天使

1972年2月、23時58分。あと数分で日付が変わる。一つの命が誕生した。体重2,480グラム、身長40数センチ。小さな命。男の子。予定より二週間以上早く誕生した瞬間は家族に幸せをもたらすはずだった。

そうではなかった。

医師と看護婦は自分たちの顔が青ざめていくのをすぐさま悟った。”命の叫び”が聞こえない…..。

看護婦は自らの手をあげた。
パーン、パーン。
静かな分娩室に響きわたる悲痛な音色。
それでも叫ばなかった。彼女の祈りは届かない。泣いて。
叩いてもつねっても叫ばなかった。

彼女はあきらめない。今度は逆さまにして上下に揺すった。ごく微弱な振動。彼女は心の中で「ごめんね」とつぶやきながら。

駄目だった。

目の前で繰り広げられる医師と看護婦の行動を目の当たりにして、男の子の母親はようやく事態を察した。仮死状態の我が子をじっと見つめている。涙がこみ上げる。喜びとは違った涙。男の子のかわりになって叫んだ。

数時間後、院長先生は両親へ第一声を発した。「あきらめてください」との宣告。

  • 助かる確率が非常に低いこと
  • 万一助かったとしても、何らかの知的障害がのこる可能性が高いこと

“宣告”を聞いた二人は、
「先生を信じています」
という一言だけを残して自分たちができる”何か”を探しはじめた。

そして、闘いがはじまった。希望だけしか信じない人の闘い。

先生は男の子と”つないだ”。男の子に異変が起きたら私に伝わるようになっている、と先生は説明した。24時間先生はそばにいた。男の子の状態は波形のような安定と不安定を描く。先生はまとまった睡眠をとっていない。

男の子の祖母は、生駒の聖天さんへ訪れ祈り続けた。毎日。朝早く出発してひたすら祈った。

3週後。

つなげられた命は小さな幸せを家族へもたらした。「なんとか持ち直して安定するでしょう」と先生は両親に告げた。「ただし」の条件付きで。知的障害が残る可能性。3歳、いや5歳ぐらいまで様子を見ないとわかりませんと先生は正直に伝える。

先生から誕生を再び告げられた二日後、別の命が消えた。そっと。誰も気づかなかった。祖母の家にいた猫が死んだ。男の子は猫を知らない。会ってみたくても会えない。

母親は男の子をつれて先生のもとへ毎月訪れた。36ヶ月。不安が病院のドアを抜けて入って行き、安堵が抜けて出て行く。

3歳の検査を無事に終えた。

幼稚園の入園式。ひときわ小さな男の子は先頭に並ばなければならなかった。誰が見ても先頭に行きなさいって告げられるだろう。両親はドキドキしながら息子を見る。いるべき場所にいない。かんたんに見つけられるはず。なのに見つからない。何処?

園長先生が挨拶しはじめる。みんなちゃんと聞いている。園長先生は園児の目を見て話している。その目が後方へ注がれる。ちょっと困った表情を浮かべているみたいで呆れた顔にも映るし、びっくりしているような顔でもある。

両親は視線の方向を追うために後ろをふり返る。一人の園児がいた。とても小さな男の子。男の子は雲梯につかまろうとしていた。一人では届かない。先生が止めに走ってきた。

男の子は笑いながら逃げ回る。走り回る。園長先生の話は続く。男の子の両親はうつむく。真っ赤な顔で。「ああ、やっぱりH先生の言う通りか。やっぱり頭がおかしい」と父親は嘆いた。しょうがないと踏ん張った。

3歳の検査が終わって、24ヶ月後、「もう大丈夫ですよ。知的障害も残っていません」と先生は終わりを告げた。両親にとっては終わりでもあり新しい始まり。

20年後、男の子は自分の誕生を聞いた。そのとき、「先生は僕とつないでいる間診療していたのかな?」って俗っぽい質問が浮かんだ。同時に、「僕は生きようとしたのか、それとも自ら灯を消したかったのか」なんて度はずれな疑問が浮かんだ。質問と疑問が同時に浮かんだ理由はわからない。誰にもわからない。

男の子はいまでもその理由を知りたいと思っている。

2004年10月24日のエントリー「小さな命」を改変・追加。