を止めたしまったかのよう。枯れないので困惑。不思議。ベランダへ出て外の空気を吸う。昨日の心地よい疲れが残っている。躰が適度な疲労を感じているみたい。11月に入って腰痛が酷くなった。それが辛い。

午前中、F社のページを作成。その後、13:00にKさんと京都で待ち合わせ。JR京都駅でパワーランチ。13:00スタートで場所を変えたりして18:15に終了。5時間、文字通り膝詰めの議論だった。

議論の前提はすり合わせられた。前提と目的、問題の認識、問題の抽出、解決の優先順位、希望する結果について、Kさんと隔たりはない。オペレーションと料金の要素は若干隔たりがある。それは詰めなければならない。

自分の意見が相手の仮説の中でどのように組み込まれるか。それをコントロールできない。仮にできたところでしようと考えない。相手の仮説を理解することと、仮説のスキームを変更させることは別問題。何をコントロールし、何がコントロールできないか算定する。その算定はすべて言語で記述できる。ただし、極力、感情を伴う抽象概念を排除しなければならない。ゆえに、怖い、好き、嫌い、良い、悪いなどを使わないようかなりな程度意識する。

議論の時、自分が相手からどう思われるか怖い、というフレーズが浮かぶ。このフレーズは理解を完璧に排除する。このフレーズを口にする行為自体が自分を貶める。そして、実は慇懃無礼な応対なのだ。相手がどのように受け止めるかをコントロールできない。証左として、フレーズを口にする傾向が高い属性は、自分から相手へ思いを伝えない。思いは幻想である。

自分の思考を伝える。十全を心がけ言葉を尽くす。手段を使い思考の枠組みを伝達する。考えに至ったプロセスを表現する。ただし、説得しない。どこが共有ポイントか。時にどこで折り合えるのか。それを見極める。

帰宅後、求職状況を調べる。厳冬。数値と実体の乖離もあるだろうけど、選択の余地を残したい側と経営者の乖離が垣間見られるような感じ。

腰痛が激しくなり夕食は食べず。就寝。