些末

2010.05.20 雨

雨のせいかちょっと湿っぽい。降り始めの臭いが苦手。雨そのものは臭いを含んでいないと思うけど、ケミカルな反応が臭いを発生させるのかなぁ。反対に好きな人もいるだろし。つい最近、知り合いの方が嗅覚を失った。どんな感覚なんだろう。無臭の化学物質が恐れられるように、臭いから危険を察知できないとなったら、残りの感覚の精度は進化するかな?

F社の改修が終了したのでH氏へメール。先月の終わりだったか、DAネットワークのブログで問題になっていた点をTypePadのサポートとやりとりしていて、片付きそう。文面から推測すると、今回の問題は先方も想定していなかったみたい。そんな印象。こっちの指摘で仕様を変更してくれたみたい。プログラマの皆様に感謝。

京極夏彦氏が新刊『死ねばいいのに』 京極 夏彦 [to Amazon] の電子書籍版をiPadやiPhoneで発売するとリリースした。今回の判断の様子をインタビューした記事を読んで、出版社の方々と作家の先生方からご覧になった電子書籍の見解がおもしろかった。出版社と作家の役割をうまく説明されていらっしゃるし、その根底にはデザインが組み込まれている。ウェブに素のテキストを流し込んでもユーザは読まない。

見出しも辛辣。紙か電子かと幼稚な議論する場合ではない、と。自分はに電子書籍へ傾いているので、痛いお言葉。反省。そう、幼稚な議論なんだろうし、自分が語る電子書籍礼賛は、出版社と作家の現場を知らない野次馬の戯言。

あるプロのカメラマンが、志す若者たちから質問されたとき、「これからプロを目指す人は、カメラの撮影技術や表現方法を学ぶのも大事だけど、フォトショップのようなソフトウェアの操作、デジタル機器の使い方を勉強したほうがよい」みたいな趣旨をブログでよく書いていらっしゃる。

RAWで撮影したデータを現像するソフトウェアの使い方、使い方といっても操作方法じゃなくて、どんな現像すれば、自分が考える表現になるか、の使い方の意味と思うけど、デジタルカメラが主流(というか9割以上)のプロの世界ではそういう意見もあるんだろうな。

京極夏彦氏も”私は元々 InDesignで書籍を作っており、データの移行などの手間が省け、短い時間で準備できた”と述べておられた。これからの作家を目指す人は、電子出版へ加工しやすいデータとレイアウトを学ぶもアリよなんておっしゃる先生方も登場するんじゃなかろうか。もちろん、電子も紙もメディアであって、コンテンツそのもののがつまらなければ…..って余計なお世話。

今、農作物の直販所がコンビニより多いらしい。市場規模は数年後?!(もっと早くかも)1兆円に達するとの予測。年間売上高30億円を計上する「直売所」もあるとか。で、そこの写真を見たら、スーパ真っ青なガワと陳列。価格も決して安くない。じゃぁ、なぜ売れるのか。その解答が、今、スーパが抱える問題をつくっていそう。皮肉。

直販所の「店」はメディアにすぎない。別に立派な建物で小ぎれいなルックスをつくらなくてOK。今日食べたら必ず美味しいって言ってもらえる、2,3日おいて食べるなんてもっての他、もぎたての野菜を食べたら、ほんとうの味を味覚がインプットしたら、メディアは関係ない。コンテンツなんだ。

段ボールやプラスチックの箱に入っている野菜と高級感を演出したカラーの陳列棚に飾れる野菜。その野菜を見極める、使い分ける、食べ分ける人の比率が増加してきた。そして、さらに、自ら作りはじめる人たちも現れた。

なのに、まだ些末な点を議論しているとしたら、その呪縛から自分を開放しなければ、自分は野菜室で忘れ去れた野菜になっちゃう。いかん、イカン。いつもおいしく召し上がってもらえる野菜でいないと。