油断

2010.10.11 曇のち晴れ

連休中にアルバイトの入力を完成できた。土曜日の朝から始めて月曜日の夕方に終了。まずまずの効率。

周りに充分な注意を払う緊張感を持っていれば担当を決めなくてよい。担当を決めた途端、人は緊張を解く。なぜなら担当しない場所と時間は自分と関係ないから。そう感知した時から対象の連続性と継続性は途切れる。担当が決まっていなければ毎日気にしなければならない、毎日観察しなければならない、やがてその緊張感は習慣へ変わり、意識しなくても緊張した状態が安定する。

油断大敵。比叡山延暦寺の根本中堂には「不滅の法灯」がある。最澄が開創して以来、一度も火が消えていないと云われている。1571年、織田信長が比叡山を焼き討ちしたとき、その火は消えたはずであるが山形の立石寺に分灯されていた法灯を分けることにより再び「不滅の法灯」とした。知恵だ。

法灯の中の菜種油を絶やしてはいけない。毎日注ぎ続けなければならない。そして火を灯す芯も同じ。1200年間、油は注ぎ続けられている。決して油を絶やさない。油断。

どうして1200年もの間、一度も油を絶やさずにいられるのだろう。厳格なルールが運用されているのか。寸分の狂いもない時間を保持しつづけているからだろうか。一般の人々は、「担当」を前提にして疑問を浮かべる。

すべて否定される。

一切は決まっていない。油を注ぐ担当はいない。芯を取り替える担当はいない。いつ注ぐかも決まっていない。一切は周りの行動に委ねられている。感覚、眼。曰く、「担当を決めていたらとうの昔に火は絶えていたでしょう」とのこと。

意識して緊張している状態から常に緊張している状態へ。そして緊張感を安定的に維持している常態へ移行する。苦しくもない。あたりまえのことになる。油と芯が日常へプログラムされる。身体は自然に動き眼は周囲を見ている。何気なくぼんやりと。それであっても視覚は的確にスキャンしている。

もっと緊張しよう。僕は緩みすぎだ。身体を強ばらせることが緊張じゃない。ニュートラルから一瞬でトップスピードへ、周りに合わせて調整できるしなやかな身体。

危機を察知できない個体は緩やかに滅びていく。自分も気づかないうちに。