改造

2010.07.02 曇のち雨

今年の梅雨は身体の変化を気づかせる。偏頭痛がひどい。曇から晴れ、晴れから曇はあまり痛くならない。偏頭痛は曇から雨、雨から曇の変化で起こるような気配。とりわけ曇から雨が酷い。天気と偏頭痛が関係しているのか、それとも天気に関係ない原因があって、たまたま梅雨の時期に発生しただけかはわからない。とにかく痛い。

自分のWPをリニューアル。進捗55%、これから細部を手直し。まずはフォントまわりからはじめて強調するフォントと背景に溶け込ませるようなフォント、広告とコンテンツの区分をフォントで表してみたい。デザインというよりルックスの細部に手を入れる。それらを調整できたら可読性や広告をクリックしてもらうことなどのデザインを考えよう。

19:00からM先生のミーティングに出席。ナラティブアプローチで自分の状況をアウトプット。結果、常に考えている7つの項目の中で最も優先順位の高いのは時間だった。内省の体験を与えてくださりM先生に感謝。見栄っ張りな自分と素直な自分を改めて確認できた。見栄っ張りの比率がまだまだ高いのでやっかい、弱った。

『小さなチーム、大きな仕事―37シグナルズ成功の法則』  の「計画」のくだりを読んでいたら頭の片隅に置いてあった単語がリンクした。計画は予想。未来を計画できない。計画は短く。やりながら立てる。これらのフレーズと「認識・実践・意味・観察」がリンクする。4つの単語は自分のサイト制作のコンセプト。ただ4つの単語をきちんと吟味していない。今もその最中。

「計画」から連想した。計画から認識と実践がつながったプロセスを思い返す。思い出せない。直感したわけじゃあるまいし。箱の中に入ったパズルのピースを一つ一つ拾い上げて合わせてゆく。どうしてそのピースを選んだのか。自分の頭の中で組み立てられるピースとジグソーパズルのピースとの違いは絵にある。正解の絵は与えられない。お金を払えばステキな絵を手に入れられるけれど、頭の中の絵は自分で描かなければならない。絵を完成させられるかどうかすら不安。だから箱の中だけでなく外にあるピースも見つけなければならないことだってある。箱の外にあるピースをどうやって発見すればよいのだろう?

認識と実践は 『哲学の改造』 が箱の中へピースを入れてくれた。忘れたフレーズを探そうと書架から取り出し記録する。意味は 『センスメーキング・イン・オーガニゼーションズ』  、観察は 『アウトサイダー』  。でも、これらは模造記憶だしその状況によって書架の本とフレーズを都合よく理解してこじつけているにすぎない。実際は別の本だってあるはず。

ナラティブアプローチで時間が最も優先順位の高い事項とわかったけれど、無駄をつくりだすために時間を考える。『考える人 2010年 08月号 [雑誌]』 新潮社 に柳井正社長への取材が掲載されている。その最後の部分に「無駄な時間の効用」と書いてあった。無駄な時間が今の自分をかたちづけられたとの言葉。ステキだなと思う。柳井正社長にとっての無駄とは何であるかを存じ上げないけれど、自分にとっては読書も散歩もK10DもGIOSに乗ることもすべて無駄だと自覚している。映画を鑑賞したり海外ドラマを視ることも無駄だ。

「こんな講演を聞いていて立派な起業家になれるわけなどない。成功したければ、呑気に講演なんか聞かないで、ともかく仕事するべきだよね」とビル・ゲイツが談笑したとしたのだから、氏の眼には自分の行動は無駄の固まりに映る(その前に拝顔の栄に浴することすらないですが(笑))。

無駄や無用は人によって異なるからおもしろい。無用の道具を捨てる人もいるし、どうやって使うかわからないけれどとりあえず持っておいて何か起きたら手持ちの道具から対処する人もいる。

無駄を思い返してみる。いろいろ無駄なことをやっている自分に気づいて、”いろいろ”を抜き出してみたら、何だかパターンが浮かび上がってくる。そのパターンを説明したいんだけどできなくてもどかしい思いが続く。その思いを抱えたまま本を読むと、先の3冊は、認識と実践、意味、観察のピースを与えてくれた。でもそのピースが自分の絵に必要かどうかわからないし不安だ。でもその不安とうまく付き合う方法もまた自分で見つけなきゃならないんだろうな。