毀呰

2011.06.06 晴れ

天気は晴れ、顔は腫れ。あっぱれ(←くだらん)。まだ腫れてます。痛いです。痛み止めの薬はお昼でおしまい。ジンジン。ガマンガマン。強烈な薬はスルーしたいので。いやもう飲んでいるかも。

二十四節気の第9、芒種。太陽の黄経が75度。第二十五候、螳蜋生。芒はイネ科植物の穂先。穀物の種まきや麦の刈り入れ。忙し。五穀豊穣。祈願。我が家の家紋は抱き茗荷。よって茗荷は食べへん、と父は訴える。エキセントリックな人である。漬物の薬味で美味し。

部屋から見える紫陽花の大きな蕾。楽しみ。鎌倉の長谷寺で見た紫陽花を忘れられない。色鮮やか、才能ならぬ彩能(造語です)。やっぱり住みたいわあ。

午前中、M社のページ制作。M社と書いてるけど正確にはC社、ふと思う。”中小”からはじまるんだから。ついついコンテンツを表す名前の方をイニシャルに使ってしまいました。

14:00からC社のH氏と京都駅で打ち合わせ。行きの列車の気分はYUKIのメランコリニスタ。帰りの車中はアンジェラ・アキの始まりのバラード。なんですか、このテイストの違いは。打ち合わせで方向をすり合わせられてほっとしました。

手前味噌の話。ある物事の情況や問題のフレームを説明するとき、対象を相手の人の趣味や好きなことに置き換える。H氏の趣味は釣り。情況とフレームを海釣り、山釣り、川釣りにたとえました。H氏曰く、「釣りの話が非常にわかりやすかった」とのこと。

知ったかぶりに注意。この手法で気をつけなければならないのです。どうしても知ったかしちゃいます。したくなります。相手の方の食いつきがよければよいほどC調です。で、相手はヘンな感情を抱き、うさんくさく感じます。ヘンな感情は言葉でなんて言い表せない。でもヘンな感情、眉に唾をぬろうとするような気配。

知ったかぶりしないで自分の印象を素直に述べるだけで。だって知らないのですから。

相手を知らなければこの手法を使えないしね。「知る」ってたんに知るじゃなくって。かといって根掘り葉掘り相手から聞き出さない。ふとしたことから相手が吐露する「自分」を心臓と肺の真ん中あたりにメモ。会話の最中、そのメモを取り出して脳みそへ送ってやり記号に変換して口からはき出す。

伝えたければ相手をぼくのテリトリーに引き込むのじゃなく、相手のテリトリーへぼくがそっとそっと注意深く入ってテリトリーを荒らさずに核心を探し回る。

正法眼蔵随聞記 二 五 悪口をもて僧を呵嘖し

『正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)』 筑摩書房 P.90

僧に対する悪口のお話だけど自分に置き換えられる。ただね、この悪口は、十悪のひとつだろうって推測して読んでいるから、世間(これまた不思議な単語です)で使われるような悪口とは意味が異なるのかしら。

悪と口は妙な間柄。いつも思う。口の前(上)に悪がつくとイメージはよろしくなく、口の後(下)に悪がつくとイメージはよろしくなくとまでいえず。

「悪口」と「口が悪い」。「あいつは悪口を言う」と「あいつは口が悪い」。後者は使いようによっては、「もうしょうがないやつだよねぇ」ってニュアンスが込められたり。で、さらにさらに「しょうがない」(しようがないが転じた)も前後の文脈で意図はがらりとかわる。

悪口と口が悪いの境目ってどこかしら。同じ悪口を言っても、毒舌と受け止められて転じて茶目っ気があるって認められたり。言葉そのものにピントを合わせず言葉でない「何か」にピントを合わせているってこと。