過去をふり返る

『過去を捨てたと思っても、過去は追ってくる。』

先輩とMSN Messengerで2時間ほど打ち合わせをしたあと、仮眠。ほどよく眠れた。この静けさがなんともいい。何を書こうかと思慮をめぐらす。下書き中のものは何本もあるけど、レビューだし。そうだ、ARTIFACTさんの「うざがられる自分語り」を思い出した。わかっているけど、たまには語りたくもなるわけで。って、でもこのブログほとんど自分語りのような…..orz。

優しい時間の第7話で出会った台詞。

私にもこれで仕事があるんですよ。珈琲屋も仕事だが他にも仕事があるんですよ。「ふり返る」という仕事をね。(中略)。私がこれからやろうとしている仕事は、世界を相手にすることじゃなくて小さな周りをみつめる、そういう仕事なんです。家族であるとか、友人であるとか、ごくごく小さな自分の周りをね。
大変なんですよ、この仕事は。

会計事務所時代は忙殺される日々、ITベンダー時代は自分のキャリアをイチから再構築しなければならなかったから余裕など全くない日々。いずれにせよ、「ふり返る」という仕事ができなかったなぁ。

じゃぁ、今は時間があるの?余裕があるの?というとそうでもないんだけど(笑)。ただ、昨年からフリー(そんな大層にやっているわけじゃないのに)になって、”学ぶ”、”考える”、”判断する”経験がふえた。その中に、「過去をふり返る」という仕事をなぜだか持ち込みたくなってしまったんだよね。

確かに、「ふり返る」ほどの過去があるわけでもないし、今の歳でする必要もないのかもしれない。また、こういうことは、特定の時期にするんじゃなくて、いつも頭の片隅において、ことあるごとに引っぱり出してくる「作業」なのかもね。

そんなとき、先の台詞に出会った。そうそう、本当に自分の周りの小さなことだなぁって、「言葉」にしてもらった感動があった。家族のこと、友人のこと、大切な人のこと、ふり返るなかで噛み分けられることがいくつもある。「なぜ?」を自問自答していく。論理的に回答できる過去もあれば、感情的にしか回答できない過去もあるしね。

そうやっていつ頃まで遡るかわからないけど、頭の中でひとつひとつ浮かべては消してゆく傍らでずっと消えない言葉があるな。私が社会人になってから最も影響を与えてもらったある女性の言葉。

時は、限りない力を持ちつつも、思いの前では何の役にも立たないこともある。それでも残酷に時は刻みつづける。
時は現実。
全てのものを押し流し、そして二度と還ることは許されない。それならば何故振り返ることは許されるのか…?いっそそれさえも禁じられるのならこれほどに苦しまずに済むのに。
時は刻む、一層遠くに思い出を流すために。

この言葉を初めて見た時は、否定的に受けとったけど、今は少し違う。頭の悪い私がありていに言うなら、「一期一会の過去があっての現在の自分」かな。まっ、哲学に造詣が深ければ、ここで気の利いた「自分の言葉」を返せるんだろうけど。

確かに苦しい。大切な人との決別や喪失、事の失敗を直視しながら「ふり返る」と目をそむけたくなることもあるし。それでも五里霧中の状態を抜けだそうと叱咤する。そうやって藻掻いていると少しづつ「未熟な自分」と向き合えるようになってきたかな。

そして、Aという過去とBという過去を紡ぐことで、「成熟した自分」を産み出せるような希望も持っているからかもしれないし。

で、また琴線に触れる言葉に出会う。

「人生の十字路に立たされたことは、幾度とある。そしていつもわかっている、どれがとるべき道なのか。わかってなかったことは一度もない。
だが、とるべき道をとらなかった、なぜだ?
険しく、困難な道だったからだ。
1992, アメリカ 『セントオブアウーマン 夢の香り』

ホントその通り。タチの悪いことに自分の場合は、「わかってなかったことは一度もない」経験が一度もなかった(笑)。

それに、感情の起伏が激しい幼稚な自分は今も変わらない(泣。それでもまぁなんとかやっていけてるし。だからって言っちゃ身も蓋もナイけど、「一期一会の過去があっての現在の自分」が納得できてきた。

そして、冒頭の言葉。「マグノリア」で登場する有名な台詞。

『過去を捨てたと思っても、過去は追ってくる。』

時には、「ふり返る」と投げ出したくなることもある。別にロマンチックになってるわけじゃないんだけど。そんな時の自分に容赦なく襲ってくれる優しい言葉ですね。

ダラダラ書いてきたけど、まだ書けそう。でも、同じ意味の繰り返しだし、それに「浸りたくない」し。もうすでにドン引きさせるぐらい「浸っている」かも(爆)。

まぁ、最後に「ふり返る」だけでなく、未来は?となると…..。

あるんですよね、たくさん。やりたいこと、学びたいこと、住みたいところなんかも。計画もあるかな。ただ、なんて言うか刹那的意味じゃなくて、それはホラ、「明日があるなんてわからない」ぐらいの心地よい緊張感に身をつつんで寡黙に実行するほうが、ちょうどええ加減やない?ってところでオシマイ。