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ケータイ代は1,000円ほどだってば

2012.05.16 晴れ

今朝は Madonna – Crazy For You でスタート。中学生のころ、レンタルレコードへ足繁く通って Madonnaのアルバムからテープへダビングしていました。だからMadonnaの1980年代を耳にすると15-17歳頃の美化された映像が脳内再生されます。

ドコモから夏モデルの発表があった。ラインナップを見てびっくりした。全機種スマートフォン。私はフィーチャー・フォン(SH-02A)を使っている。2年半前に購入した。端末代は10,000円ぐらいだった。フィーチャー・フォンからフィーチャー・フォンへ乗り換えができなくなった。

とはいえ、発表会のコメントを読むと、iモード対応端末の発売サイクルが1年になるとの由。なので、次のフィーチャー・フォンは来年の冬春モデルに発表されるみたい。まぁ、気長に待とう。

スマートフォンを持つメリットが見当たらない。乗り換えに気乗りしない。月々のケータイ代は1000円ほどなので、スマートフォンのランニングコストは高い。

携帯「電話」しないからだと思う。専らおサイフとチケット端末になっている。自宅ではネットジャンキーでも、外出中はiPod TouchかiPadで読書か論文を読んでいる。読んでいなければTEDや動画を視聴している。それらいずれもしていなければ、紙の本を読んでいる。ネットに接続しない。

もし、スマートフォンを持つなら、SIMフリー端末をネットで購入して、イオンのSIM(月額980円)かIIJmioのSIM(月額945円)をさして使う。音声通話はフィーチャー・フォンを使う。音声通話は090発信より050plusを使うかな。LINEやSkype系なら「そっち」へ音声通話する。

iPadやラップトップを持ち運んでいるからモバイルルータと組み合わせて使うほうが、複数の端末をネットへ接続できるから重宝する。あるいはSIMフリーのスマートフォンに高速通信用のSIMをさしてデザリング。

いまのライフスタイルが定着しているので、フィーチャー・フォン+iPadの組み合わせがしっくりきている。スタイルが崩れるまでモバイル環境を再構築したくないなぁって感じ。

“星を継ぐもの (創元SF文庫)” ジェイムズ・P・ホーガン を読了。すごいおもしろかったなぁ。月面で発見された真紅の宇宙服をまとった死体が発見されて、調査の結果、彼は五年前に死亡していた、って設定から、どんな結論が待っているんだろうってワクワクしながら読んだ。僕は科学・技術を楽観的に捉えている。科学・技術が生み出した仕組みに問題が生じたとき、科学・技術が解決して乗り越えたらよいと思っている。なので、ジェイムズ・P・ホーガンが語る科学や技術のアイデアと相性が合う。悲観的や否定的にならず、感傷にひたるわけでも高尚な哲学論を論じるわけでもない。とにかく一つの謎が解ければまた次の問題が浮き彫りになるプロセスを堪能できた。

夕食は、厚揚げ豆腐で麻婆豆腐。豆腐のかわりに厚揚げを使って茄子をトッピング。ご飯は茶碗一杯よりずいぶん少なめにしたのに、厚揚げになるだけでお腹いっぱい。

無礼無愛想無骨

2012.05.15 雨

今朝は Incognito – Collibri(live) でスタート。仕事中のBGM。CDは6枚。iTunesでそろえようかしらと悩むも優先順位は低い。家からCDがどんどんなくなっていく。あと少しだけ思い切れたら全部処分できるだろう。感情移入しているジャケットはやっぱり処分しづらい。ジャケットも含めて全体がコンテンツか、あるいは「中身」だけがコンテンツかは各人の感覚かな。目下、前者と後者を右往左往してる。

Google AdWordsを使って歯科衛生士を求人してみるなんて5年前なら思いつかなかった。当時からやっている人はいたと思う。想像をもっと機能させないとマズイ。どうも枠にはまってしまっている。

AdWordsを使ってDropboxの容量を増やす方法が紹介されていた。それを読んだとき、おもしろいことを思いつくなぁって感じた。「広告」のツールを水平思考させてアイデアを出すってスゴイ。

歯科医院の待合室や空間も、なにげなく眺めている。あの風景に慣れてしまっている。もっと疑っていけばありえない理路からユニークなアイデアが浮かぶはず。それをやってみたら「こんなコンテンツを待っていた」って患者から声があがりそう。F先生からある広告営業のパンフレットを見せてもらって、それについて話しているとき、コンテンツがいくつか浮かんだ。

16:00すぎに出発。大阪駅で途中下車。本屋へ。“状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加” 産業図書 の序文を読んで即購入を決めた。発表された当時、斬新な論文だったのではと思う。学習を命題的知識の獲得と定義するのではなく、学習を特定のタイプの社会的共同参加という状況の中においている(同P.7)。この参加の様態を「正統的周辺参加」という術語に変換して定義を説明している。これがユニークだと思った。

「人と人」との関係から学習を捉えるだけでなく、「環境と状況の構造」から捉え直してみてはと僕は考えている。徒弟制やマンツーマンの学習を否定しない。「人と人」の関係だけに依存してしまうリスクを想定したい。関係に依存してしまうと、ある特定の人が関係から交替すると、獲得した知識の再構成を余儀なくされかねない。そうなると持続的な学習を体得できなくなる。

学習の断絶は、獲得した実践的知識を抽象的な単語の寄せ集めに変えてしまう。実践で使えない。

特定の集団内にいる人々や情報構造が非対称的な関係(たとえば専門家と素人)の中にいる人々からお話しを伺い、我が身を投じて体験したとき、学習の機能が人と人の関係に依存したら、学習を続けられなくなる、と感じた。特定の集団で通用する学習だと、自分が別の集団に移動したとき、共同体の構造が変わったとき、学習の連続性が寸断されてしまう。

まずは本書の理論を理解しなければならない。それから自分の仮説と理論の相違を検証しよう。

19:30からF先生のミーティングに参加。21:30に終了。

近ごろ不条理なコンテンツにアクセスしすぎかなぁ、ちょっとキツイ。

免罪符

2012.05.14 曇

今朝は Clairy Browne & The Bangin’ Rackettes – Love Letter でスタート。ど真ん中。超の10乗お気に入り。Amy Winehouse亡き後、もっとも期待しています。05/16に“ベイビー・コウト・ザ・バス” クレアリー・ブラウン&ザ・バンギン・ラケッツ が発売される。マストバイ。

第二十一候、竹笋生。なぜゆえいまたけのこしょうず、かを調べてみるのもおもしろい。私たちはまだ何もしらない、ことを教えるのが21世紀の科学だ、という言葉にふれたが、日常の生活のいたるところにころがっている。日本で獲れる唯一の鰺がそろろそか。刺身で食べたい。

ミクシィ、身売りを検討:日経ビジネスオンライン が報じられて、間髪入れずプレスリリースで否定された。仮定の一部として検討に入ったとしていても、まさか「本当です」とは認めないから否定に意味はない。いまごろ関係者各位、どこからリークしたかと色めきだっているか、あるいはインサイダにてんやわんやか。

mixiのユーザー数と「アクティブ」ユーザー数推移をグラフ化してみる(2012年3月分対応版)(Garbagenews.com) – livedoor ニュース にあるとおり、過疎化がすすんでいる。月に1回もアクセスしていないユーザが44%増加とのこと。もう止められないだろう。10年続いた。

Facebookに移行した人は多いし、新規の人もFacebookを利用しているだろう。じゃぁ、FBはどうなる? なんて予測は専門家にまかせて自分は物見遊山。仕事でFBを知っておかないといけないから参加してアクティブ化しているけれど、いまの仕事を引き払ったら、アカウントを残して消えるだろうなぁと思う。

mixiやFBなどの閉じられた空間がやっぱり苦手だ。フィードから流れてくる「ポジティブ感」にシンクロできない。僕の目にはどうしても奇妙に映ってしまう。だからプライベートなアクティブを流さない。極力控えている。ビジネス情報を流すか、自分の思考の断片としてロギングするために利用している。

どうして苦手かを自己認識している。わざわざここに身も蓋もない毒舌を書いて他者を苛立たせる必要はない。自分のそういったネガティブでネクラな要素をきちんと理解しておけばよいと思う。他者へ発散しなくてもよい。

夕食、鶏のもも肉とむね肉のミンチを練り合わせる。牛蒡と人参といっしょに。下味をつけてフライパンで焼く。成形。ハンバーグ。タレは酢醤油に芥子。自画自賛のデキ。うれしかった。明日のお昼も同じものを食べるので二度のお楽しみ。

「ちゃんと」できる人なんていないを読む。すごく参考になった。FBのフィードに流した。文学的な表現や曖昧な言い方、一見指示しているようで実は具体的な中身がない指示などが浮かんでくる。「適切」「正しく」「適当」「きちんと」などなど、それらは言葉だけで解決するために使われる便利な単語である。

自分がちゃんとできていることだけに焦点をあてる。「私はちゃんとやっている」と言う。ところが他者はちゃんとやっていないと観察しているかもしれない。あるいは、それはできていても他はできていないじゃないか、と評価していることもあるだろう。

要は自分がてきているコトだけ自己評価して、自分ができていないコトに対して自己評価しない。評価しないどころか、査定項目にもリストされていない。まるで認識から欠落しているかのようだ。

自分ができてているコトだけを自己評価しているときの口調は他者を責めている。自覚していない。まくしたてるわけではない。注意しているつもりなんだろう。私はやっているけれどあなたはやっていない、と。注意や説諭に使う単語の選択が幼稚である。幼稚だから人をひどく傷つける。あるいは人の感情を損ねている。が、悪気はない。一生懸命なんだ。

初心者だから何を尋ねても許されるだろうか。自分が行為の対象になったとき、自分が不愉快な思いをするのに、同定の行為を相手に対して作用している。それに気付かない。無料相談を受け付けていない弁護士が、経営コンサルタントに経営のことを根掘り葉掘り聞いて相談する(もちろん無料で)みたいな皮肉に満ちた構図。そんな構造を認識する力をどのように自己修養していけばよいか、と悩む。

ノーパンでデニムをはいたら滴がきになるだろ?

2012.05.10 晴れ

今朝は Coldplay – Every Teardrop Is a Waterfall でスタート。テレビをご覧になっていたら、たぶん耳にしているのでは。日本ならどのバンドと座標軸が似ているかな。存外、こういうテンポのナンバにからだをのせるのって苦手。いかにも”日本人”みたいな動きになっちゃう。

iPadが医療現場で導入されるケースを目にする。事例報告が増えている。医療現場とiPadの相性がよいらしい。アバウトな表現だ。でもiPadの直感的なUIやスタイラスを使った操作の感想はたしかに記述しづらい。具体的に何がよいのかうまく説明できないけれどしっくりくる。

操作する側だけでなく来院者とも相性がよいのでは。たとえばPCに画像を表示させて説明するとき、対面式は心理的な圧力をかけている。説明する側と受ける側のデザインの変数は考慮されにくい。iPadをさわっていると、ある瞬間に気付く。キーボードの存在。文字入力には最適なデバイスは、iPadを媒介にして誰かへ表現するときに邪魔な存在へ変わる。私と端末の関係から第三者と私と端末の関係へ移行すると、キーボードは「距離」をつくる。

キーボードがない端末は、「個人間の距離」を調整しやすい。金融関係のコンサルティングシーンで利用される機会が増えているのもうなづける。

少し前に買ってきた鉢植えの調子が芳しくない。水のやりすぎか、肥料か。花が枯れてしまった。むずかしい。あれこれ調べる。うまくいくとよいが。

カナダのドラマを視ていて特定のパターンに気付いた。ドラマや映画からパターンや構造を自分なりに解釈したくなる。癖である。解釈の正誤は気にしない。今回はデニム。デニムをはくシーンがたびたび映し出される。決まってノーパン。パンツをはかずに直にデニムをはく。ためしにやってみた。なるほど気持ち悪いけれど気持ちよい。キンタマが解放されてパラダイスである反面、ある瞬間にケツが奪われそうになってひゃんな感覚が残る。

あと、”滴”が気になる。加齢とともに切れ味は悪くなるから、充分注意しないと滴はどうなるのだと思うし、直だとナニやナニの付属物がジッパーにはさまりかねない。あれははさんだモノしかわからなぬ激痛である。

自分があたりまえにやっていることが他の場所へ行けばやっていない。そういう事例は数知れず。傘もそうだろう。車の往来を確認するとき、首の左右は右から、とか。文化に関係した事例や認知能力と関連する事例があり、そして環境が影響する。それらを自分で調べて学習するのがとても楽しい。

独身のときは裸で寝ていた。あの感覚を一度味わうとなかなかやめられない。デニムを直にはくのも似ているのだろうか?

風雅

2012.05.08 曇

今朝は GLAY Bible でスタート。お恥ずかしい話、GLAYはほとんど知りません。曲名はまったく知らないし、曲もBGMで耳にするぐらい。ある日、この曲がラジオから聞こえてきてすごく響きました。特に、「あなたが生まれたあの日に テロが始まって あなたに何か託すように消えた命 その意味はまだ雲の上」ってくだりが大好きです。

リズムと歌詞を解析したらヒットする歌ってパターンがあるんだろうか。たとえば人が好むリズムや歌詞を調査したとき、統計的有意差を観察できるのか。

というのも、近ごろの邦楽の歌詞を読むと、すごくシンプルだなぁと感じる。シンプルはやや褒め言葉のニュアンスなので否定系だと単純すぎないかなって心象。なるほど、ストレートだと思えばよいのか。

“広げ”すぎだし”つながり”すぎだし、”愛し”すぎで”閉じ”すぎではない? と感じたり。苦手。Google検索してみると、やっぱり「すぎ」系のキーワードがたくさんヒットする。バッドエンドやシュールな歌詞がもっとあってもよいと思うし、よくわかんないエキセントリックも期待している。

オリジナルじゃなくて椎名林檎さんが歌う『翳りゆく部屋』を聴くと、あのボイスとボリュームとリリックが混じって、パラレルワールドにトリップできそうな快楽がやってくる。もう身も蓋もなくて最高。

18:30に京都駅へ。経営者お二人からお誘いを受けお相伴にあずかる。私がゲストになりそうで丁重にお断りしてあくまでお相伴ということで。

事前に予感はしていたので、正装が適当だよなぁって承知していた。けど、「正装」とよべる一張羅を持っていない。全部捨てた。で、やっぱり。タクシーに乗って目的地を耳にしたとき、案の定。はやくも自分の格好を謝罪した。こういう場合、私が恥ずかしのではない。自分がどう思われるかというのはようやく無頓着になれてきた。それよりもホストに恥をかかせてしまうのでお詫びしなければならない。

一件目は青蓮院門跡。この日記に備忘するのは失礼千万なのでほどほどに。オーナから経歴やいまのお仕事や人脈をお伺いして、10億円が一万円みたいなデノミネーションの世界にやってきた気分にぶっとんだ。一流になれたとしても、教養は一朝一夕で身につかないよねって常々思っていたが、再確認できてよかった。一流と教養が自然融合されたお店のおもてなしを味わう。

失礼を承知でじっくり観察させてもらった。オーナの視線をあびると全身スキャンされている気分。キンタマに力を入れて鍛えているつもりの胆力で耐え忍ぶ。一流と教養と礼節が調和された立ち居振る舞いを外界へ持ち込もうとしたらややこしいだろうなぁ。外界は外界で異なるしきたりがあるし、また文化的資本の境界線がひかれているだろうから通用しない可能性が高くなる。

経営者のお二人と周りを観察して思う。空間に溶け込むには、溶け込む側の様態が問われる。質。僕はその質を持ち合わせていないので自分の役割を認識するよう努めた。みなさんがお話しなさっているお姿は、まるで雅な舞台で舞を演じていらっしゃるかのよう。それを青田で袖から観賞させてもらった。舞が盛り上がれば盛り上がるほど僕の認知能力は冷静に機能する。

二軒目は石塀小路。ひさしぶり。20代のころ、Googleで「石塀小路 スペース」で検索すると自動で表示されるお店で遊ばせてもらった。その前を通り抜ける。ここでも観察。瓦をやり直そうとしたら一軒家が買えるのか、と知って心地よい異文化衝撃を頂戴する。このあたりの「変化」を伺い諸行無常。

京都に限らず、その土地の「底知れなさ」を知るなら、あの空間へ足を運べば体感できるかなぁ、といつも感じる。もうひとつは神社仏閣か。花柳界と神社仏閣。あるいは山。

風雅な夜。ニセモノがあるからホンモノが…..といわれる ようにホンモノのなかにひとりニセモノがまじっているのも乙だろうと自慰しながらの帰宅。

顔サイズの三笠どら焼きは一瞬です

2012.05.07 晴れ

今朝は JUJU – 明日がくるなら でスタート。MTV Unpluggedに出演されたそうで。次いで福原美穂さんの出演が決定したとか。日頃耳にしているアーティストが人気企画へ出演されるのを素直に喜んでいます。視たいなぁ。

二十四節気、立夏。太陽の黄経は45度。暦では夏。第十九候、 蛙始鳴。春分と夏至の中間。梅雨を経て正念場の夏。壮大な社会的試みがはじまるかもしれない。やってみなくちゃわからないからやってみる、ところまできてそうな雰囲気。

メンデルの法則の礎を食す。ゆで時間を短く。湯煎からあげた緑はあざやか。歯ごたえはしゃきしゃき。母の日のプレゼントはガーベラに。目星をつけていたカラーが連休中に完売。迂闊。里の家の鉢植えや植物をこれ以上増やしてもしょうがない。花屋さんでもやるつもりなのか。それでも好きなものを贈ってあげるのがいちばんかともためらう。今年の藤棚はどれぐらい咲いたんだろう?

O先生とM先生のサイト制作。O先生のサイトは前回のリニューアルでスマートフォンとiPadに対応済み。ナビゲーションやリッチなUIを実装するか否か。課題。悩みどころ。自分のスキルが課題をクリアできるレベルに到達していない。M先生のサイトはコンテンツの整理。手書きでUIやナビゲーションをあれこれ。リニューアルを見据える。

夏に備えて自宅のファイルサーバやPC環境を再整備しなければ。計画停電が実施されたらファイルーサーバからデータを取り出せなくなる。停電中のワークスタイルを決めておかないと。急な停電も想定して。ノートのバッテリーは3時間程度は持つ。必要なデータをローカルへ移動させるか。

停電中、このブログを停止するつもり。自宅でウェブサーバを運用するなんて、メリットはまったくない。惰性と自習で運用している。愚かだと承知してやっているから始末におえない。そろそろVPSに移行してもよいかもしれない。ランニングコストもそっちのほうが安いかも。

もし賛同していただけるならクライアントのレンタルサーバをVPSに移行してひとつにまとめるのも一考か。ウェブはVPSでメールはGmailで運用してもらう。

はじめから否定的な見方で文章を読めば、批判的な意見が次々と頭に浮かぶ。浮かぶなかにはバーカやアホみたいな感情論にも満たないファックな雄叫びも含まれる。それらファックを取り除いたとしても意見の中身は批判的である。反対に、はじめから肯定的な見方で文章を読むと、発展的なアイデアが浮かぶ。

自分の価値観にヒットするかしないかで判断してしまうと、読書傾向は偏るし、嗜好は固定する。これは自分の変容にとってとても危ない兆候と認識している。いまたぶんそういう時なんだろう。

いままで積み重ねてきた自分の言動を壊したくない。過去の成功体験と積み重ねた言葉と行動の経験を糧に進む道をを決めたい。そいういう欲望にかられている。

それは真っ当な様に映る。成功体験と積み重ねた言葉と経験が増えれば、選択の判断に要する時間が短くなるから効率がよくなる。甘い誘惑。その先に待っているのは停滞と停止。経験を破壊しなければならない。自分の経験に中指を突き立てないと。

要は自分の頭がバカなのだ。文章に対して、無意識のうちに価値観を維持して読んでいる。その価値観に反するキーワードがちりばめられていたら批判のスイッチが入る。共感できるキーワードがちりばめられていたら受け入れる。まるで、散歩の途中で外から家々を眺めてあの家は好き、あの家はちょっと苦手、あれは嫌だと言っているみたいに。その家の設計を知らず、それどころか中身すら見ずに外見の印象で判断している。

批判的なイメージを抱きやすい文章から肯定的な見解や発展的なアイデアを捻出できるか? その反対は可能か? まったく先入観を持たずに素直に読めたらと切望する。書いた人の思考の理路をトレースしたい。まずはトレースのスキル。身につけよう。そのあたりがようやく理解できたようだ。トレースできてからなんだ、自分の思考をアウトプットするのは。オルタナティブやアイデアを出して自問自答しながら吟味するのはトレースの後。

家人が奈良へ行ったお土産にリクエストしたどら焼きを一瞬で食べながらあれこれめぐる。奈良のどら焼きのサイズは顔ぐらいある。高度な遺伝子治療が実現したら、3日に1回は食べたいかも。

4時間の場所代は180円

2012.05.03 曇時々小雨

SL北びわこ号

JRには大都市近郊区間がある。旅客営業規則第156条第2号に規定された区間(参照)。関西圏にも複数ある。公認の移動方法らしい(素人が断定しちゃいけないかな)。

僕は列車の中だと集中して本を読める。以前にも書いたかもしれない。本を読むために列車に乗りたい衝動にかられる。だから試してみた。

11:00すぎに最寄り駅から隣の駅の切符を購入。180円。回数券はNG。で、米原経由近江塩津行の新快速へ乗った。カバンのなかには“スティーブ・ジョブズ-偶像復活” ジェフリー・S・ヤング, ウィリアム・L・サイモン 。思った通りページがすすむ。ただ、前に座っていたおふたりがLの世界だったのでやや気になったけれど。僕の価値観はいまだ前近代的ということか。

米原駅に到着。ここで列車を切り離す。12両編成の8両は米原駅止まり、4両は近江塩津行き。子供たちといっしょになって切り離しを見た。めちゃくちゃおもしろい。ちなみに鉄道ファンではない、撮り鉄でもない、いや、ほんとに。

ただ子どもの時にまったく関心がなかったものに、30代後半から妙に目がいきはじめただけである。星座、天体しかり。花とか。だから名前や仕組みをまったく知らない。見ているだけ。

JR米原駅

そのまま近江塩津まで行くとあっけないので、米原駅で下車。米原駅の立ち食いそばで昼食。

JR米原駅立ち食いそば

おばさんひとりが立ち食いそばと駅弁の両方をさばく。大阪だとありえないスロースピード。みるみるうちに立ち食いそば屋に列ができ、注文できないみなさんは苛立つ。休日のホームがなにやら殺気立っていた。

天ぷらそばを食べて、駅舎を見学。SLの広告が目にとまった。期間限定の運行。残念、乗れない。米原駅から出発するので姿は見られる。1時間待てばだけど。どうしようか迷っていたら駅にやってきた。事情は知らない。入線して点検しているのかな? 撮影。5分ほど停車してまた車庫へ戻った。車庫へ戻る途中に白煙が黒煙(正確には濃い灰色)に変わった。渋い。一目見られてよかったぁ。

それから長浜駅行きへ乗り、近江塩津行きを待つ。読書が進む。そして近江塩津行きに乗り、到着後湖西線に乗り換え。5分待ち。絶妙の接続におどろいた。一台逃せば一時間後。近江塩津駅は「無人駅」に近い状態。つまりどういうことか、ああ、のんびり過ごすこともできなくもない、って書けないからご想像におまかせします。

近江塩津駅は肌寒く時雨れていたのでのんびりするのはまたの機会に。結局、5分待ちで湖西線に乗車。ゆったりまわって約4時間。おかげで読了できた。帰りは隣の駅から歩いたので移動料金は180円。

今度は、もっと大回りしたい。草津 – 柘植 – 木津 – 奈良 – 高田 – 和歌山 – 天王寺 – 京都 と「一周」できるらしい。そうなると時刻表必須でしょうね。一回り小さいと奈良から天王寺、あるいは木津から京橋か京都というルートもある。あと、兵庫方面も。