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2010.09.27 晴れのち曇夕方から雨

09./26(日)の朝、09:00から放送されるラジオ版 学問のススメに内田樹先生が出演されていた。毎週聴いているプログラムなのに昨日の朝は08:55からソワソワ落ち着かない。オープニングで蒲田健さんが格言を紹介する。今回は「生きのびられる人は生きろ」?!(うろ覚え、間違っている可能性が高い)みたいな言葉だった。のっけからキツイのをチョイスしてるなぁ。

ラジオで聴く先生の声はちょっと高めのトーンでわずかに早口。でも声がよくとおるので聴きやすい。笑い方がおばさんみたいでとてもほっこりした。内田先生がおっしゃる「コミュニケーション」の意味を伺うと「コミュニケーション」を吟味しないままコミュニケーションの単語を手軽に使ってしまっていると実感。

O先生のサイト制作。写真を加工して思案しながらページを3ページ作った。暫定バージョンなのでこれから手直し。先の行程を想定しながら未来に発生する訂正が過去の部分を改変しなければならなくなっても必要最小限で抑えられるよう現在を対応しながら制作。

ウェブサイトの制作はやり直しできるからか、二度三度できかないほどやり直しを求められることもある。それでは採算がとれないので注意。

勉強した事項や講演会で聴いた情報、本で読んだ知識などをすぐさま誰かに出力したい気持ちが起きた時、一度冷静にならなければならないと己を戒める。自分が出力したい内容を第三者が出力したオブジェのように観察して、それらの形態を正確に記述する。私が出力したオブジェだから愛おしくしたくなる欲動を抑える。僕が出力したモノを己の感情から切り離してオブジェクトとして眺めてゆくプロセス。そのプロセスが認知の能力を鍛えると考えている。

なぜ覚えたての情報や読んだばかりの知識を出力したくなるのか? 身体のすみずみまで行き渡らせて身体を動かして実感する前に出力してしまう。あるいは情報や知識の蓋然性を検証するための頭を使わず知識や情報に自分の解釈を加えてあたかも自分が実際に観察した現象のように処理して説明する。

この欲動を抑えられない自分を掘り下げていくと、「自分が知りたいことと、自分に求められていることを混同している」状態を発見する。

たとえば僕が出席する歯科医院のミーティングには自分に求められていることがあるはずだ。それを見失って自分が学習している事柄を開陳して相手の反応を知りたくなる。自分の学習プロセスを強化できるからだ。学習プロセスの強化は自分の役に立っても全体の役に立たない。相手は僕が何をしているかを知らないしわからない。

自分が学習した成果を試したいしそれらを誰かに評価してもらいたい気持ちはよくわかる。第三者から学んだことをあたかも自分の見解のようにしゃべられたら清々しいし賢くなった気がする。

出力は難しい。表現の仕方がよりどころだから。そして時間と場所と場合を判断しなければならないことだ。これは表現の仕方よりも難しい。メタの領域だ。