[Review]: 決断力

決断力 (角川oneテーマ21)

先週、「プロフェッショナル 仕事の流儀」羽生善治氏が出演していた。冒頭、次の言葉が画面に浮かび上がる。「才能とは、努力を継続できる力」。これを視てすぐに昨年読んだ本書をひっぱりだしてきた。こうある。「才能とは、継続できる情熱である」。直感を大切にする姿、リスクをとって成長していく姿が画面に映し出される。それらは本書でも詳細に描き出されている。

「決断力」を集約するもの、それが番組でも紹介されていた。「大局観」。

「将棋を指すうえで、一番の決め手になるのは何か?」と問われれば、私は、「決断力」と答えるであろう。私は、いつも、決断することは本当に難しいと思っている。直感によって差し手を思い浮かべることや、検証のための読みの力も大切であるが、対局中は決断の連続である。その決断力の一つ一つが勝負を決するのである。

『決断力 (角川oneテーマ21)』 羽生 善治 P.56

羽生善治氏は1996年に前人未踏の七冠(全タイトル)を独占した。将棋界最強の棋士。”羽生にらみ””羽生マジック”なる言葉も生まれた。本書は「将棋界」に終始とどまっている。なのに引用を一瞥すれば、「将棋界」を間借りしてだけと氷解。さらに引用はつづく。

経験を積み重ねていくと、さまざまな角度から判断ができるようになる。たとえば、以前に経験したのと同じような局面に遭遇したときには、「あおのときにはこう対処してうまくいった」「こういう失敗をしたから、今度はやめておこう」などと、判断材料や内容が増え、たくさんの視点から決断を下すことができるようになる。

『決断力 (角川oneテーマ21)』 羽生 善治 P.56

だからといって「正しい決断」ができるかというと別なのだと指摘する。ここに将棋の醍醐味がある、と。これもまたしかり。マネジメントにもあてはまる。いくら判断のための知識が増えたとしてもそれだけで「意思決定」はできない。「決断力」に”知識”は必要であっても十分条件じゃない。

氏は「直感の七割は正しい」という。若いときは、百手も二百手も先を読み、勢いで指していた。しかし、かつての大先生たちは老いてゆくと、ときに「ここではこんなあたりだろう」という”勘”でしばし指す。それがまたわるくない手だから驚く。邪念がない。なぜか?

「大局観」があるから

番組でもふれていたと思うけど「大局観」は一局のなかにあれば、それ以外もある。たとえば7戦勝負であれば、7戦すべてを俯瞰するような「観」を意味し、ときにはもっと広がりをみせる。この大局観はただ将棋をしていれば身につくしろものではない。

  • 将棋界以外の人と会ったり
  • 読書をしたり
  • 音楽を聴いたり
  • 映画を観たり

などなど…..「感性」を磨くなかから育まれる。

近年、将棋界にはIT化の波がおしよせてきた。かつての膨大な棋譜はデータベース化され、誰もがかんたんにアクセスできる。自分の知識として習得できるようになった。くわえてインターネットには「対面しない対局」が延々繰り広げられている。将棋ゲームの進化も日進月歩。

この現象を『ウェブ進化論』の著者梅田望夫氏は「高速道路論」と評した。くわしくは、CNETの「インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞」で述べられている(関連参照)。

高速道路が一気に敷かれたことでアマチュア・プロとわず一気に走り抜けるようになった。そして、そこそこ強くなった。なのに高速道路の出口から抜け出すことはできない。それが今の将棋界。

同じ構造はどの業界にも。私がお世話になっていた会計業界も同じ、今のウェブもそう。この高速道路の出口を抜け出すには、「何を決断するのか?」が問われている。そして、決断するには自身のキャリアの「大局観」をもたなければならない。だけど感性なき大局観は「観」じゃない。傍観しているだけ。なにより大局観を支える「感性」は誰も教えてくれない。

誰も教えてくれない「感性」をチームのなかでどのように磨いていくのか?

昔も今も経営にはそれが問われているのだと思う。感性を磨く支援ができるようになり、顧客と協働で自らの規矩を築き上げていくことが私の唯一の望みなのかもしれない。