矜持

2011.01.01 晴れ時々曇

寒い、寒いなあ、寒いのじゃなくて冷凍状態。結露を拭こうとしたらサッシが凍っている。カーテン開けたらまさに雪下出麦。第六十六候。雪景色の下に春を待つ麦はひっそり芽吹き始めている、って、空想から覚醒して現世のオールアスファルトに興ざめ。今年は麦や珈琲豆が高騰しそうでやな予感。

今さらながら元日なのに新春や迎春って書くのは何でよ、って思って、確か、ずいぶん前に調べた記憶があって、それを調べているはずだったのに、マナーのページをいつの間にか開いており、目上の方にその手の二文字を使って挨拶するのは失礼らしいんだって、迎春を調べていたのにマナーへ漂流してきたんだ、どうして、なんで、まぁいいや、そうらしいけど最近の年賀状はどうなんでしょうか、カーテン全開外から丸見え状態で、熟々思い出しながら朝食を囓る。

朝、O先生のサイトのログをチェック。サイトを修正。ほどほどにしてまた読書。ひたすら読む、めくる、書く、読んだしりから忘れる。記憶力と読解力が極度に低下している事実を厳粛に受けとめる。マゾか僕は。

午後、散歩へ。ココは現代であるにもかかわらず一歩外へ出た僕はホモ・エレクトスになったらしい。気がつけば周囲もそうらしい。ホモ・サピエンスは子供だけ。子供より背丈が高い”Homo”は腰をかがめて前のめり。ヨチヨチ歩き。時々、固まった白い物質の上で反射的に仰け反る。両腕は↑の先端みたいな角度に。僕もシンクロ。動物界・脊索動物門・脊椎動物亜門・哺乳綱・サル目(霊長目)・真猿亜目・狭鼻下目・ヒト上科・ヒト科・ヒト属・ヒト種の子供はスイスイ歩きはる。上半身と下半身の連動がしなやかなのだ。進化したらああなるんだな、とホモ・エレクトスの僕は羨む。

本屋で 『ビジネスのためのデザイン思考』 紺野 登 , 『デザインのための数学』 牟田 淳 , 『美学入門』 中井 正一 を購入。美学入門は本棚をスキャンしていたらピントが合った。「美学」にヒットした。手にとって目次を見る。第一部二の芸術とは何であるか、と書いてあり即決。

僕は深く印象に残った質問を頭の中に留めておく。否、留めるじゃなくて質問が留まる。いつまでも片隅を占拠している。その中にF先生からの問いがある。「芸術と芸能の違いは何ですか?」。数年前の話。確かUH町のイタリア料理を出すお店だった(間違っていたらお詫びします)。ワインを飲んでいる最中だった。文脈を覚えていない。でも、その問いは映像といっしょに片隅を占有している。爾来、折に触れ芸術論と芸能論を読んでいる。論考や論文を書くわけじゃないし研究するでもないので雑学を仕入れるような散漫な読み方になっているが、自分なりの見解を持ちたいとは考えていない。とにかく問いがひっかかるからひっかかりの正体を探している。

帰宅して検索。中井正一先生は京都帝国大学文学部哲学科を卒業。「西田学派の流れを汲む」とあり、「現象学、記号論、新カント派やフランクフルト学派などの思潮、新即物主義などの芸術実践を含めた幅広い視野を持っていた」と書いてあった。他にもいわゆる京都学派で禅の素養を持って西洋哲学を学んだと書いていらっしゃる人もいた。昨年から読み始めた 『哲学ノート 』 三木 清 先生といい、ふらりと出かけて本屋で 見つけた本 は京都学派(ってラベルがあるの?)と云われる先生方らしく縁があるみたい。

再び読書。変わらない律動が幸せであり読書は贅沢。旧年をふり返ることも新年に意を決することもない。こうやってそれをあえて書き記すこと自体がひねくれており、たとえゆがんでいてもそれが僕の矜持かなと自分を認めつつある。12月31日から1月1日に日付が変わった。いつもと同じ。