自分がいなくても大丈夫なように配慮する人

スパイゲームのエントリー『東京ファイティングキッズ・リターン』の一節を紹介した。今回も本書から印象に残った箇所を引用して、私が日頃おりにふれ考えていることを整理。以下、引用(巻末対談-巨大モスラとなって東京の街路地を徘徊した記憶より)。

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平川 優れたビジネスマンはだいたい自分ひとりじゃ何も出来ないと思っている人なんだよ。なんでも自分ひとりでやらなくてはいけないとか、さっきの自己決定、自己責任というのは、やっぱりそこに自分ひとりでは何も出来ないのだという慎ましさがないんだよね。

内田 出来の悪いビジネスマンとか組織人にいるね。その人が休むと仕事が停滞してしまうというような形に仕事を構築しちゃう人。あの人がいないんで仕事が回らないよって。自分がいなくなったら、組織が損失を受けるという仕方で、自分の存在価値を確証しようとする。

平川 思い込みだけれどもね、ほとんど。

内田 たしかに当座は困るんだよね。何がどこにあるか分からないとか、データがどこにあるか分からない。誰それの電話番号はあいつしか知らないとか。そういうふうにして自分がいなくなったら困るように困るように仕事を構築する人間と、自分がいなくなってもいいようにいいように構築する人間と、やっぱり組織人って二つに大きく分かれるような気がする。自分がいなくなってもみんなが困らないように心配りするって言うのが、人間としては正しいやり方じゃないかな。

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東京ファイティングキッズ・リターン―悪い兄たちが帰ってきた (文春文庫)

「自分がいなくなってもみんなが困らないように心配りする」仕事を心がけている。まったくもって難しい。私が廃業しても顧客が困らないようにする。ウェブを制作できる人がソースを調べればわかるようにコードを書いていく。サーバー管理や技術的問題も私一人だけが知っていることのないようにしたい。

「自分がいる場所で仕事をする」と「自分がいなくなること」—–「ある」と「ない」は一見矛盾しているのかと読んだ。が、突き詰めて考えるとそうでもないと思う。メビウスの帯のような感じではないだろうか。裏表がなく一周して元へもどる鏡像である。

内田 自分がいなくてもみんなが困らないようにしておくためには、いろいろなところとつながっていないとダメでしょう。アクセス回路が一箇所しかないと、そこを切られたらもう終わりじゃない。いろいろなところで外部とつながっていて、ある回線がダウンしても、すぐに別の回線がバックアップする。そいういうフェイルセーフをきちんと作れる人は共同的に生きることの基本がわかっていると思う。[…..]要するに、「自分がいなくても大丈夫なように配慮している人」って、自分の周りに稠密なネットワークを作っている人のことなんだと思うね。東京ファイティングキッズ・リターン P.278

セールスネットワークとは違うだろう。人脈である。「自分がいなくても大丈夫」なシステムを設計して、かつバックアップも用意する。つまり、私とシステムの関係を鳥瞰し、私が何をしているのかをオープンソース化する。システムを「設計」する力が必要である。同時に、自分の能力をクールに自己査定する知性が求められる。

与えられたリソースを使って業務をこなすのは難しい(優秀な人にはたやすいことか)。しかし、それ以上に与えるリソースを構築するほうがより困難であるのは古今変わらない。「何を与えるか」を的確に判断できなければ設計図が書けない。

「今ある」パソコンから社内LANを構築する難易度と、「何も無い」状態から最適な社内LANを構築する難易度には千里の逕庭がある。前者はテクニカルな知識によって対処できる。他方、後者に求められるのは組織が切望するシステムを聴き、実際の業務を想像する力。技術的知識以外の知見も問われる。

「私が廃業しても顧客に与える損害を可能な限り最低限におさえる」ためのネットワークを構築する。これが今の私にもっとも足りない能力である。

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