前提

2010.12.11 曇

現代の中国に対する一般的な感情と裏腹に”古代”と冠詞がついた風習や言葉は生活の風景に現れる。カボチャを売るために冬至を知らせるポスターを目にした。二十四節気が記されていた。今は大雪。そして次候。熊蟄穴。くまあなにこもる。ちゃんとこもれるかな。

金曜日にO先生とやりとりをしてサイトを修正。午後からWP制作。新規の制作はおもしろい。トレンドの技術と安定した枯れた技術の両方を使えるから。クライアントの中でもリニューアルしたいサイトはあるけれどこればかりはいかんともしがたい。時宜や成果とリンクしている。

葉物野菜の価格が少し落ち着いてきたかなと思う。先日、福井のほうで畑を持っていらっしゃる方から里芋と大根と白菜を頂いた。たくさんくださろうとしてくれたんだけどそんなのもったいないからって伝えたら、「欲ないねえ」って福井のイントネーションで微笑まれた。ちゃんと保存したら3月ぐらいまで持つよって教わった。

スーパーと冷蔵庫が頼りの生活の感覚で物事を解釈していたので驚いた。無知、この場合の知は情報や知識ではなく知恵に近いニュアンス、をさらけ出したようでとても恥ずかしかった。

さっそく頂戴した里芋と大根と人参やらで煮物を作った。里芋を食べてほんとうに驚いた。ふだん食べている里芋はスーパー仕様だ….。僕はそんなふうに実感した。スーパーに卸している農家の方に失礼のないよう申し上げると、悪いわけじゃない。食べ頃が違ったり鮮度の度合いが関係しているかもしれない。

前提がある。以前にも書いたが、今、野菜の直販市場が成長している。主に道の駅や道路に店舗を構えて農協や卸を仲介させずに流通させる。コンテンツは鮮度、だとしたらそれはあたりまえ。目利き。朝、買ってもらって昼や夜に食べたらウマイ野菜を見極める。その野菜を畑から引き抜く。それがコアコンピタンス。刹那の旬を見極めずにむやみやたらに引き抜けば、鮮度だけが売りでしかない。まあ、それでも圧倒的優位ですよね。

前提だ。一般的に使われるインターネットが現れて15年。ドッグイヤーの速度を単純に適用しても許されるなら105年が経過している。1世紀。調査会社IDCによると、2006年に生み出されたデジタル情報量は161エクサバイトだったという。161エクサバイトの量は、これまでに執筆された書籍の情報量の約300万倍。これらの書籍を積み上げると、地球から太陽までの距離およそ1億5000万キロを超える高さの束が12束分となる。もう天文学的数字を超えて誰にもコントロールできない。S/N比を考慮しても爆発的な増加、という「爆発的」が陳腐に聞こえる。

世界のインターネット利用者は2010年にも20億人を超えるとITUが報告した。世界人口の28%しかインターネットを利用していない。にもかかわらず。

言葉が世界を切り分ける状況が進行する現在、これまでの前提をもとにした判断が最適であるかどうかを僕は問われていると思う。

ミラーサイトを世界中に立ち上げているWikiLeaks, WikiLeaksの批判を考慮して競合サイトが立ち上げ準備に入っている。世界中の新聞やWebサイトなどの協力を求めてリーク文書のニュース価値を評価し、適正な形に編集加工してからリリースする OpenLeaks。

国家や法体系、統治システム、秩序、エネルギー、情報……抽象的で思考できなくて何から手をつけて吟味すればよいか途方にくれる。

批判してもよいと思う。それも「自由」だ。括弧つきで書くのは自由と書けば、WikiLeaksの言論の自由と我々の批判の自由は違うと反論があるだろうから括弧つきにした。

WikiLeaksは単に一例にすぎない。僕は批判するより今何が起きているのかを吟味したい。受け入れるとか受け入れない、あるいは賛成や反対といった立場に立たない。異なった解釈を模索したい。

急激に変わるわけない。教育や医療、法律といったシステムの根幹を構成するインフラは数年や数十年の時間軸でとっかえひっかえしてはいけないという意見もある。熟考された指摘だ。同じ時がかかるとしたら30,40世紀ぐらいの人が、「21世紀前半、人類は世界とインターネットのあり方について岐路に立っていた」と考察されるような理路をたどっていきたい。