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音声多重放送の露天風呂#2

フリ○ンのつづき。もとい、露天風呂の続き。二十歳組が手紙の話で盛り上がっているころ、私の耳は正面の50代にフォーカスロックされた。

  • A: 「今年の巨人は強いな」
  • B: 「強いな」
  • A: 「あの四番のリーとかいうやっちゃな。よう打つな」
  • B: 「そやな、リーがよう打つな」
  • A: 「二岡も三番で活躍しとるしな」
  • B: 「せやな、活躍しとるわ。おかげであいつや、ほら、あいつがでられんわな」
  • A: 「仁志やな」
  • B: 「せや、仁志や」
  • A: 「他にも矢野とか若いやつががんばっとるな」
  • B: 「せや、若いやつがええな」

見事な贈与。感嘆した。お二人ともゆったりとしゃべっている。目を閉じて聞いていると、まるで噺家が情緒あるきれいな大阪弁で話しているような情景がうかぶ。Bさんは、決して聞き流していない。要所要所に相手の話題が広がるように贈与していく。このあと、Bさんが阪神の話題をふり、リーがロッテにいたことから今年のロッテにと展開する。
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音声多重放送の露天風呂#1

まいづる1号に乗って朝から舞鶴へ。17:00京都着。その足で河原町四条へ。打ち合わせ後、帰宅。讃岐うどんを喰らい、無性に露天風呂に入りたくなったので、近くの風呂屋へ駆け込む。かけ湯、露天風呂。我が目を疑う。おお、なんと、貸し切り。こんな僥倖、年に1,2回あるかないか。これはやっておかねばと、いきおい露天風呂の端っこで仁王立ち。フリ○ンなんのその、琵琶湖を眺望す。琵琶湖の漆黒とネオンの喧噪、コントラストが美味。下を向けば、国道がきらめく。テールライトが彩る。比叡おろしが後ろから前へフリ○ンを吹き抜ける。快なるかな。

そこへ、二十歳そこそこの(後述でわかる)の二人組、30代の二人組、50代の二人組がやってくる。みな私の周りを取り囲むように陣取る。音声多重放送がスタート。左の耳から二十歳組、正面から50代、右の耳から30代。私にとって、筆舌に尽くしがたい時間のはじまりはじまり。ワクワク。

どの声が、すぅと耳に入るのか。どんなことを話すのか。相手はどう答えるのか。どんなボディランゲージか。話し方は。トーンは。笑いのツボは。答えの意図は。なぜそのテーマを選んだ。切り返しは。もうとにかく尽きることのない興味がわきこる。

というわけで、二十歳組から。ご注意、もちろん、このテキストはアナログ放送。リアルタイムでは正面と右耳で会話が同時進行している。
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考える技術・書く技術雑感

考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則のレビューで次のように書いた。

正直、「頭がかしこく見えるホニャララ」といったベタな薄い本をさっと読むよりも、本書を通読・精読し、辞書代わりに拾い読みしたほうが、期待しうる成果を生み出せると思う。

その理由は3つ。

  1. フレームワークを定義している
  2. 論理の概要をおさえている
  3. コンサルタントに必要な能力が言外に含まれている

1.フレームワークを定義する

自社分析を例示する。自分の会社を分析するとき、「何から分析すればよいかわからない」状態がありうる。対処法として、数あるフレームワークの中からSWOT分析を採択したとする。その結果、S・W・O・Tに分類して要素を検討できる。さらにそれらの分析をもとにスキャンする範囲を広げられる。

ひとつのフレームワークの概念と基礎を押さえれば、十分に「考える」ことができる(*1)。反対にいくつものフレームワークに手を出して、「練習のための練習」になってしまえば、目的と手段が本末転倒してしまう。いいかえれば、アウトプットした字面に満ち足りてしまう。「何をすべきか」を考えるために必要な「道具」であると忘れてはならない。
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amazement

Panasonic LUMIX DMC-LX1

本を読む本

最近いちばん驚嘆した。

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考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則

考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則「コンサルタントなら必読」とどこかで読んだ(ブログを失念した)。ならば、コンサルタントではない愚生にはどう映るかと購入。なるほど、うなづける。これが商売かと舌なめずり。既読の人の方が多いか。手元にある版は第19刷。本には「原書」と呼ばれるものがあると常々思っている。ネタ本ともいう(*1)。その原書を探索するのが楽しい。本書は、ロジカルライティング&シンキングをテーマにしたなかでは、原書に近いのではないだろうか(と勝手に自己陶酔)。

当時レポートライティングに関する資料を探してわかったのですが、文章スタイルや文例構成に関する書物は山ほどあるのに、自分の考えそのものをどう構成すればよいかを書いた書物はまったくなかったのです。[.....]かろうじそうしたテーマに触れている書物が見つかっても、書いている中身は「論理的に書きなさい」とか「論理的なアウトラインを準備しなさい」というだけです。漠としたものから論理的なアウトラインを導き出すには、いったいどういう作業をするのでしょうか?『考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則』 序文

それが、「ピラミッド」である。ピラミッドとはアウトプットするためのメソッドをさす。ある事柄について、一つの頂点から下位にむかって要素を構造化していく。論理を構成するための思考の図形化である。
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notice

Canon PowerShot G3

manhole

「オレ、フマレテモ、キヅイテクレルコトヲシンジル」

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contrast

Canon PowerShot G3

cherry of night

対比が美を雄弁に語る。写実できない私は無力。

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態度が悪くてすみません-内なる「他者」との出会い

態度が悪くてすみません - 内なる「他者」との出会い肉薄してくる。「だからどうした?」と問いかけて、「それぐらい自分で考えて身体を動かせよ」と迫ってくる。先生は、知りたいことは、「私がまだ知らない私」と言う。ところが、「知る」の原義が愚生の中で確立していない。改札口の前で立っているような気分だ。改札を通過するパスは持っている。しかし、そのパスには何も印字されていない。改札をぬけたらプラットホームが待ちかまえている。どの列車に乗るのかわからない。だからといって改札を通りたくないわけではない。行き先案内と運賃表などない。自分が描かなければならない。改札口の前に立ちすくみ、前へ進もうとする自分がいる。

「ウチダくん、それは違うよ」と言われたとき、私はつねに「すみません」と言うわけではありません。「え、どこが間違ってた?」と問い返すことだってあるんです。私が「どこが?」と問い返すのは、その人の指摘によって私の中に知的な興奮が起動したことを意味しています。[.....]逆から言えば、私が「すみません」と言うのは、「この話はやめましょう」というクールなサインです。それは、その指摘の中に「私についての情報」をふやす手がかりがないという私の判断を意味しています。『態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い』P.7

私たちが自分について知りたいと思うことは他者からを経由してしか入手されない、と先生は断ずる。相手が発信する情報が「私についての正しい情報」だとしても既知の情報なら「すみません」の一言。「私についての新しい情報」を獲得できるときだけ”すみません”以外のことばが返ってくる。

「あなたが何を言いたいか、何を考えいてるか、私にはもうわかっている」というシグナルを、相手が送信しないように対話をする。これはとても重要な仕事であり、たいへん気疲れがする共同作業である。
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フリーズする脳

フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる最近、フリーズをたびたび体感している。年のせいかと思っていた。ひょっとするとちがうかもしれないと、読書中に反省。ざっくりと解釈するなら、フリーズする脳には環境が起因しているらしい。とはいえ、「なぜそうなるのか」といったプロセスを理解しようとするなら、医学的専門知識を学習するのが急がば回れなのだろう。到底学習できないので、「フリーズする脳」を覚えておき、日常生活で「頭をつかう」を意識したい。

「…」 (あれ?今何を言おうとしていたんだろう?)まるでパソコンがフリーズするように、不意に言葉に詰まる。度々思考が停止する。人や物の名前が思い出せなくなる。そういう「空白の時間」が増えている気がしないでしょうか?放置しておけば深刻なボケ症状につながりかねない&quto;フリーズする脳&quto;の問題を、臨床経験豊富な専門医が語る。現代人の脳に今何が起きているのか。『フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる』

先生は、第三北品川病院に「高次脳機能外来」を開設し、何千ものボケていく脳を診てきた。その経験からはっきりと判ったことが、二つある。
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カッコーの巣の上で

カッコーの巣の上で原作を読みたいと思っていたら、先にDVDを買ってしまった。1975年度アカデミー賞主要5部門を独占した名作。レビューの多くがラストシーンを絶賛。個人的にはそう思わない。とにもかくにも、「この出演者たちのような演じ方を演技と称するのかなぁ」と目を奪われた。余談、愚生はDVDをレンタルしない。同じ映画を何十回と観るので購入する。フレームワーク・色彩・台詞・イースターエッグ・シンボリックなどなどを学びたいので、どうしてもそうなってしまう。このレビューは初見で書いている。

1963年9月のある日。オレゴン州立精神病院にひとりの男が連れられてきた。ランドル・P・マクマーフィ。彼は刑務所の強制労働を逃れるために狂人を装っていた。しかし、精神病院はもっと悲惨な状況にあった。絶対権限を持って君臨する婦長によって運営され、患者たちは無気力な人間にされていたのだ。さまざまな手段で病院側に反抗しようとするマクマーフィに、患者たちも心を少しずつ取り戻し始めた。そんな彼の行動に脅威を感じた病院は、電気ショック療法を開始するが、マクマーフィも脱走を計画し始める……。『カッコーの巣の上で』

映画史や映画批評について無知なので、アメリカン・ニューシネマと言われてもピンとこない。鑑賞後、Wikipediaに聞いてみた。なるほど、そんな社会背景から制作された映画かと納得。

ジャック・ニコルソンの演技に終始圧倒された。「精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男」を演じている。「精神異常を装って」ということは、「正常」と「異常」(医学的に適切な表現かどうかはご容赦)を外面と内面で使い分けている。
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