中国の身勝手な記憶

[2005.04.19 21:32 加筆修正]

欧米のメディアの論調に、切り込むワシントンポストの「China’s Selective Memory」。すでに、あちこちのメディアで伝えられているから、イマサラだけど。要約は、読売や産経が伝えている。CNNの日本版は関連記事

いよいよ自分の尻に火がついてきたって、世界中に認めるわけにはいかんだろうけど、すでにガス抜き、日本がダシに使われている側面もあるんでは。

揚げ足とるわけじゃないけど、「歴史の解釈を選択できる国と歴史の解釈が一つしかない国」。

以下、ウダウダと考えてみた。

ドイツは、戦後の謝罪と補償を徹底したといわれるが、「国家」としての謝罪ではないというレトリックを指摘する人もいる。また、「国家」としての補償は近隣諸国におこなっていないといわれる。ドイツという「国家」とナチスという「機関」の分離。

同じように日本を考えるのは埒外とはいえ、機関にあたるのは何か?そこにアジアに対する日本のジレンマがあるように思う。

一方で、中国はというと、中国人の政治研究員とのやりとりを何かの番組で視聴したのを憶えている。適切な事例じゃないけど。

「(歴史に"もし"はないのを承知した前提で)もし日本が靖国参拝や歴史問題を謝罪したら、中国は今の対日本の懸案事項(領土や経済、知的所有権)を解決するテーブルにつくか」

絶句したのち、答えは当然ながら、「謝罪してからだ」に終始。「やっぱりなぁ」って思った。結局、アジアにおけるイニシアチブをどう握るかが背景にあるのがよくわかった。

日本やドイツの国連常任理事国入りは、建前とはいえ、戦後体制が変わることを象徴すると思う。パワーバランスが崩れることを戦勝国が危惧するのは、当事者からすればまっとうでヒステリックな反応だと理解できる。

暴論を承知で体制について言及すると、資本主義自由経済の韓国ですら、日本と歴史認識に隔たりがある。あたりまえだけど。ましてや、社会主義自由経済を標榜したいなんて中国の場合、国がお膳立てした歴史を解釈するわけだから、日本との相互理解が無理難題なのは今にはじまったことじゃないだろうし。

続けて暴論を吐くと、中国の政治体制が変わり、インターネット上だけからじゃなく、リアルな教育レベルで、自由主義の歴史を学ばないと、民間レベルはとにかく、国家としてなかなか歩み寄れないんじゃないだろうか。

ちょっと、脱線。素人の地政学的愚考だけど、今後、韓国は米国に擦り寄るよりも中国とどうつきあうかを考えているんじゃないかなぁって、一瞬頭によぎる。どうなんだろう、そのへん。

にしても、一夜明けて「上海やら北京で一部賠償も」なんて報道を読むと、「欧州情勢は複雑怪奇なり」ならぬ「国際政治は魑魅魍魎」という意味を少し理解できるかなぁ。